149話 贈り物と思惑
平民の孤児院というのはみすぼらしいものだと、粟国勝利は建物内を眺めて思う。
窓ガラスは割れた箇所をダンボールで塞いでいるし、壁にはヒビどころか穴が空いており、ネズミがこんにちはと顔を出しそうだ。
天井に備え付けられている蛍光灯は、7割は切れており、食堂でも最低限の明かりしかないので薄暗い。
テーブルは頑丈な木製だが、古くから使ってきたのだろう。染みだらけで、拭いても染みを取ることはできない。
住む奴らもよれよれの古着だ。
なんというか………勝利が想像していたとおりの、貧乏な暮らしをしているようだった。
だが、これだけあからさまに困窮した孤児院が存在しているのは、小説の世界だからこそだろうとも思う。
『魔導の夜』ははっきりとした格差社会だ。原作者はその方が読者にファンタジーの世界だということが分かりやすいと考えたのだろう。
中心地には皇城が聳え立ち、周りには広い敷地に豪華な屋敷が建つ貴族たちの区画。平民区画があり、夜には闇夜となり明かりがなくなるスラム街。
ファンタジーの世界だからこその街並みだ。
そして、その中にある平民の孤児院も、困窮している所が多いのである。
今、自分が訪れている孤児院のようにだ。
「あっはっは、あんた、食堂に入った途端に、なに変顔になってんの? 似合わないよ!」
「うっせえな。世の中の理不尽を思っていたんだよ! この僕のクールで影のある横顔はかっこいいだろ!」
「なんかへんてこな顔をしてたよ。ぶひゃあ〜っ、てこんな顔〜」
自分の頬を両手で挟んで、ぶひゃあと叫ぶ少女に、そんな豚じゃねぇよと、勝利は睨む。
「だって、あんたが考え込んでいるなんて、珍しいからさ。なにを考えてたん?」
蓮っ葉な喋り方をしてくる目の前の少女は、明智魅音だ。もう12月20日であるのに、ペラッペラな長袖を着ていて寒そうだ。
夏にも着れそうな長袖シャツだなと思いながら肩をすくめる。
「ここは貧乏くさいと思ってな。なんだよ、その服」
「え〜っ! これでも一張羅なんだよ。ね、皆?」
むぅ〜と、頬を膨らませると、魅音は食堂にいる仲間へと声をかける。
「あぁ、そうだよ。ツギハギのないやつを選んだんだ」
「見てみて、スカートだよ」
「暖かいよ!」
孤児の子供たちが、それぞれ一張羅だと頷く。これでもマシな服らしい。
だが、顔は寒さで赤いし、吐く息は白い。
「寒いじゃねーか。こんなん外と変わらねぇだろ」
「食堂のエアコン壊れててさ。しょうがないんだよ」
「早く直せよ」
「あたしがここに来てから、皆もそう言ってるんだけどね〜」
「何年前から壊れたままなんだよ。ったく、仕方ねぇな」
常に暖かい部屋で暮らす勝利には、拷問のような部屋だ。嘆息しながら手を翳す。
『防寒空間』
勝利の手のひらが赤く輝くと、空気を揺らし波紋となってマナの粒子が広がっていく。
外と変わらず真冬の寒さであった食堂が、魔法の力により室温が一気に引き上げられた。
「わわっ、暖かいよ!」
「すげー。これがまほーかよ」
「ポカポカするよ!」
子供たちは、暖かくなった部屋に驚き、寒さで震えていた身体が温まり、喜びの声をあげる。
「お〜、あんた本当に魔法使いなんだね!」
「前にも見せただろ?」
「う〜ん……こういう魔法の方が魔法使いらしいと思った!」
「なんだそりゃ? 攻撃魔法の方がかっこいいだろうが」
人差し指を顎につけて、ニカリと笑う魅音へと、ロマンというものがわからない奴と、勝利は肩をすくめる。こんな生活魔法よりも、攻撃魔法の方がかっこよいに決まってる。
「っとと、そんな場合じゃない。聖奈さんをお迎えに行かなくては!」
ブーと頬を膨らませる魅音などは放置して、ドタドタと慌てて孤児院の入口に向かう。
『変装』している聖奈さんが、入口前で待っており、勝利は自身がかっこよいと思える顔の角度で、ニカッと爽やかなスマイルを見せる。
「お待たせしました、聖奈さん。かなり汚い所ですが、大丈夫でしょうか? もうかなーり汚い所なので、場所を変えた方が良いと思いますけど」
「いえ、今日は勝利さんに無理を言ってここにしたんです。全然大丈夫ですよ」
ニコリと健気に微笑む聖奈は、輝く銀髪にルビーのような瞳、真っ白なふわふわもこもこのコートに帽子と手袋をしており、小柄な美少女に似合っていて可愛らしい。
さすがはヒロインだ。その可愛らしさに見惚れてしまう。
「さーるさーる、ウッキーサール」
「うるさいよ、おまえ。あ、なんか温かい食べ物とか買ってこいよ」
後ろで訳のわからないことを呟く魅音へと、財布ごと押し付ける。
「お、ありがとうね! よし、皆、買い物に行くよ! クリスマスの買い物もしてくるよ!」
パアッと笑う魅音と共にぞろぞろとついてきた子供たちが両手を掲げて喝采する。
「やった! ケーキも良い?」
「お肉も良いの?」
「ジュースも買って良いの?」
「もちろん使い切って良いんだよね? お優しいおぼっちゃま?」
ニヒヒと笑う魅音がフリフリと振る財布の中にはぎっしりと札が入っている。全部使われたら困ると、慌てる姿を予想しているのだろう。
「ケッ、好きに使え。端金だ。カードは使うなよ、警察に捕まるかんな」
だが、そうはいかない。前世と勝利は違うのだ。その程度の金で狼狽える男ではない。
財布ごと渡す太っ腹な僕に、聖奈さんは惚れ直すだろうと緻密なる計算も入っている。
「ありあっとさーん。では、買い物部隊しゅつげーき!」
わぁっ、と数人が走っていく。
「おい、僕たちのおやつはさっさと買ってこいよ!」
「了解! 私が持ってくるよ!」
振り向かずに去っていく魅音に、大丈夫だろうなと半眼になるが、すぐにきりりとした凛々しい顔に変える。
もちろん凛々しい顔は、勝利基準である。
「ささ、お手をどうぞ聖奈さん」
「ふふ、ありがとうございます、勝利さん」
貴族らしくエスコートをする勝利の手に聖奈はクスリと微笑み、手を重ねてくる。手袋越しだが、飛び上がって喜びたい勝利は、ふんふんと鼻息荒く顔を真っ赤にしていたが、聖女はニコリと優しく微笑むだけであった。
食堂には、まだまだ大勢の子供たちが待っている。上座のお誕生日席に聖奈さんを座らせようとすると、聖奈は断って子供たちへと顔を向ける。
「今日は無理を言って申し訳ありませんでした。ですが、皆さんへとお仕事をお願いしたいのです。よろしくお願いしますね」
微かに首を傾けると、フワリと優しい微笑みを見せる聖奈さん。子供たちもその笑顔に見惚れると、オーッと手を上げるのであった。
テーブルの上には大量の高級ハンカチと、金糸と銀糸が置いてある。
「では、皆さんお願いしますね」
「はーい!」
ハンカチを手に取り、皆は一斉に刺繍を始める。意外なことに子供たちの手付きは慣れており、手早く刺繍を進めていった。
「クリスマスプレゼントには、聖奈さん自身が縫った刺繍入りのハンカチですか」
椅子に座った聖奈さんの隣に座ると、勝利は子供たちの様子を見ながら話しかける。
「はい。私の手縫いです。貴族の皆さんに配るにはちょうど良いと思いませんか?」
聖奈自身も手袋を脱ぎ、ハンカチに金糸を使い、刺繍をしていくが、ちまちまとゆっくりで子供たちと違い、その手つきは覚束ない。
刺繍が苦手で頑張る聖奈さんもかわいいなと、ニマニマと笑い勝利もハンカチを手に取る。
なかなか高級なハンカチだなと手でもてあそび、刺繍はしない。どうやって刺繍をするのかさっぱりわからないので、するつもりは毛頭ないのだ。
「でも、手縫いじゃないってバレませんかね? そりゃ、一応は隠してますけど、こういうのってすぐにバレますよ?」
「私も一緒に刺繍したと言うつもりです。ね、嘘ではないでしょう? それに孤児たちと共に刺繍をしたのは美談となると思うんです」
「う〜ん……聖女である聖奈さんなら……」
貴族たちは、平民を蔑む者が多い。平民の孤児院に出入りする聖女……。平民受けは良いかもしれないが、貴族受けはするのか自信がなく口籠ってしまう。
「それに私の味方となる有能な人も探せるのではと思っているんです」
「ハンカチ一つでですか?」
「はい。真実を知っても本当に喜んでくれる人を見極めればと思います。長政お兄様のことで思ったんですが……私には勝利さんのように頼りになる味方がいないと気づいたのです」
ハンカチをおいて、そっと手を重ねてくる聖奈さんの潤んだ瞳に、きりりとした真剣な顔で勝利は頷く。
「えぇ、もちろんです。この粟国勝利。聖奈さんの一生の味方です。絶対に味方です。一生、一生ですよ?」
一生とアピールをして、瞳と瞳を交差させる。あぁ、僕はこの世界の主人公をしている。良かったこの世界に転生できて。
「はーい。買ってきたよ〜」
その目の前にコトリと缶ジュースとお菓子が置かれた。
「早いな!」
「そりゃ、お金をもらってるかんね。あ、サイフは仲間に渡したから後で持ってくるよ」
まだ少ししか時間が経っていないのに戻ってきた魅音に驚くが、その半眼の胡乱な目つきに気づく。
「あぁ、すまない。二人の世界を作ってたか」
ラブラブな世界を作っちまったかと、フッとニヒルな笑みを浮かべる。ゴメンな、ラブラブで。
「いや……今のはなんていうかさ……。はぁ〜。まぁ、あんたが良いならいいんだけどさ」
ラブラブ世界を見て、胸焼けでもしたのだろう。僕も他人がそんな世界を作っていたら、胸焼けするなと、ウンウンと頷く。
「ありがとうございます、魅音さん。あら、それは?」
聖奈さんが、お礼を言いつつ、魅音の手にしている花に気づく。なんだあれ? なんか光ってるけど魔法の花か?
「あぁ、これ? 今大人気の『聖花』だよ。ラッキーなことに、スーパーで入荷したばかりで買えたんだよ」
「『聖花』? あぁ、最近噂の雑魚の魔物を寄せ付けないってあれか」
原作では『聖花』なんか出てこなかった。だが、ここは小説の世界ではあるが、生の人間が生きている世界だ。語られていない世界設定など山ほどあるだろうと、勝利は気にしなかった。
「うん、ここらへんたまーにポヨポヨとか出るからさ。これがあれば怪我する仲間も少なくなるだろうしね。だから10本買ってきたんだ」
「ほーん。平民は大変だな……と、どうかしましたか、聖奈さん?」
少し顔を曇らせている聖奈へと問うと、苦笑気味に微笑みを返してくれる。
「今大人気の『聖花』は、『ガルド農園』がドルイドたちを雇用して栽培しているものなんです。そして『ガルド農園』に出資しているのは鷹野家。鷹野家は今やかなりの資産家となっています」
「鷹野家は当主が代わって持ち直しましたよね。あ、当主代行でしたっけ?」
「そうですね。なので、当主であるみーちゃん、いえ、鷹野美羽さんは、かなりの資産家です。私の個人資産など比べ物になりません。その影響力もかなりのものになるでしょう。……まぁ、美羽さんは無邪気ですので活用はできないと思いますが」
「あの娘はアホっぽいですからね」
何度か鷹野美羽を見たが、歳相応、いや、もっと幼い感じだ。父親が凄いのだろう。
「ですが、鷹野家が躍進することになったのは、美羽さんの回復魔法です。しかし、私の回復魔法と美羽さんの回復魔法には大した差はありませんでした。回復能力は私の方が上です。……精神を癒やす規格外の力を抜かせば、ですが」
「そうですね。聖女の聖奈さんは誰にも回復魔法は負けませんよ!」
「………あんたら、一応はお忍びじゃないの?」
「黙っててくれ」
ジト目でツッコむ魅音へと、シッシッと手を振る。なにか重い真面目な話だ。即ち、好感度がアップするかもしれない。
「だから、私も同じようにできたはずなんです。機会はあったのに……。なので、考えたんです。これからはもう少し積極的に動こうと。鷹野家の行動を真似して、自分の味方を作りたいんです。そうすれば、裏で長政お兄様を焚き付けた者たちも、あのような騒ぎを起こす前に止められたと思うんです」
「なるほど……」
身を乗り出して、必死な様子を見せる聖奈さん。優しい聖奈さんは、長政の裏切りを防げなかったことに、落ち込んでいたのかと納得する。
勝利としては、原作通りなので、知っていても無理だとは思う。原作は変えられないのだ。………『ゲルズ』が倒されたことはよくわからないが。
「なので、もっと頑張って、個人資産を増やして、信頼できる味方を増やしたいと思うんです。これからも勝利さんを頼りにして良いでしょうか」
ガバっと抱きついてくる聖奈さん。
「任せてください。ぼきゅは裏切りましぇんよ」
抱きつかれて感激し、肝心なところで噛む勝利であるが、聖奈は嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
「では、手を取り合って頑張りましょうね。なにか情報があったら、教えてくださいね? 約束ですよ?」
「はい、おまかせください。僕の掴んだ情報はすぐに伝えますよ。あ、今度のイブにふたりで――」
「皇族のパーティーがあるから無理です。でも、プレゼントを交換しましょうね。勝利さんのためにとんがりボウシ印のブランド鞄を買っておいたんです!」
「でしたね。……ハハハ」
その手縫いのハンカチが良いなぁと思うが、口にはできない勝利であった。
そして、買い出しに行った子供たちが、警察に財布を盗んだのではと疑われて、誤解を解きに向かうことになるのは少しあとの話である。




