156話 師走は走るものなんだぜっと
明日は大晦日だというのに、忙しいものだねと、鷹野美羽は嘆息しながら、ベッドに潜り込むとダミーの分身を置いてマイルームに転移した。
マイルームも夜設定で、窓から見える外は真っ暗である。
「あんまりワインだけだと身体を壊すよ、お爺ちゃん」
以前よりも遥かに生活感が溢れているリビングルームを見て、ソファに座り難解そうな魔導書を読んでいるオーディーンへと注意を口にする。
「儂はワインだけで良い。神だからな。お嬢も知っているであろう?」
本を読むのをやめて、こちらをちらりと見て、微かに肩をすくめるオーディーン。
「そうだけどさ、傍目から見るとねぇ……アル中にしか見えないんだよ」
ぽふとソファにダイビングして、小柄な身体で寝そべると、ジト目で空の酒瓶が何本も置かれているテーブルを眺める。
それ以外にも、本やら機械の部品やら設計図やらと雑然としている部屋になっていた。
「片付けをする者を用意すれば良い」
「オーディーンのメイドって、誰なのかね」
飄々と悪びれることなく言うオーディーンに、後ろ手にして伸びをしながら答える。北欧神話では聞いたことないな。
「あのぅ……私が片付けますね」
「ありがとう、フレイヤ」
ソファの隅っこで、お餅を食べていたフレイヤがおずおずと言ってくるのでお願いする。
元は綺麗なマイルームも、本が積み重なり、壁には複雑な魔法陣が描かれた羊皮紙が飾られたり、工学機器がドデンと置かれて、雑然とした研究室といった光景になっていた。もはやオーディーンルームだよね。
テキパキとフレイヤはアリさんと一緒に、片付けを始めて、雑然とした汚らしい部屋が綺麗になった頃に、最後の一人が転移してきた。
「あら、皆早いのね。遅刻かしら?」
金色の髪を流麗に輝かせて、フリッグは妖艶なる笑みでソファに座ると足を組む。豊満な肢体が艶めかしい。
「師走は走るものだって、暦の上ではなってるけどね」
サラリと灰色の髪をかきあげて、美羽はアイスブルーの瞳を細めて言う。
「私は借金とりでも、ツケが溜まってもいないもの。走る理由はないの」
「し、師走ってそういう意味なんですね。あ、お茶です」
フフッと微笑むフリッグの前にコトリと温かいお茶を置いてくれるフレイヤ。とっても良い子だ。
「日本は兎角そのような話が多いな。不思議な国だ」
パタンと本を閉じて、オーディーンは俺たちに向き直る。お茶を全員に配り終えたフレイヤもソファに座った。
四人全員が揃ったので、座り直して細っこい腕を組む。
「全員揃ったな。それじゃ会議を始める」
美羽はその双眸に危険なる光を宿して、ちっこい手でペチペチとテーブルを叩いた。
「駄目よ、お嬢様。どうやっても、まったくもって、凄みはないわ。子犬がうぅ〜と唸っているみたいよ」
「わんわん!」
プププとフリッグお姉さんが笑ってからかってくる。
ちんまい背丈と、細っこい手足。腰まで伸びた灰色の髪に、アイスブルーの瞳の可愛らしい顔立ちの鷹野美羽では、どうやっても迫力はないらしい。
「不機嫌だって、伝われば良いよ」
ぷくっとぷにぷにな頬を膨らませつつ、フンスと平坦なる胸をそらして言う。確かに美羽はどんな時でも迫力はない。一番の理由は、小柄で小動物に見えるところだろう。良いんだよ、態度と言葉で表すから。
「ど、どうして、そんなに不機嫌なんですか?」
うさぎのようにオドオドしながら、上目遣いでフレイヤが尋ねてくる。隣に座るフリッグはニマニマと笑っていた。俺が不機嫌な理由を知っているのだ。
「家族を狙われているからよ、フレイヤ。ね、お嬢様?」
「えぇと……でも、いつも狙われてますよね?」
フリッグのからかうセリフに、コテリとフレイヤは首を傾げる。確かにいつも狙われているよ? そうなんだけどね………。
「ふむ………なにか心当たりがあるのだな、お嬢よ?」
ピンときたオーディーンが、隻眼をジロリと向けてくる。オーディーンは気づいたのか。わかりやすい態度だったかも知れないが、気にしない。
「その前に、フリッグお姉さん、鷲津海運の商標を見せてくれない?」
「良いわよ。少し待ってね」
つついと腕輪型端末に指を走らせると、ホログラムを宙に映し出してくれる。その商標が見覚えがあるものだったので、ちょっちょっと小鳥の鳴き声のような舌打ちをする。もう少しかっこいい舌打ちができたら良いが仕方ない。
「な、なんだか、えっと、戦闘員がイーッて言っていそうな商標ですね」
「俺もゲームの時にそう思ってた」
鷲津の商標は、鷲が正面を向いて翼を広げているイラストだった。確かにどこかの秘密結社の商標みたいだよな。
「ゲームで見た……。お嬢様、どこのシーンで見たの?」
フリッグが目を細めて楽しそうに聞いてくる。興味を持ったのだろう。
だが、イベントシーンではないんだよ。
「それが、イベントじゃなかったんだ。ほら、エンカウントする敵がいるだろう? その時に不自然に出てくる敵だったんだよ。『盗賊A』が現れた! とか雑魚が出てきた際に、後ろに乗っている車が背景に映し出されているんだけど、その車の商標がそれだった」
「ふむ………イベントではなかったんだな」
「うん。どこかの秘密結社でも出てくるかと思ったけど、無かったんだ。この意味わかる?」
真剣な目でオーディーンたちを見渡す。これは極めて重要なことなんだ。ゲームではあからさまなマークが車に描かれているから、説明があるのだろうと当時は思った。だが、何もなかったのだ。
「えっと、わ、わわわかります。単なる運搬として使われていたんですよね?」
「理解したわ。運送業として存在するモブがいたのね? 手を出せないタイプ」
フリッグは理解するだろうが、フレイヤも顔の前でアワアワと手を振りながらも、意味がわかったようだった。
「なるほどな……。お嬢の言うとおりであるとおかしな点があるな。海運業にしか手を出していない鷲津家が、ゲームではなぜか陸運にも手を出していた。鷹野家はどこに行ったという話だろう?」
白髭を扱きつつ、隻眼の魔法使いは面白そうな顔で推測を口にする。
「存在しなかった……ということはない。なぜならば『ゼピュロス』がいたからだぜ。鷹野家はあったんだ。どうして鷲津家に入れ替わっているのかが問題だと思わないか?」
うむと、重々しく頷こうとして、ちこんと可愛らしく頷く美羽である。迫力がないことこの上ない美少女である。
だが、会話の内容は極めて重要な意味が込められている。ゲームの話だと、放置できない何かを感じるのだ。
「鷲津は新年会を催すらしいんだよね。この鷹野家の隆盛著しい時にだよ? おかしくないか? この状況、俺なりに考えたんだが、もしかして鷹野美羽が死んだ本来の原作の世界線で発生していた歴史だと思うんだよ」
「そうね。もしも鷹野美羽が死んでいたら、かなりの物事が変わったわ。風道の性格から言って、鷹野嵐はあまりの酷さに、すでに放逐されていた可能性は高いわ。そうなると、次期当主の座は誰になるのか? 鷲津家だったのかしら?」
「そ、それもおかしいですよぉ〜。だ、だって、風道は家を大事にしてます。養子にして鷹野家を継がせることはあっても、鷲津家になり代わられることはないと、お、思います」
フリッグがほっそりとした指先で自身の顎を撫でつつ、鷲津家が当主になる可能性を口にするが、自信なさげにフレイヤは否定する。
「同意するぜ。そうなんだ。風道の爺さんは家を物凄く大事にしている。鷲津家に全てを渡すことはないと思うし……盗賊が使っていた車だよ? それの示す意味は、運送業としては怪し気なレベルの会社だったんではないか? 即ち、今の鷹野家のような広いシェアは持っていないと推測するぜ」
「鷹野家は無くなり、運送業は分裂したという意味よね。鷲津家は当主には成れなかった。でも、運送業の一部も支配できたということ」
フリッグが話を繋いでくれて、オーディーンがさらなる推測を口にする。
「そこで新年会か……。鷹野家になにかあるということだな。原作ストーリーの強制力が現れ始めたと考えているのか、お嬢?」
「んにゃ、そこまでは思っていないよ。だけど、風道の爺さんが死ぬようなことがあったのは確実だろ。いや、これから起こそうとするのか?」
もはや原作のボスである『ゲルズ』や『ゼピュロス』を殺している。原作のストーリーに沿って歴史は流れていても、本筋は揺らいでいると考えている。
そこから予測されるのは、原作ストーリーの強制力はない、ということだ。
「だからこそ不機嫌なのね。新年会前に襲撃があると考えている」
「36家門の新年会は2日に行われる。その時に合わせて新年会を行おうとする鷲津は、鷹野家が新年会をできない理由が発生すると考えているのか? それとも違う理由で俺の考えすぎか? いや、そもそも新年会をその時に都合よくやるなんて犯人ですと告白しているようなものじゃないか?」
鷲津家の立ち位置がどうもうまく掴めないのだ。小説の中の悪人なら、わかりやすい馬鹿なことをするだろうが、鷲津家はゲームでは倒されていないんだよ。存在すら語られなかった。
「な、なら、サッと鷲津家を皆殺しにすれば良いのではないのでしょうか? 魔物が現れたりとかです。懸念はなくなると思いますよぉ」
フレイヤは部屋の隅で黙々と角砂糖を食べているアリさんへと目を向けるが、そういう簡単な話ではないんだよ。それに、疑わしいから、危険そうだからと、先入観だけで排除したくない。傲慢すぎるからな。
「モブだということが問題なのだな? イベントに現れないそこまではあくどい仕事をしていない存在。それか、誰かの傀儡になって踊っているだけということか」
「鷹野家の人間を皆殺しにして、高笑いをしながら当主のように新年会をやる人間なら良いよ? でも、全然違う理由だったら?」
「サブストーリーにも出す価値のないモブだとしたら、厄介ね……。確かに手に入れた情報でも、これはという重い罪はないわね」
新たなホログラムを送ってくるので、中身を見ると鷲津家の資料だった。
密輸に密入国の補助……それだけだった。密輸も麻薬とかではない。盗品とかおとなしいものだ。しかも可能性として書いてあり、その元の証拠はないとも書かれている。
他の海運業を営む家門も大なり小なりやっていることで、たいしたことではないと書かれている。
「重要なことは紙で残しているようよ。それに昔から海運業をしているだけあって、閉鎖的な仲間意識の強い海賊みたいな家なの。情報が集まりにくいわ」
「こ、この内容によると、新年会………鷲津家は仲間だけで行い、芳烈さんを当主代行としては、み、認めない態度をとるみたいです」
「分家にも声をかけているけど、建前はそうね。でも、建前なのかしら?」
「もしも、鷹野家が皆殺しにあえば、建前だと誰もが思うだろうね」
これが建前ではなくて、本当のことなら、極めて困る内容だ。武を重んじるなら、父親を認めないのはわかるよ。それに海運業には今のところ俺が起こした事業による利益はない。
だから、たんに芳烈パパを嫌っている。その可能性が出てくるんだよ。
その場合、鷲津家の背後で誰かが嗤っている。鷲津家を当主にしようと支援している貴族たちの中で、誰かが悪巧みをしているのだ。
「恐らくは鷲津家をいいように操って、裏で動いている貴族がいる可能性があるんだ。鷲津家はだからこそ、ゲームでも盗賊の輸送車に勝手に使われている程度。雑魚のモブなんだ」
「海運業は、船舶製造に関わる侯爵2家に風の魔導具を提供し、さらにその見返りに安価での船の購入、他国との貿易による人脈……お金だけではない、目に見えない資産が大きい。切ることもできない……背景画になるモブとしては完璧な存在。それだけ重要な事業を持っているから犯人と思われても、証拠がなければ評判が下がるだけでしょうね」
海運業を切ることのできない理由をつらつらとフリッグが挙げてくれるがその通り。金額だけではないのだ。
「評判が下がれば当主になることもできないだろうよ。その場合は、鷹野家は分裂。ゲームでは、いや、原作ではそうなったんじゃないかな? 今ならそれ以上の事業を抱えているから、分裂すれば、他の貴族にとっては旨味が多いよね」
「混乱を求めて、分裂した鷹野家を吸収することを目的とする貴族か。可能性は高いな。鷲津家はわかりやすいスケープゴートというわけか、お嬢」
だが、鷲津家の動向は指標にもなる。資料の一つに気になることが書かれているのに気づいたのだ。
「『ユグドラシル』への物資の輸送をしているよな。そして、この日は不自然だぜ。同人誌でも運ぶのか?」
ちっこい指でホログラムをつつく。
「オットセイなら別に良い。ボールを与えて、精々芸をしてもらおう。だが、操り手には挨拶しておかないとな」
同人誌を俺も買いに行くとするよ。直販でオーケーか確認しないといけないぜ。
なにせ、大晦日に入港の船がある。しかも夜中だ。
美羽は猛禽のように凄みを持つ光をアイスブルーの瞳に輝かせて、ニヤリと危険なる笑みを浮かべるのであった。




