八 花をカリて手向けよう、はな棄ててでも
女は高く、大きく、がなり立てるような金切り声を上げてから、その場に蹲った。
「姉ちゃ……お姉ちゃん…………」
女は二、三度息を整えたか、徐に力無く立ち上がる。
女の顔は、抱きかかえている亡骸のそれと、どこか似ているように感じられた。それよりは少し色白で。黒い髪を束ねているという違いはあったが。
しかし、具える魔力の質……女から伝わってくる感覚は、亡骸が伝えていたそれとは異なっている。
やがて女はゆっくりと、にじり寄ってきた。
「……かえせ……」
背を丸めて顔だけを上げ、上目づかいにコアイを見据えながらよたよたと進むその姿は……飢えに悶え耐えながら歩む獣のようにも見える。
「かえせ……姉ちゃんを返せぇ!!」
十歩ほど進んでから、女は声を張り上げた。それに合わせるように力強く踏み出し、真向かうかのようにコアイの前に立ちはだかった。
女が喚くそのことに対して、特に反抗する気はない。
コアイは亡骸を抱く手を前に伸ばし、女に取らせてやる。
女は涙を溢れさせ声にならない悲鳴のような音を鳴らしながら、コアイから亡骸をひったくった。
「うぐっ、なんで……なんで……なんで、お姉ちゃんが…………」
女は少し離れたところで亡骸を寝かせてそれにすがり付き、声と身体を震わせている。
一頻り泣き喚いて、気が済んだのち……この女はどう動くだろうか?
亡骸を抱いて一度退くのか、このまま私に襲いかかるのか。
今のコアイの関心は、女の対応……その一点に向いている。故に咽び泣く女の不意を突くことも立ち去ることもせず、先の城市を攻めに向かうこともせず……暫く女の様子を眺めていた。
どれ程、女の嗚咽を聞いていただろうか。
ついに女の泣き声が収まり、震えのないはっきりとした呟きが聞こえてきた。
「……待っててね、お姉ちゃん」
「みんな、みんなブッ殺して、全員殺せたら……」
「あたしも、そっちに行くから」
女の魔力は獣脂の塊のようにねばつき、腐肉のようにどす黒く臭っていた。それは先ほどまで女から感じていたものとは明らかに異なっている。
強い感情と魔力が和合し、それが未発達な部分をも呼び覚ましたのだろうか。
ただ、そのような推測の一方で、確かなことが一つ。
それは、人間から感じられる種の魔力ではなかった……
「あたしの姉ちゃんを殺したこいつも、」
「あたし達をこんなとこに連れてきた神様も……」
「男のくせに姉ちゃんに守られてた彼ピくんも、」
「何をするにもあたし達頼みでいるここの人たちも……」
女の呟きが静かな熱を帯びるとともに、漏れ出す魔力が濃くなっていく。
「みんな……みんな嫌いだ。きらい、殺してやる。みんなキライ、ころして、コロシテ…………」
「殺してや゛るッ!!」
女は佩いていた剣を抜く。そして、手にしたやや刀身の短い剣を握り締めながら真っ直ぐコアイへ襲いかかる!
この女、確か……アライアと言ったか。以前魔術を受けたときは、まずまずの使い手だったような。
だが、この魔力は……以前とは別種の力であろう。戦法も、以前とは違う?
面白い、楽しませてもらおうか。
コアイは改めて、女に正対した。
「クソッ、クソッ……なんで…………」
辺りは一面、草の茂っていた地表がえぐられ……土の剥き出した荒れ地に変わっている。
烈しく憤る女の攻撃は、周囲の地形を変えるほど激しいものではあった。
しかし、それはコアイの護りを破り、その身に届くほどの力ではなかった。
「そろそろ気が済んだか」
コアイは静かに語りかけた。
その言はむしろ、コアイの心中を表しているのかもしれなかった。
魔力は確かに強力だが……それを現象として変質、顕現し切れていないように感じる。
いや、こんなものなのだろうか……?
「そんなわけ、ない!」
女はキッとコアイを睨み、戦意を露にした。
「ほう……ならば私の攻めも受けてみるか」
女の敵意が混じった戦意に中てられ、コアイは風を想起する。
「風よ我が刃よ、『突風剣』」
女は懸命に風刃を避けながら、反撃らしい反撃はせずコアイの隙を窺うように間合いを保つ。
コアイは女を切り刻もうと風刃を繰り出す一方で……ふと思い付いた別の策を試してみることにした。
暫く血術を使っていなかったから、爪で直ぐに開ける傷口は残っていない。
コアイは指先を齧った、そして外界に滲み出た己の血に命ずる。
そしてそれと同時に、大きめの風刃を象り女へ飛ばす……
「くっ、大き……ぃぎっ!?」
女には見えていなかったのだろう、風刃とは別に放たれた血縄が女の細い頸を捉え締め上げた!
「う、ぐぁ゛っ……やめ、はなし……て……」
血縄は女をきつく締め付け、体力を、意識を薄れさせていく。
女の動きは、握り締めていた剣を取り落としたのを皮切りに少しずつ鈍っていく。
「ぎっ、あ゛……あ、ダメ……ぇ…………わ、わかっ、た……」
女は首を掻きむしりながら片膝を付き、うわ言のように何かを零していく。
「……私は、装でんされたう゛つわ……」
女が必死の形相で呻き声を上げる間にも、その生命は失われていく。
「おね、が……『映写』……ぅ゛ぅ」
すっかり色を失った女の唇がそこまで言い切ったところで、震える手が女の首から離れだらりと投げ出され……その身体はふらりと倒れ込んだ。
そして、その瞬間……コアイの眼前で何かが弾けた。
女の息の根が止まったのであろうか? いや、それは先程のような強大な魔力の終焉とは異なる感触をしていて……
不意に女の身体が起き上がった、それとほぼ同時に血縄を引き千切られたことがコアイの意識に伝わる。
「オオ……おお、オレサマの身体だああぁぁぁァァァァ!!」
血縄を戻したコアイに、女から発せられた叫び声が届く。
その声色にはひどく不似合いな、荒い叫び声。
その少し風変わりな口調は、コアイの記憶をくすぐり……懐かしさを感じさせた。
しかし、それはあの空から響く声のような、不快感を伴う懐かしさではない。
「女、オレサマにまかせろ。言ったとおり、こいつはオレサマがコロしてやる」
それははっきりと地に足の付いた、好き敵手の懐かしさ。




