107話 裏鎌倉
鎌倉に1000人規模の武士団の大隊が展開を始め、テントが張られて、結界柵が周囲を囲む。淡く結界柵が光ると、ドーム状の結界が大隊の拠点を覆う。
武者鎧のような魔導鎧『正宗22式』を装備した武士団はきびきびとした動きで、鉄条網を張っていき、土嚢を積んで、拠点を要塞化していく。
テント脇に積まれ始めた資材を前に、杖型魔導具を持った者が魔法を使う。杖から資材へとマナの光が移っていき、セメントが宙に浮き、鉄筋が合わさり、地面へとコンクリート壁となって建っていった。
あっという間に、小さいながらも、頑丈そうな兵舎が建設されると、内部を整えようと組み立て式家具を持って、工兵が中に入っていくのであった。
真白や長政の所属する『東京調査隊』は、練度の高い動きを見せて、順調に長期滞在可能な拠点を建設していく。
時折廃ビルなどから、のそりとゴブリンたちが顔を出し、ホーンラビットが縄張りを荒らされまいと、武士に襲いかかるが、慌てることなく武士団は対処して、危なげなく勝利を収める。
その様子からは、短い時間で拠点が設営できると思わせていた。
遠く離れたビルの屋上から、双眼鏡で覗いている者も、そう考えて深くため息を吐いた。
「はぁ〜、さすがは音に聞こえた帝国武士団ですね、団長〜。団長の言うとおり、ここに拠点を作らなくて正解でしたよ」
深くフードをかぶり、ぼろぼろに見える黒のローブを羽織る男が、双眼鏡から目を離して、後へと話しかける。
「ふむ……私の聞いた話では、武士団は脆弱で汚職まみれの集団だったんだがね」
錆びた給水タンクに寄りかかり、やはり同じようにぼろぼろの黒いローブを着た男が、腕を組んで面白そうに答える。同じようにフードをかぶっており、その顔はわからない。
「なにそれ? どこの世界の話よ。日本魔導帝国の武士団は精強で、下手したら軍よりも強い。あっちらが日本で戦いたくない連中の一つ」
瓦礫だらけの汚れまみれの床を気にすることなく、べたりと座っていた者が呆れた声で口を挟む。ローブ越しでもわかる豊満な胸が女性であると語っていた。
「すまない。私は時折常識を間違えて覚えているようでね、アンナルやエリにはいつも助けられているよ」
男の声は若くまだ20代ではと思わせるが、どこか魅力的な声音をしており、不思議な雰囲気を与えてくる。
「まぁ、あっちらもイミル団長に助けられたからこそ、ここにいるんだしね。お互い様ってこと」
エリと呼ばれた女性が、どことなく照れ気味に答えると、アンナルと呼ばれた男は双眼鏡を手の中でもてあそび、ニヤリと笑う。
「そうそう、俺ら団長が奴隷商人から助けてくれなかったら、普通に死んでたし」
「あっちらの隠された力っつーのを覚醒してくれたしね」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。私も君たちを助けられてとても喜ばしい」
口元を笑みに変えて、イミル団長と呼ばれた男は薄く笑う。
「あー、でももう投資は勘弁。俺っち、団長の勧めてきた株で大損しちまいましたよ」
「馬鹿だね、あんたは。イミル団長の予言は7割程度の命中率なんだ。分散投資しなかったわけ? しておけば、トータルではそこそこ儲けたでしょうが」
「……一点にぶち込んだ……」
呆れた声を上げるエリに、アンナルは気まずそうにそっぽを向く。
「予言とは大袈裟だね、エリ。すまない、アンナル。私も数多の情報から推測しているだけでね。どうやら、私は投資には向かないようだ」
「まぁ、今回は当たりましたよね。帝国の武士団が鎌倉を拠点にするべく、やってくるという推測」
「臆病者のあんたは、鎌倉に拠点を設立しようって、うるさかったもんね。あんたの言うとおりにしてたら、今頃武士団とドンパチさ」
「へーへー、俺っちが悪うございました〜。すみません、エリ様〜。いてっ、痛いって、やめろよエリ!」
まったく反省していないどころか、からかうように言ってくるアンナルに、エリは転がっていたコンクリート片をぽいぽいと投げつける。
その様子を尻目に、イミルは遠く離れて拠点作りに精を出す武士団を見つめて考え込む。
「あの大隊には、第二皇子の弦神長政と帝城家嫡男の帝城真白がいるはずだ」
その呟きにふざけあっていた二人はぴたりと動きを止めて、イミルへと顔を向ける。
「第二おうじぃっ!」
「帝城って、武士団の頭領じゃなかったっけ?」
驚きの顔になる二人へと、イミルはコクリと頷く。
「ドルイドの臣民化、そして、東京の調査、最後に……いや、これはもうないんだろう。その2つのためにやってきたはずだ」
なぜか最後のセリフは言い淀み、撤回すると二人へと向き直る。
「おいおい……俺っちたち、ここになんのためにいるんでしたっけ?」
「もう忘れたのかい、アンナルは馬鹿だね。あっちらはドルイド狩りに来たんでしょーが」
「知っとるわ! だから、団長に確かめているんだろうが! 団長、まさか武士団とやり合わないですよね?」
「あっちは殺れと言われたら、イミル団長の命じる通りに殺るよ」
「短絡的だろ! 俺っちたち傭兵団だぜ? 指名手配の犯罪者集団じゃねーの。ね、団長? やり合うなんてことはしませんよね」
息のあった漫才コンビのように、やり取りをするアンナルとエリ。エリは強気な態度で、アンナルはへへっと揉み手をして、イミルに懇願する。
「もちろん、私たちは犯罪者集団ではない。ドルイドは法に守られないグレーな者たちだ。彼らを捕まえていたのがバレても保護していたと言えば、逃げ切れるとは思うが……それでもまずいことになるだろう」
「ほっ。そりゃそうですよね。あっちらは金稼ぎは好きだけど、犯罪者になりたくはないですもんね」
あからさまに安堵するアンナルを、ケッとエリが馬鹿にしたように舌を鳴らす。
「それに私たちが戦う必要はない。彼らは彼らの敵がいるからさ」
「お偉い皇族や貴族に手を出す馬鹿がいるんですか?」
「あぁ、東京にはもう一つ集団が訪れているはずだよ。彼らはその集団と激突する。だが……ふむ……詳細はわからないな」
「でた! 団長の予言! なにか予知したんですか?」
指を鳴らして、軽い口調でアンナルが口笛を吹く。ともすれば、馬鹿にしたような態度にエリの目が殺気を宿す。
「今回のドルイド狩りは、念には念を入れておこう。地形的に私たちはドルイドとの戦闘において劣勢だ。戦闘の場面を見られても良いように、スケープゴートを作っておこうじゃないか」
イミルは、面白いことを思いついたと、口元を歪めると、アンナルに指示を出す。
「アンナル。一つお願いがあるんだが、良いかな?」
「はい、なんすか?」
「ここは、私たちの傭兵団がやったとバレないことにしよう。悪名で名前を売っても、良いことはあまりない」
「そうですね。俺っちも安穏とした生活をしたいですよ」
「同感だ。やはり金があり悠々自適の将来を私も願うよ。でだ、一人の偶像を作ろうじゃないか。そうだな……『ゼピュロス』。空を駆ける傭兵『ゼピュロス』という悪名高き傭兵団長というのはどうだろうか?」
その言葉にピンときて、アンナルはニヤニヤと可笑しそうに笑う。
「なーる。いもしない人間を団長にして、カモフラージュってわけですね。さすがは団長! オーケーです。でも空を駆けることはできませんよ?」
「今ある『魔導鎧』を改造して、それっぽく見せよう。なに、手持ちの『飛翔』の魔道具を何個か取り付けて、短時間でも時折それっぽく暴れてくれれば、目立つだろうよ」
「了解です。どんな顔のやつにしますか?」
「そうだな……いかにも傭兵というような、荒くれ者で短気な性格で頼むよ。戦闘狂が理想だね」
「へーいっ。そうだなぁ……とすると、こんな顔でどうすか?」
『闇形態』
アンナルの足元から闇が吹き出すと、その身体を纏わりつくように覆っていく。闇に身体を沈み込ませて、姿形が粘土のように変わる。
そうして、闇が晴れた後には、中肉中背だが、体は引き締まっており、鍛えられているとわかる男が立っていた。
「できましたよ。どーです、団長?」
なぜか立っている男は口を開いていないのに、アンナルの声が聞こえてくる。
「大変いいね。さすがはアンナルだ。そうだな、もう少し目つきを鋭くして、口元は常に人を小馬鹿にするような笑みであるようにしてほしい」
「へいへい。こんな感じすか?」
イミルの注文を受けて、どこからか聞こえてくるアンナルの声に合わせて、立っている男の顔がポコボコと不気味に歪むと、またもや顔が変わった。
「あぁ、『ゼピュロス』らしい。これでヘルメットを被れば、『ゼピュロス』と誰しもが思うだろう」
「『ゼピュロス』で、名を売れば良いんですよね?」
「そのとおりだよ、アンナル。要所要所でチラチラと姿を見せて、官憲をミスリードしようじゃないか」
満足げにイミルは頷くと、上機嫌に笑う。めったにそんな笑いを見せない団長に、二人はぎょっと驚く。
部下が驚いた顔を見せたことに、またイミルはクックと笑う。
「いや、すまない。これで『ゼピュロス』が武士団とこれから訪れる集団との戦闘時に邪魔をすれば完璧だ」
「どちらの邪魔をするんですか? 殺せと命じてくれれば、あっちは殺しますけど?」
「武士団の邪魔をするんだ。想定よりも遥かに強い大隊のようだからね。ここらで天秤を元に戻そうと思うんだ」
エリの盲目的な忠誠に、イミルはフッと笑い、エリの頭をフード越しに撫でる。
「ありがとうエリ。君の言葉はとても嬉しいが、だが私たちが殺したら駄目なんだよ。彼らは殺されなくてはならないが、それをするのは私たちではないんだ」
「よくわからないすね。たまーに団長はわからないことを言いますよね」
「ふふ、そうかい? だが、危険な橋を渡る必要はないだろう? そして、彼らが死ぬと喜ぶ人間に何人か心当たりがある。その人間から金を貰えば良い。高く情報を買い取ってくれるだろうよ」
「それなら、俺っちにもわかります。さすがは団長!」
「それに探し物が見つかるかもしれない」
喜ぶアンナルに、イミルは面白そうに言う。
「イミル団長が探し物?」
首を傾げて、エリがイミルを見つめてくる。団長が探し物をしているなど、初めて聞いたからだ。
「あぁ、蝶を探しているのさ」
「蝶? どんな蝶?」
「どんな蝶かは、実は私もわからない。物事は簡単ではない。見かけだけではわからない。どこに蝶がいるのか、私も知らないんだ」
「謎かけっすか?」
「いや、これは真実そのとおりなのさ。さて、それじゃ、待機している仲間の下へと合流しに行こう」
身体を翻し、イミルは歩き出す。アンナルとエリもイミルの後を追いかける。
「さて、どんな蝶なのか、とても興味があるのだが、今回の事件が失敗するのであれば、見つかるかもしれないな」
イミルは楽しげに、フッと微笑む。そうして、歩くイミルやエリたちの姿が空中に溶けるように消えていく。
「虫取り網を用意はできないが、餌は用意できるかもしれない。どんな蝶なのか、期待していよう」
そうして、廃ビルの屋上には人気がなくなり、僅かに残っていた靴跡も、風に晒されて消えていくのであった。




