十三 ヨロコビと恥じらいのからむ
***前回のあらすじ***
コアイは愛しい彼女、スノウにくちづけられた。
それは、はじめての。
身に合わぬ、毒となる薬液を……飲み干した時に少し似ている。
それなのに、微かな不快感も……まるで感じていない。
彼女に毒を口移されたようなものなのだろうか?
しかしこれが彼女の毒だというならば、余さず受け入れたいとすら。
触れたスノウのそれは、コアイをいっそう激しく震わせた。震えに伴って身体中に走っていく痺れは、皮膚を刺す軽い痛みとすら感じる。それほど鮮明で、どこか甘い。
彼女の顔はコアイの目の前にあり、両手はコアイの項に軽く触れたまま動いていない。他の部位は、概ねコアイの身体に乗っかっている。
すぐ傍で彼女に触れているが……触れていない部分も、軽く触れられているような。それはおぼろげながら、どこか甘い。
息が苦しい、彼女の身体を支えているからではなく……やわらかに触れあう間近の隙から吸い込む息までもが熱く、胸の内側に触れてくるような。
それに呼応するような胸の高鳴りが身体を揺らす。その振動もやはり、どこか甘い。
もちろんそれらは言うまでもなく、不快でない。
身体のあちこちから全身に温度が伝わり、力を奪い、疼きと熱がコアイを蕩かしていく。
近過ぎてかすんで見えるスノウの顔は、いつしか目を閉じていた。またその顔は、どことなく紅みを帯びたようにも見えるが……それは最早些細なことである。
彼女のやわらかな先に触れられ続けたコアイの心身は、すっかり脱力して……ときおり小刻みに震えていた。
「ん……」
どれ程時が過ぎたのかはわからないが、不意に鼻にかかったような声が口元の隙間から漏れた。それとともに、コアイの身体がそれまでより少し大きく、跳ねるように震えた。
「ぁっ」
コアイの身体が跳ねたせいか重心が崩れ、スノウの身体がコアイの上からずり落ちた。
つまり二人の唇は、重力に引き離された。
「んぅ……?」
コアイの横に肘と膝を落とした衝撃ゆえか、スノウは戸惑ったような音で唸った。
ちょうどコアイの頬に頬を擦り付けるような体勢となり、コアイの耳元で音を唸らせた。
その、耳元で煌くような声はやはりコアイを痺れさせた。しかし、先に触れていたものよりはコアイへ伝わる刺激が弱い。
コアイは抗いがたく甘い熱の痺れから解き放たれ、彼女の全体へと意識を向けることができた。
しかし、そうした途端にコアイは猛烈な気恥ずかしさを覚えて……意識を逸らしてしまった。
なんだ、何故か分からないが、彼女を思うのがとても照れくさい。彼女を見ようとするのが照れくさい。恥ずかしい。
だがそれ以上に、彼女に今の自分を見られることを想像すると……どうにも堪らない。
コアイは思わず後ずさりしていた。
彼女から身体を離し、心身を落ち着けようと…………
それでも、強く重い胸の鼓動が鳴り止まない。
「ん、ぅん~……」
ま、まずい! 彼女が起きてしまう、こんな私を見てしまう!
コアイは寝返りを打ったスノウから意識を外そうと抗う、されど目を離せないままで熱く荒い息遣いを繰り返す。
胸を叩き続ける痛みと、荒い息とがコアイの意識をクラクラとふらつかせる。
「ん~……あぁ、よく寝」
「うわぁっ!?」
ダメだ、こんな私……見せられない!!
スノウが身体を起こしたのを認めた瞬間、コアイの手指から赤い紐状の液体が飛び出していた!
それは瞬く間に、寸分の狂いもなくスノウを囲む召喚陣を象り、
「あ、王サ」
召喚陣は弾けるように、撫子色……淡い紅に輝いてから彼女ごと消え失せた。
彼女を失った暗がりの中、少しずつ息が整い、胸の暴れが収まり、意識がはっきりしていく……
「ぁ……はぁ……」
コアイは眩暈の和らぐ中で、溜息交じりに呆けた声を零していた。
コアイの目の前で召喚陣が描かれ、帰還の術が発動し、スノウを本来の世界へ還していた。
しかしコアイは覚えている限り、帰還の詠唱をしていない。それどころか、召喚陣を描く命令……血術を起こした記憶もない。
無詠唱での召喚術の行使も、無意識下での血術の発動も……それらはいずれもコアイの知る限りでは、有り得ないことである。
私はそんなこと、命じていないのに……
しかし現に、先刻『魔獣の王』を刺し殺した血術も、おそらく……明確に命じたものではない筈だ。
今のところその理由には見当もつかないが、己の術、あるいは魔力が変質しているのだろうか。
それは、ともかくとして……
本気で彼女を帰しかった、離したかったわけではない。ただ彼女に合わせる顔がないと、何故か恥じ入っていただけ。
それなのに、碌に話もせず追い返してしまった。
悪いことを、してしまった。
ああ、それに……彼女のものを貰うこともできていない。
次に彼女を喚ぶときは、壁に掛けたあの絵を使わなければいけないか……勿体ないな…………
次は、気を強く持って、彼女と向き合わなければ。
次? 次、か……
さっき自分で追い返したはずなのに、今はもう一度彼女に逢いたい。
顔も合わせられなかったはずなのに、今はもう一度彼女を見つめたい。
コアイの心身が染まったのと同じように、空はすっかり明るい色に焼けていた。
しかしそれには浸らせぬとばかりに、猛烈な暴風が無限に吹き付け続けるかのような、頑なで荒々しい魔力の巨塊が近付いてきたことをコアイは察知した。




