132話 研究者
棄てられた東京の森林は、闇の帳が落ちても、完全な暗闇ではない。『光花』が自らを光らせて、辺りを照らすからだ。
一輪一輪は、豆電球のように小さい明かりだが、暗闇の中での唯一の光源は、森林の外から見ると幻想的な輝きを見せている。
まるでホタルの群れが鬱蒼と生い茂る草木の合間に遊弋しているような、時折画家が風景画を描きに訪れる美しい風景であった。一面に広がる森林と、廃墟となった高層ビル、そのアンバランスさが、物悲しさと自然の美しさを見せているからだ。
しかし、その幻想的な明かりに釣られて、森林内へ足を踏み入れると死が待っているであろう。
なんとなれば、『光花』のあるところには必ず魔物が存在するからだ。そして、『光花』はある程度マナが濃い場所でなければ、咲くことはない。
即ち、そこに現れる魔物もある程度の強さを持っているため、危険な場所である。
人々は幻想的な死の風景を外から眺めるしかないのである。
普通ならばだが。
東京中層。本来は魔物の徘徊する危険な場所にて、『光花』の下に、一人の女性がいた。
森林には似合わないピシリとしたシワ一つないスーツを着込んでいる。背筋はピンと伸ばしており、姿勢の良い女性だ。腰まで伸びるストレートの髪は、深い緑色で、瞳も同じ色である。
顔立ちは怜悧であり、多少化粧が濃く、唇の紫色のルージュが目立つ。そのキビキビとした動きはエリートのような空気を醸し出している。背丈は170センチ程度で、その歳は30代前半といったところだろうか。
ピアノでも弾くような動きで、女性は手に持つタブレットを操作していた。
「あの少女……妾が知る中でも、規格外だわぁ………。どうなっているのかしらん」
タブレットを人差し指で叩きながら、その顔は薄笑いを浮かべていた。
彼女の名前はゲルズ。『ニーズヘッグ』の最高幹部の一人、嗤う植物園の所長であり、『ゲルズ』である。
狂気に満ちた悪夢の植物園を管理する女性だ。『魔導の夜』では、植物系統の魔物を育て、人の死体に咲く花を愛でる狂ったキャラである。
卓越した植物魔法を駆使し、『ニーズヘッグ』では、麻薬からポーションまで、様々な物を作り、悪意をばら撒いていた。
原作では、気に入った者を捕らえて、木々に変えてコレクションとするサイコパスであった。ドルイドを捕まえてコレクションにしていた。
しかし、ドルイドの野生児ヒロインと、その助けに現れたシンに敗れて死ぬ。
狂った植物園の所長は、激戦を繰り広げて、シンに倒されるのが原作ストーリーである。
粟国勝利ならば、ゲルズは最悪なサイコパスだと表現するだろう。
しかし、今のゲルズは理知的であった。
森林内に仮設テントを設置しており、電子顕微鏡や、実験用ボックスなど様々な実験器具が目の前にはある。
パイプ椅子に座ると、顎に手を当てて、端末に表示されている結果を見ながら考え込む。
「妾の『洗脳棘』だけではない……。『混乱棘』も『睡眠棘』もあらゆる棘を無効化する回復魔法を連続で使用している……。しかもまったく疲れを見せていない」
タブレットに映るのは『茨姫』との戦闘で見せていた美羽の姿だ。『魔眼花』だけではなく、ゲルズは監視カメラも茨姫の部屋には設置しておいたのだ。
撮影された内容を見ながら、難しい顔でトントンと指を叩いて呟く。
「『棘』は寄生植物。一度身体に入りこめば、付与した魔法の力で相手を支配する。即ち……『魔法』の結果であり、回復魔法で回復するわけがないのよねん……。彼女の回復魔法は本当に『回復魔法』なのかしらん」
原作では狂気の植物魔法使いと描写されていた『ゲルズ』。現実では、植物魔法使いであり、最高レベルの域に達する化学者でもあった。
人々を植物に変えて楽しむ単なるサイコパスと描写されていたわかりやすい悪役は、実際のところは、頭の良い研究者だった。
「彼女を捕らえて、その魔法を解析すれば、革新的な技術が手に入りそうねぇ。妾の研究も数歩飛びで進むかもしれないわん」
自分の肌を撫でて、ニヤニヤと嗤うゲルズ。その肌は年齢に似合わずカサカサだ。いや、単なる潤いのない肌というわけではない。
その表面は木の木目が見えており、木の皮であった。
「トレントとの融合。それに伴う延命……これも限界だしねぇ」
よく見ればゲルズの眦には皺が見え、老いが感じられる。見かけは30代であるが、実際の年齢は既に100歳をゲルズは超えている。
トレントとの一部融合を行い、彼女は延命をしていた。
ギギィッと、タブレットを叩くその指が木の人形のように鈍くなり軋み音をたてるので、顔を顰める。
「トレントとの実験は失敗ねぇ。植物との融合は、意識を失い、最終的に物言わぬ木になるのがオチねぇ……」
周りを見て、ため息を吐く。ゲルズのいる広間は巨大な空間となっており、多くの異形の花が咲き、実が無数に生っている。
「『不老不死』の魔法を早く完成させないとまずいわぁ。妾も後何年正気を保っていられるかわからない……」
植物魔法に長けて、化学者として最高レベルの女性『ゲルズ』。彼女はありがちだが、年老いて『不老不死』を目指し始めた。
非道なる実験を繰り返し、表の舞台から追われたゲルズは『ニーズヘッグ』の教祖に拾われた。その知識は卓越したものがあり、『魔力緩和薬』などを作成し、『ニーズヘッグ』に貢献していた。
全て『不老不死』のためである。
ありがちな目標と言えよう。植物という生命を操る魔法使いであり、優れた化学者だからこそ至った当然の帰結に思えるが、ゲルズの求める『不老不死』は、一般的な『不老不死』とは違った。
「鷹野美羽は『洗脳』から回復した。本人は自己回復と言っていたけど……その精神を常に正気に戻すように回復しているのかしらん」
ゲルズの求める『不老不死』は肉体的なものだけではない。
精神状態を保つことも目標としていた。
『不老不死』を目指すだけなら、色々と方法はある。死者の王『リッチ』や『ヴァンパイア』になる。植物と化す。電子の存在へと変わる。
しかし、ゲルズは人間として『不老不死』となりたかった。
五感を残し、食べ物を味わうことができ、睡眠を楽しむ。
何よりも精神だ。
結局は精神状態を『不老』にしなければならないと考えている。人間など数百年すれば、たとえ肉体が不老であっても、精神は摩耗し無感情となるだろう。
『リッチ』は生者を羨み、憎むだけの存在となり、『ヴァンパイア』は生きていることに飽きて、自ら日光の下に歩み出て自殺する。電子生命体は蓄積されるデータに呑まれて、精神は崩壊し自我を失い消えるに違いない。全て精神の摩耗が原因だ。
精神の『不老』は必須なのだ。
自らの自己を封印して、別人格を作る。一定の年月を経過する際に記憶を消去する。それでは精神の『不老』とは言えまい。
何か別のアプローチが必要なのだ。精神を『不老』にする何かを。
神のように精神を摩耗させないなにかを。
「正気に戻す……。この魔法があれば、常に精神状態を保てる? 摩耗しても治る? ………実験が必要ねん。鷹野美羽を攫うことに注力を……うん?」
精神の『不老』に対するヒントを得たのかもしれないと、興奮するゲルズであるが、腕に嵌めた小型端末からアラームが鳴り、顔を顰める。
「『強化茨姫』が倒された? ここに繋がる通路に配置しているのに……」
端末を操作して、結果を見て唸る。鷹野美羽たちが倒した『強化茨姫』。実はあの広間からここまで繋げている通路には同様の『強化茨姫』を36体配置してある。
さらに通路は茨に覆われて、『鉄塊蔦』に塞がれて侵入は不可能であるはずであった。
しかし、端末が伝えてくる内容は何者かが侵入したとなっていた。
「『鉄塊蔦』は、物理にも魔法にも耐性がある植物なのに簡単に破壊された? 『強化茨姫』と戦闘を開始した?」
通路には監視カメラや動体センサー、『強化茨姫』の体内には、バイタルセンサーを埋め込んである。
「奇襲……武士団がしてきたのかしらん……でも、これを見るに他の監視センサーからは反応がない……。反応は鷹野美羽たちが『強化茨姫』を倒した広間から来てるわん……まさか転移してきた?」
アンブローズ・ニニーの『鏡渡り』で転移してきたのだろうか? 特別製の魔法の鏡を設置しないと使えないというのは、表向きのダミー情報だったのだろうか?
「とはいえ、『強化茨姫』が36体。彼女らは植物同士、意思を統一し、一糸乱れぬ行動をとれる。しかも様々な罠植物も植えてある。何人で奇襲してきたかは知らないけど、センサーによると数人。たとえ粟国でも敵わないはずよ……ん?」
絶対の守りを誇ると自信満々に余裕の笑みを浮かべるゲルズであるが、すぐに顔色を失う。
「は、早い! 『強化茨姫』が倒されている! 妾の作った最新型の『強化茨姫』が!」
『茨姫』のバイタルが次々と消えていき、ゲルズは口元を戦慄かせる。
「最新型の『強化茨姫』36体が持たないっ! 全て倒されたわっ!」
信じられないと目を剥き驚愕して、慌てて塞いである通路へと目を向ける。監視カメラも動体センサーも次々と反応を返してこなくなり、破壊されていた。
そして、塞いである通路が爆発した。反対側から爆発して蔦は石灰化し、灰となって舞っていく。土埃が辺りを覆いゲルズの視界を阻む。
「ゲホゲホ、な、何なの?」
舞い散る煙を手で払い、ゲルズは通路へと目を凝らす。
「面倒くさいギミックね」
美しい声音が聞こえてきて、黄金の魔導鎧に身を包む女性が歩み出てくる。魔法使い型の魔導鎧で、宝石が散りばめられた装甲に、豪奢なマントを羽織っている。
豊満なスタイルは胸当てに覆われて、トーガのようなドレスを着ていてもわかる。
「時間稼ぎで設置しているとすれば、役立たずだったな。弱すぎる」
嗄れた老人のつまらなそうな声が聞こえてきて、戦士型であろう、全身を銀色の騎士鎧に似た魔導鎧で包む男も姿を現す。
「ん〜、ここはそうなんだ。ずっと雑魚戦が続くんだよ。面倒くさいんだよな」
最後に現れたのは、コロコロとした可愛らしい声音であるが、その口調は乱暴な少女であった。小さな体躯に蒼き魔導鎧を着込んでいる。その鎧は、揺蕩う海を感じさせた。
背部には妖精のような半透明の翅を搭載してある。猛禽のような形の魔導鎧だ。上半身はぴっちりとしたスーツで、パンツルックの活発そうな姿だ。
「な、何者? 妾の植物園になんの用かしらん?」
三人が装備している魔導鎧から放たれる強烈なマナ。明らかに尋常な相手ではない。しかしながら、その顔はヘルムにより隠されており、誰かはわからない。
少女が一歩前に出ると、すうっと片手をあげる。
「俺の名前は『ロキ』。この植物園を見学しに来たんだ」
「『ロキ?』」
「あぁ、この植物園は違法施設の可能性があるんでな。悪いが見学させてもらうぜ」
そう告げてくると、少女の口元に凶暴な笑みが浮かぶのであった。




