三 地へ願いのタネをまきに
***前回のあらすじ***
コアイ達は居城タラス城にて、情報収集にいそしんでいた……ただしコアイはスノウの描かれた絵を見たり、不吉な夢を見たりして呆けていた。
しばらくして、人間達、そして『神の僕』の動向が伝わってきた……コアイは不逞な彼等を攻撃し、従わせ……従わぬ者は殺すしかない、そう認識している。
そして、彼等の集う地とは……
朝、コアイは身体を起こし、ただぼうっと壁に掛けられた絵を見つめていた。
それはもちろん、絵の中の彼女を見続けていたのである。
「火急の用ならばともかく、平時からいつもいつも寝室へ押しかけるのは……」
寝室と廊下を隔てる扉の向こうから男の声が聞こえる。コアイはそれを聞いて惜しみながら、彼女に向いていた意識を外す。
「お二方はまだしも、私がそうするのはちと無礼な気がするんだがな」
「こっちからここに出向いたほうがいいのさ、王様は出不しょ……あーいや、その、なんつうかアレだ」
「陛下は不要な外出をあまり好まぬようなのです、特にお一人の時は」
廊下側では、既に老人ソディ、大男アクド、そして大公フェデリコの三名が合流しているらしい。
出不精? 私が怠け者だと言うのか? ……そうなのだろうか。
私はただ、静かに彼女を感じていられる場所……そこにいるのが心地好いだけ、そう思っている。
例えば、この部屋のような。
優しく扉を叩く音が聞こえ、コアイは入室を促し、皆が部屋に集う……
「タフカウっていうと……タブリス領の北の湖沿いだっけか?」
「そうだ、ライサ湖の崎に建てられたエルゲントの名残……皮肉なものだ」
『勇者』とそれに付き従う貴族、法官、民衆らは大陸中央部の城市タフカウを目指して集結しつつある……それが大公に届いた最新の情報であった。
城市タフカウは、「母なる湖」とも呼ばれる巨大なライサ湖に突き出した陸地……地形を生かした、湖と三重の城壁を守りの要とした城塞であった。近辺は平地がちで高台の岩場や深い森がなく、身を隠しながらの投擲攻撃も難しい。周辺の平地を抑える騎兵力さえ十分なら、攻めも守りも容易い地形である。
そんなタフカウは過去に対エルフ、対魔族の最前線「エルゲント」の中心的城塞……橋頭保として築城され、人間による大陸の統一に大きく寄与した要地であった。また、大陸統一後も戦乱当時の姿を最もよく保っている城市であった。
「エルゲント? それがどうかしたのか」
コアイはその言葉を知らない。それは当然である、人間による大規模な築城……人間がそれだけの力を得たのは、過去にコアイが封印されてから十数年後のことなのだから。
「済まない、踏み込んでも歴史の勉強にしかならんな、気にしても始まらんか」
「とりあえず、話を戻そうぜ。やつらどのくらい集まってんだい?」
今回は珍しく、アクドが会話に入ってきている。
そしてその隣で口を挟まずにいる老人が、どこか柔和な笑みを浮かべている。
コアイは何となくそれらに気が付いたが、チラリと壁の肖像画に目をやったら……忘れてしまった。
話を兵の動向に戻すと、人間たちは未だ集結しきっておらず、全軍の集結にはまだ時間がかかるのではないかということであった。
「聞く話によると、食糧、物資の調達もあまり急いでいないようです。軍は兵力の集結を待ってから動かすつもりでしょうかの」
ソディが商圏で得られる情報を補足する。
「兵が整うのを待ってやる筋はねえよな」
「うむ、兵の統制が取れれば何らかの戦術を練り出すやも知れん」
昨日とは打って変わって、アクドが次々と意見を出している。対照的に、大公は口数少なかった。
「できれば多くの人間が集まったところを、但し軍備が整う前に叩く。それで良いか」
コアイは、己がすべきことを解っている。
「はい、しかし今回も陛下お一人で侵攻していただかねばなりません」
コアイは、己が一人で侵攻……それが大した問題でないことを解っている。
「俺は伯父貴と大公どのを守る留守役ってことだな」
「うむ、万一の備えじゃ」
「話は終わりか、ならば行こうか」
「いやいやしばしお待ちくだされ、馬と地図を準備いたします故」
コアイは少し逸っていたらしい。
昼過ぎ頃、コアイ達は広間に集合した。
集まった面々は各々に酒器を持ち、掲げている。
それにコアイが加わったことを確認してから、ソディが張りのある声で宣誓する。
「天恵、全てを穂と、成し遂げんことを!」
声に応じてアクドとクランが、それに少し遅れて大公が、手元の酒を飲み干した。
コアイはそれを黙って眺めている。
「……陛下、陛下もお飲みくださいませ」
そう促されて、コアイも酒を飲んでやった。
それは久しぶりの酒だったが、何故かどうにも味気なかった。
「花の香りと焦げ香、茶のような甘さと微かな渋みが調和した香木のような、いや南部の香辛料か? それらを引き連れるように蜜のような味わいが……」
「うーん、美味しい! でも、私も飲んでよかったのですか?」
「もちろん」
どうやら他の者にとっては美味い酒だったらしい。それなら、私よりも……
コアイが思い浮かべるのは、やはり彼女だった。
「さて陛下、タフカウへの道のりですが……」
ソディの説明によると、タフカウへは西のタブリス領を経由して北北西に向かうか、北西のボハル荒野をそのまま北西に突っ切るのが良いとのことであった。
「どちらにしろ、河を見つけたら馬に水を飲ませることをお忘れなく」
どちらの行程でも、先に進むほど湧き水などの水場が少なくなるため、河を見つけた際には必ず水分補給をしておくべきだという。
「で、どちらの道が良い」
「そりゃボハル荒野じゃねえか? なるべく人間に会わねえほうがいいに決まってら」
「そうとも言い切れんぞアクドよ、敢えて陛下の姿を晒し恐怖をあおる手もあろう。陛下ならば危険でもなかろう?」
コアイは答えをくれない二人を放っておくことにした。外へ向け歩き出すと、大公が渋い顔で近付いてくる。
「コアイ殿……このような願い出、身勝手だとは分かっているが……」
コアイは何も言わず足を止める。
「なるべく兵を殺さずに、『僕』だけを倒してもらえぬか……」
大公の側へ向き直すと、大公は顔を強張らせて震えていた。
「私は『神』ではない……ただ手向かう者を殺すだけだ」
コアイの答えに、大公は何も返さない。
「抗わぬ者は殺さぬよう、精々努めよう」
コアイは馬に飲ませるための水筒と、ソディから融通してもらった金貨数枚を携えてタラス城から駆け出した。
あたたかなはずの初夏の風は、コアイにはどこか冷たかった。




