148話 ニーズヘッグと傭兵
宗教団体『ユグドラシル』の本拠地である人工島は、どのような時でも穏やかだ。たとえ台風が来ても、魔物が襲来しても、皆は慌てずに行動する。
信者たちは教祖を信じ、その力が自分たちを守ってくれると強く信じているのだ。
なので、人工島にて静かに生活をして、一般人は人生を穏やかな凪の海のように過ごしていた。
埠頭付近に住む下級信者は、漁船に乗ってトトトとエンジンを響かせながら毎日魚をとって、漁港に並べる。
それを中級信者が受け取り、魔法使いでもある上級信者へと運んでいく。魔道具を制作したり、組織の経営に上級信者は忙しそうに働く。
時折、制作した魔道具を運び、生活必需品を輸送してくる船が訪れて、多少賑わったり、政治家や金持ちが訪れて賑やかになるが、大体は物静かである。
争い事は少なく、そうして平和に人々は暮らしていた。
だが、今日は騒がしい訪問者が来訪しており、埠頭には人だかりができていた。
フェリーを改修した装甲揚陸艦モドキの船が埠頭に停泊しており、貨物ハッチからは軍用の装甲車や輸送トラックが吐き出されてくる。
運ぶ人間も体格がよく、荒事に慣れていると思しき人間たちだ。その鋭い眼光に、何者かを誰何しようとした者も首をすぼめて、口を開かなかった。
何者なんだろうと、この平和な土地に現れた闖入者を人々が眺めている中で、幽鬼のように不気味なスタイルの魔導鎧を着た人間が船から降り立った。
「ふぅ、そろそろ寒くなってきているな。冬になる前に到着できて、私たちは幸運だったようだ」
「そうっすね、団長。海風が寒くて、仕方なかったすよ。うー、さぶっ」
冷たさを伴う潮風に、男が肩を縮めて寒がる。その後ろから女が不機嫌そうな顔で続く。
「ほら、あんたは早く降りなよ。だいたいあんたのお陰でこんな所まで逃げることになったんだよ、わかってんの?」
「えぇっ! あれは不可抗力っすよ。なんでか、相手が俺っちのことを知っていたんすよ、ね、団長? 俺っちは悪くないですよね?」
船のタラップから降りてきたのは、イミル団長、アンナル、エリであった。もう10月に入り、風は冷たく、吐く息は真っ白だ。
ぞろぞろと部下が降りてくるのを見ながら、イミル団長は肩をすくめる。
「エリ、そうアンナルを責めないでやってくれ。たしかにアンナルは悪くない。まさか魔法を使っただけで、看破されるとは私も想像できなかったよ」
「だ、団長がそう言うなら……わかりました」
「でっしょー? 俺っち悪くないっすよね? てか、なんであの小僧は俺っちのことを知ってたんすかね?」
「調子にのんなっ!」
後ろ手にしながら、アンナルが怪訝な表情を浮かべて、エリが蹴っ飛ばす。しかしアンナルの言うとおりなのだ。
団長の指示どおりにアンナルは目立たないように行動をしてきた。自身の能力は知られたら、その効果は減少する。なので、極力目立たないように行動をしてきたつもりだったのだ。
だが、あの赤毛の生意気そうな小僧は、アンナルだとあっさりと見破ってきた。不可解極まりないといったところだ。
「恐らくは会ったことはないよ、アンナル。私が思うに彼は君のことを知識として『知っていたんだ』」
目を細めて、イミルは凍えそうなほど冷たい声音で言う。
「俺っち、そんなに有名になってたんすか〜。やりにくくなっちゃいますね」
「しばらくはおとなしくしている他ないだろう。なに、ほとぼりが冷めるまでゆっくりとしていようじゃないか」
「つまんなそうな島っすね。酒場があるのか不安なんすけど」
「そこはゆっくりと探せばいいだろう?」
冷酷な雰囲気を霧散させて、イミルは笑ってアンナルの肩を叩く。
なさそうっすねと、絶望の顔でアンナルが肩を落とし、エリはフンと鼻を鳴らすのであった。
なぜイミルたちがここにいるかというと、話は簡単である。『東京事変』にて、傭兵団のことがバレて指名手配されたのだ。
もちろんイミルたちは、常に『変装の指輪』を身に着けているために、その素顔はバレていない。部下にも『変装の指輪』を持たせて、正体をバレないように徹底していた。
しかし『傭兵団』としては、名前が登録されていたために、指名手配。部下を少数に分けて、かつ相手に跡を追わせないように、最大の警戒をしながらイミルたちは逃亡したのである。
本来は傭兵の扱いならば、そこで終わりのはずであるが、帝国軍は執拗に追ってきた。優れた情報網があるようで、追手を撒くのに数カ月を要したのであった。
「おい、さっさとそこを退け」
「あ〜はいはい。申し訳ありませんでした。どうぞ道を空けたっすよ」
「ちっ!」
後ろからローブを着込み、深くフードをかぶっている男が、舌打ちをして苛立ちながらタラップを降りる。裾から覗く手足は病的なまでに細くガリガリだった。
「ここが目的地か? こんなしけた所が?」
「はい。ここならもう安全です。ご安心してお寛ぎください」
「本当だろうな?」
「はい。アンナルの用意した貴方様の代替人形は死してもしばらくは死体として残るように設定しています。すり替わったなどとは誰も思いますまい」
イミルが恭しく頭を下げると、苛立ちを隠さずにローブの男は周りを見る。
「出迎えは……あれか」
「はい、お待ちしておりました。尊き方、お迎えできて光栄です。どうぞお車に。宮殿までご案内致します」
『ユグドラシル』の信者がニコニコと笑顔で、話しかけてくる。ローブの胸に刺繍されている葉は5枚。葉が少ないほど、強者である印をつけるこの者たちは、上級信者たちである証明だ。
その葉の枚数は、『ユグドラシル』の裏の顔を知っているという意味でもある。
「……世辞はいらねーよ。サッサと教祖の所に案内しろ」
「わかりました。では、すぐに出発しましょう」
そうして、車に乗って中心に鎮座する細い木々の柱で支えられた木造造りの宮殿に向かい、到着すると足早に教祖の間に入る。
御簾が奥にかけられており、人影が薄っすらと見える。その横には何人かの信者が座っており、静謐な空気を醸し出していた。
「おやおや、ようこそおいでになりました。随分と長旅だったようですね。そんなに痩せ細るとは。フフフフ」
からかいを含めた口調に、フードをかぶる男は悔しそうに口を引き結ぶが、すぐに口を開く。
「そんな嫌味はいらん。すぐにこの忌々しい封印を解除してくれ! 金は送った個人資産から払う!」
偉そうな態度で、座ると胡座をかいて胸を張るローブの男。
「さて……貴方の個人資産は送られてきませんでした。なので、お支払いが不可能と存じます。長政殿?」
「な、なんだって! そんなわけが、あわわわ」
御簾の向こうに座る教祖の言葉に、驚愕して慌てて立ち上がると、被っていたフードが取れて男は慌てる。
不健康なまでに、もやしのようなガリガリの体と、骸骨のように痩せた青白い肌の顔が露わになる。
弦神長政。かつては巨漢で筋肉の鎧に包まれた男がそこにはいた。その姿は数ヶ月前までの面影はまったくない。長政だと告げても相手は信じないであろう。
「ふふ、随分とダイエットに成功したようですね」
「くそっ、見るな! 見るなぁっ!」
慌ててフードをかぶり、蹲るその滑稽で哀れな様子に、失笑を教祖たちは隠さない。
「『神鎧』に頼らずにしばらくはそのままでいた方がよろしいのではないでしょうか?」
「黙れっ! 黙れっ! 早く治せと言っているだろ!」
長政の『神鎧』は肉体を細胞レベルで魔法の鎧化する無敵のスキルだ。反対に言えば、強化している間は鎧として固定されているため筋肉は育たない。
なので、本来はいざという時や、戦闘時にしか使ってはいけないスキルであったが、傷一つ、病一つ受けない『神鎧』の力に魅了されて、長政は常日頃から、魔力消耗の低い弱いレベルでの『神鎧』を展開させていたのである。
その結果が、骸骨のように痩せた哀れなる姿であった。
「教祖様。長政様を救けて頂けないでしょうか?」
イミルが目配せすると、エリが錆びきった槍を手に持ち、御簾へと歩いていく。慌てて側仕えが前に出ると、エリから槍を受け取り、御簾の前に正座して差し出す。
御簾から僅かに白い肌の手が出てくると、槍を掴んで引っ込む。御簾の後ろで教祖は槍を観察して、感嘆のため息を吐く。
「これは………まさか『ミストルティン』?」
「ご慧眼ですね、教祖様。それは亡きゲルズ様が発見した神器『ミストルティン』です。ドルイドの隠者がゲルズ様を殺して奪い去りました。そしてドルイドたちを助けるためにその力を使い切り、捨てたとのことです」
「ふむ………たしかに宿る力はほとんど無くなって感じません。これはただのゴミですよね?」
「ふっ。教祖様がそう仰るならば、そのとおりなのでしょう。私はその槍を返して頂き去るのみです」
教祖が錆びた槍をゴミと言って誤魔化そうとするその対応を、イミルは鼻で笑い飛ばす。
「ただの神器ならば、もう復活はしません。森の隠者もそう考えて捨てたのでしょう。ドルイドが拾って偶像として使おうとするぐらいしか使い道はなさそうですからね」
「違うと?」
「『ミストルティン』はただの神器ではない。それ以上の説明はいらないかと?」
試すように告げるイミルに、交渉を諦めたのか、教祖は嘆息した。
「わかりました。長政様の封印を解きましょう。その代わり、長政様には『ニーズヘッグ』の幹部として、まずは『ミストルティン』を再覚醒させてもらいます。毎日マナを注ぎ込んでもらいますよ? それと日本に混乱を巻き起こすこともお願いします」
「ああっ! 任せておけよ。力を取り戻したら、すぐに働いてやる。俺の力をみせてやるよ!」
「そのお言葉、ゆめゆめ忘れぬようにお願いします」
そう告げると、教祖は手を翳してマナを練る。
「ユグドラシルの生命の葉よ、この男の体を永遠なる生命の欠片にて癒やし給え」
『生命葉』
教祖が使う得意の回復魔法は、黄金の葉が舞い散り、長政の封印を解こうとする。だが、バチバチと火花が散ると、パリンとガラスを割るような音がして、魔法は最初から発動しなかったかのように消え去ってしまった。
「なにっ! 私の魔法が打ち破られた?」
教祖は絶対の自信があった魔法が破られて、驚きの声をあげる。
「おいっ! 治ってねーぞ!」
怒りの形相で、長政が吠えるが、その痩せぎすの身体はまったく恐怖を放つことができず、気にすることもなく教祖は新たなる命令を下す。
「………側仕え。長政様の隣に立つのです」
「は? はぁ……わかりました」
側仕えが不思議そうな顔で、長政の隣に立つ。それを見て、教祖は再度の魔法を使う。
「ユグドラシルの生命の葉よ、その者のマナを栄養とし、この男の体を永遠なる生命の欠片にて癒やし給え」
『生贄生命葉』
次に教祖が使用した魔法は、球体型の魔法陣を作り出し、長政と側仕えを覆う。
「がっ! こ、これは教祖さ……」
側仕えの身体が輝くと、苦悶の表情で喉をかきむしり苦しみ始める。そうして、体から黄金の枝が突き破って現れると、枝を覆う一面の黄金の葉を生やし始めた。
葉はすぐに木から落ちて、風舞う宙で踊りだす。長政の身体を黄金の葉が嵐となって覆うと、バチバチと紫電が発し、ギィィと金属をむりやり曲げようとする嫌な音と共に、長政の封印が破壊されるのであった。
「おぉぉぉ! 戻った。俺様のマナが戻ってきたぞぉぉ!」
骸骨のように痩せていた身体が、まるで風船に風を吹き込むように、みるみるうちに膨れ上がる。あっという間に、筋肉の鎧を身に着けて、巨漢の偉丈夫に変貌した長政は高笑いをする。
自分の横に魔法が終わり、白骨化した側仕えが転がっているが、気にせずに踏み抜いてバラバラにして、フンとサムズアップし、自慢げな顔を浮かべた。
「長政様、『ミストルティン』をお渡しします。膨大なマナを注ぎ込めば、真の力を取り戻せます。どうか覚醒させてくださいませ」
「『ミストルティン』は、魔法を封じます。この槍があれば『アグニ』ですら封印できるでしょう」
「おもしれぇ! 鬼に金棒ってやつだな!」
教祖とイミルの言葉を聞いて、高笑いをしていた長政は目をギラつかせる。
「無敵の俺が今度こそ日本を征してやる!」
「ゲルズの分も合わせて頑張ってください、長政様」
その様子を見て、思惑を見抜かせない凪のような表情で、イミルは薄っすらと笑う。
「ゲルズが殺されるのは予想外だった。だから、その分を君には期待しよう。これ以上ストーリーを変えられると困るのでね」
ポツリと呟く言葉は小さすぎて、誰の耳にも届かなかった。




