六 カレ散り逝くわざわいのはな
「ヒサくん、回すよ!」
「ォエっス!!」
崖のようにせり上がった土の向こうから女の声が、そしてコアイのすぐ傍でそれに呼応する男の声が張り上げられていた。
「Double, double, coil and trouble!!」
男は何やら叫びながら中空に浮く剣へと飛びつき、その柄を強く握る。それとほぼ間髪を置かず、男の全身が回転を始めた!
「『穿刃』! 『穿刃』! うおぉォあああアあ!!」
速度を上げながら回転する男の全身、特に剣の切っ先から圧縮された魔力のうねりを感じられる。それを男から感じるよりもさらに強く、何処からか……否、女の居た側から男を取り巻く、包み込むような熱を伴う魔力が流し込まれているのを感じた。
人間が、これほどの力を……
コアイは地面に埋まっていた両足を引き抜く以外には手を出さず、何も言わず……回転する男の剣と自らの護りを見ている。
すると男が回転を速めるに連れて、少しずつではあるが……コアイを包む、緩やかな流水の護りが穿たれていく。
くさびを打ち込まれたことで護りの水流が乱れるのを暫く眺めて、その混沌、乱脈のさまを愉しんでから……気が済んだところで、コアイはひとつ風刃を飛ばしてみる。
「風よ我が刃よ、『突風剣』」
コアイの詠唱に応えて生まれた幅広の風刃は、軽やかに飛び上がっていく。
風刃は妨げられることなく男に当たり、しかしその回転に流されてか横へ弾かれていった。
なればもう一つ、試してみるか……コアイは別の詠唱を始める。
「灯よ走れ、趣くがままに」
「熱を語れ、求むがままに」
己を焼かない程度に、魔力を抑えながら。
「望むがままに、駆けて燃やせ 『猫火』」
詠唱を終えると、コアイの掌に白い火球が形成された。それは人の赤子ほどの大きさをしており、術者であるコアイにも熱を伝えてくる……
ローブの袖に火が移る前に、コアイは火球を男へ放った。
ふらりと輝いた火球は男に当たり、しかしその回転に妨げられてか周囲に飛び散った。
回転体の様子に変わりはない。
ほう……予想以上だ。
私は、『敵』に出会えたのかもしれない。
飛び散った光の破片を仰ぎ見て、コアイは淡く期待を抱く。
しかしそんなコアイの思いとは裏腹に、突如男の回転が鈍りだした。
「ナ、ナイセンセンパイ!」
男は回転したままコアイには理解しきれない言葉を叫び、のち回転をさらに緩めていった。
……『猫火』が効いたのだろうか? これで終わりなのだろうか? と、コアイは当惑する。
その懸念は特に否定されず、やがて男の動きは止まった。
「ふー……う゛エっ、あ゛~気持ち悪ぃ……ほぼ限界だったわ」
男は少しの間、俯いて頭を振ってから……コアイを睨みつけてきた。
「……っしゃ! とりま残り全力、ブチ込んだらあ!! 死ねえッ!!」
男は激しく、熱く吼えた。
男の言葉に、コアイは少し安堵した。
しかしそれは、束の間の事であった。
「……『万雷』!!」
それは光と呼ぶにはあまりにもおぞましい、赤黒い稲光のような現象であった。
男を中心に集ったそれは時折、力を持て余したかのように周囲へ弾け飛んだ。
その威力は、それに触れた近くの土壁を跡形も無く吹き飛ばす。
それはおぞましく、赤黒い稲光のようだ。
稲妻と呼ぶには不自然な。
雷光と呼ぶには奇怪な。
それはコアイにすら、興味よりも強い……興味などかき消すほどの嫌悪感を強く抱かせた。
確かに力強いが……『聖域』を展開しそこに拠れば、防ぎ切れるだろう。自信はある。
だが防げるか否かに係わらず、例えそれが脅威でなくとも……傍に居させたくない、これは早急に、積極的に除くべきものだ。
コアイはそう、はっきり認識した。
何故かは分からない、だがそれへの激しい拒絶感は確かなものだった。
それは、言わば一個の生命としての絶対的な、根源的な拒絶。
コアイは、これと似た感覚……どこか懐かしく、明確に不愉快な感覚を、少し前にも感じていたことを思い出した。
西の城市を訪ねた時、私の意識に割り込んできた女の声……そうだ、あの時に、似ている。
コアイには、あの女の声と似た感覚を抱かせるそれが己の近くに在ることをどうにも許容できなかった。
『祝祭』をも侵す力量を備えた者の全力、それは大層優れたものであろう。
そのような剛力との対決を、待ち望んでいたはずだった。
そのような敵手との闘争を、待ち望んでいたはずだった。
しかし今眼前に在るそれは、あまりにおぞましかった。
立ち向かう……どころか触れることすら躊躇われた。
気持ち悪い。気持ち悪い、気持ち悪い。
これを、存在させたくない。
それは、言わば根源的な。
「避けて!?」
私の前から……消えろ。
「これぞ必殺! 『光波』!!」
コアイは嫌厭に身を震わせながら、詠唱を発した。コアイの魔力は自身の倦んだ感情と交わり、乾いた石のような灰色の、苦々しい光束を象る!
しかし男は、先の叫び声に反応し、咄嗟に飛び退いていた!
光束は虚しく空を駆け、青天に架かる雲のような筋を描いた……
否、次を撃つ!
男の跳んだ先を目で追いつつ、着地の瞬間を見計らい……
「ダメッ!!」
気のままに、魔力を生のままに練り上げ……
「『光波』!!」
再び、放った。
コアイの掌から放たれたそれは、周囲の光を全てかき消すような……色のない光だった。
コアイは感じていた。
魔力の減った、己の身体を。
それとは違う強大無比な魔力が、余韻を残して飛び散ったことを。
むせ返るような強い匂いを帯びた魔力が飛び散り、降りかかるこの感覚……あの時と、とても似ている。
「魔獣の王」と呼ばれていた男と、最後に闘った日の結末と。
それは意味している。類い稀な力を有した存在が、ひとつ……生命を散らしたことを。




