106話 鎌倉
みーんみーんとセミが合唱団を作って、周囲へと鳴き声を披露している。ギラギラとした真夏の陽射しが差し込んで、暑さでユラリと空気が歪む。
元は土産物屋だったのだろうか。触れたら崩れそうなぼろぼろの幟が立て掛けてある廃墟があった。お土産は当店にてと、辛うじて読める看板が風雨に晒されて、ギィギィと軋み音を立てている。
元は5階建てであったのだろう雑居ビルは、半壊しており、瓦礫の山となっている。建ち並ぶ家屋は焼け焦げており、傾いたドアから草木が飛び出していた。石道は、細かく砕けて雑草が侵食して、轍すらもないので、後数十年経てば道があった跡すらも消えるに違いない。
じーわじーわと蝉が合唱をして、繁茂する草むらの陰でうさぎが草を齧っている。鹿の親子が道路をのんびりと歩いており、放置されて錆びている廃車に巣を作った小鳥がぴぃぴいと鳴いている。
人の住む気配がまったくないことを除けば、長閑な風景であった。
だが、のんびりと歩いていた鹿が足を止めて、耳をピクピク小さく揺らし、頭を持ち上げて鼻をヒクヒクと動かす。
なにか危険を感じたのだろう。子鹿を連れて跳ねるように駆け出し、その姿を消す。
その後、すぐに地面がガタガタと震動し、草を食んでいたうさぎたちも少し遅れて逃げていった。
ゴゴゴと大きな音を立てて、震動の原因が姿を現した。
大人の背丈と同じ高さの巨大なタイヤを8輪つけた装甲車だ。装甲車というよりも、タイヤのついた揚陸艦といった方が良いであろう。
分厚い魔鉄装甲で建造された地上を重々しい音を立てて進む地上揚陸艦。長方形の船体に、船首は強化ガラスの取り付けられたブリッジが見える。
魔法の込められた6門の戦艦砲と4門の高射砲、船体の横には8門の大型機銃が備え付けられていた。
全長55メートル、全高12メートルの大型地上用揚陸艦『大虎』である。にゃーんと船体に猫のマークがワンポイントに付いているのが、少し可愛らしい『猫の子猫』商会の建造した地上用揚陸艦である。
夏の日差しを重厚な装甲が照り返して、放置されている車両を踏み潰し、小さな岩などの障害物もその重量で砕き、繁茂する草を掘り返して、更地にしながら進む。
後続に数十台のトラックやジープが続き、今は放棄された廃墟地区の中を通過していくのであった。歩道に立て掛けてあった錆びきった標識が震動でカランと地面に落ちる。
『鎌倉へようこそ!』
僅かに読める文字からは、そう読み取れた。
ここは、鎌倉。永遠なる防御結界が貼られている元は源頼朝が幕府を開いた地であり……最早住む者は居らず、捨てられた土地だ。
『大虎』は、草木で埋もれていた道路を、その巨大な船体で更地にしながらしばらく進み、目的地に到着すると、プシューと排気音をたてて停車した。
船体の後部ハッチが、ゴウンゴウンと音を立てて開くと、武者鎧を着込んだ者たちが飛び出してくる。先進的な戦艦に合わない古臭い姿の者たちだ。
彼らは朱色の槍を構えて、統率のとれた動きで辺りへと散らばると、思念通信を始める。
『アルファチーム、クリア』
『ブラボーチーム、クリア』
『了解、結界の様子は?』
『こちらイーグルチーム。数個のダンジョンを発見。魔物の姿なし』
『ラビットチームだ。ゴブリンの集団を確認。駄目だな、危険地域と判断します。街の結界の内側にダンジョンは発生しているようです』
武者たちの思念通信は、『大虎』のブリッジにてオペレーターへと次々と集まっていく。思念通信用のインカムを耳につけたオペレーターは頷いて、デスクに備え付けられているタッチパネルをポンポンと叩く。
ブリッジ前面の宙に浮かぶ鎌倉地区のマップの色が緑や黄色、赤へと変わっていった。地区の危険度を色で示しているのである。
手慣れた様子で、オペレーターたちは、偵察に向かった武者たちの情報を選り分けていくのであった。
『大虎』のブリッジは滑らかな床や壁、配置されている席にはオペレーターを始めとして、火力管制担当や、レーダー担当や参謀たちが座って、忙しそうに仕事をしている。ブリッジの宙にいくつものホログラムで作られたマップや、周囲の様子などが映し出されている。
皆は簡素な甚平のような和服を着ており、その肩には『日本魔導帝国武士団』と刺繍されていた。甚平は一見薄手の服に思えるが、よくよく見ると魔法付与されており、下手な鉄の鎧よりも硬いことがわかるだろう。
提督席にて、次々と入る情報を白髪が交じる老年の男性が確認して、隣に立つ者へと声をかける。
「予想よりも酷いと思うかね、帝城副提督?」
「いえ、予想よりも良い状況です。背の高い木々はないようですし、大型の魔物も姿を見せていない。鎌倉にあるダンジョンは比較的弱い魔物たちから成るダンジョンのようですので、攻略も容易でしょう」
にこやかに答えるのは、帝城真白であった。闇夜たちに見せた柔らかな笑みは変わらずに、提督へと答える。
服の肩に付けられているのは、副提督を表す徽章だ。
「魔塔出身の君のレベルで判断されると困るよ?」
老年の提督は、口端をあげて、試すように尋ね返すが、もちろんですと真白は肩をすくめてみせる。
「武士団の方々は優秀です。ゴブリンが出たということは、ゴブリンキング、もしくはゴブリンエンペラーのダンジョン。僕の教えて頂いた資料では、ダンジョンを攻略するための充分な戦力を武士団は持っているかと。さすがは帝国を守る武士団の精鋭たちと、感心しております」
「その言葉に社交辞令が混ざっていないことを祈るよ。では、次はどうする?」
「まずは結界を張っている大仏に異常がないかの確認を。並行してキャンプ設立のために、周囲に結界柵の展開をさせましょう。斥候部隊をいくつか街に向かわせて、魔物の集団を片付けておく遊撃隊を出撃させることを提案します」
スラスラと淀みなく提案を口にする真白に、老齢の提督は好ましそうに目元を緩めながらも、その提案を修正する。
「遊撃隊はまだ早いよ、副提督。ともすれば、遊撃隊が大規模な魔物の集団を釣る可能性もある。その場合、拠点警備の者たちも戦闘に駆り出されて、少なからず混乱が起こるだろう。後は採用する」
「はっ! 了解しました」
経験から成る提督の修正案に、素直に頷くとピシリと敬礼を返す。
「遊撃隊を編成するなら、俺も連れていってくれよな、真白の兄貴!」
ズイッと身を乗り出して、大柄な男が身を乗り出し、豪快に真白の肩を叩いてくる。真白は、苦笑しながら、男へと顔を向ける。
「長政君は初陣だっけ?」
「いや、もう何個ものダンジョンを攻略しているし、初陣じゃねえな。大型の魔物も何匹も倒しているぜ」
自信満々で、分厚い胸板をドスンと叩き、得意げに顎をしゃくり笑うのは、弦神長政であった。
皇族の第二皇子、今年14歳になる男の子だが、成長著しく、背たけは2メートル近い。
「君の魔法は知っている。たしかに無敵だとは思うが、油断は禁物だ。戦闘に絶対はない。それに、長期勤務は初めてではないかね? 真白君はたしかイギリスで経験があったね?」
「はい、最長で2ヶ月間、魔塔は実戦も重視していますので」
「たしかに数日が最高だけどよ、数日だって、数カ月だって、変わらねえよ。俺には無尽蔵の体力があるからな!」
提督が鋭い視線を向けるが、その眼差しに気づかない長政は、ガハハと豪快に笑う。真白は長政の様子に気づいて、タハハと弱々しく微笑む。
「若いな。長政君は学校を休んでまで、皇帝陛下が君をこの作戦に加えた意味がわかっているかね?」
「箔付けだろ? 将来で軍を率いるためにも、武士団の今回の作戦に加えてくれたんだ! 真白の兄貴だってそうだろ? いきなり今回の作戦の副提督に任命されているしな。なら、俺は活躍しなくちゃならねぇ」
あまりにも正直に答える長政に、老提督は皇族に似つかわしくない素直な武人だと好感を持つが、その若い短絡的な考えを修正しなければなるまいとも決意する。
「たしかに箔付けもあるだろう。しかし長期のこういった任務はめったにない。貴重な経験をさせようという皇帝陛下の君への優しさだよ」
「どうせ、魔物を倒すだけだろ? 難しいことはないと思うんだがなぁ」
「いや、今回は東京の現状を調査して、できれば住み着いているドルイドたちを臣民として迎え入れるのが任務だよ。人と人の交渉はとても難しいものなんだ。できれば、武力行使は避けたい」
真剣な顔で口を挟む真白の言葉に、なるほどなぁと、長政は顎をかく。
「そのために来ているのだ。君を遊撃隊に入れて遊ばせるためのものではない長政君」
凄みを感じさせる提督の笑みに、威圧されて仰け反る長政。
「それに今回の君は警備隊副隊長だ。ブリッジにいて、何をしているのだね?」
「それは、えっと、ですね……。俺も状況を知りたくて……」
長政は大柄な体躯を縮こませて、指を絡めて気まずそうな顔になる。まずい展開だと察して、額から冷や汗を垂らす。
「ならば、持ち場に戻り給え! こんなところで、油を売っている場合ではあるまい!」
「了解であります! 弦神長政、持ち場に戻りますっ!」
敬礼をすると、バタバタと足音荒く逃げるように、長政はブリッジを去っていくのであった。
その姿を見送って、クックと提督は笑い頬杖をつく。
「若いな。あの年頃だ。遠足とでも勘違いしているのかもしれん」
「提督は長政君を特別扱いしないんですね?」
「ここで特別扱いをして、将来の愚物を作る手伝いはしたくないよ。彼は軍か、武士団のトップになるんだろう。いや、……軍か。今回の作戦は神無公爵の軍は外されているしね」
それがどのような意味合いを持っているか、老提督は知っている。弦神長政が軍の筆頭につく意味を。
神無公爵を権力の座から遠ざけようと言うのだろう。何やらきな臭い任務だと、今回の任務についても、思うところがあった。
「未来は誰にもわかりませんよ。そういうことにしておきましょう。っとと?」
真白はにこやかに笑いながら、腕に嵌めた腕輪が震えたことに驚く。
「ん? 通信かね?」
「えぇ、ここまで送れる思念通信とは凄いな……誰かな? 確認してもよろしいでしょうか?」
思念通信といえど、ここにいることは誰にも教えておらず、中継器も無いこの地に武士団以外や身内以外の者で飛ばせる者がいるとは思えなかった。
「あぁ、私も少し興味があるね。誰からなんだい?」
「えっと………魔塔の知り合いだ」
「魔塔? あそこから、ここまで飛ばしてきたのかい?」
「はい、まだ10歳の女の子なんですが、とんでもない才能の持ち主なんです。何故か非常に懐かれまして。………なんだ、夏休みは日本に来ても良いかという連絡でした」
ピピッと腕輪を操作して、思念通信の内容を真白は確認すると、クスリと微笑む。
「それだけのために、思念通信を送ってくるとは……たしかに凄まじい能力の持ち主だな」
肩透かしの内容であったなと、提督と真白は笑い合う。
「うーん、闇夜がいるから大丈夫かな。『僕はいませんが、良かったら』………返信と」
「可愛らしいガールフレンドだな。さて、では気を取り直して、拠点作りと行こうか」
「はい、できるだけ急いで拠点の構築に移ります」
そうして、真白たちが加わっている武士団の大隊は鎌倉に拠点設立を始めるのであった。




