二 キボウノハナの芽吹きは遠く
***前回のあらすじ***
コアイ達は無事に居城タラス城へと帰り着いた。親睦を深めながら帰還した一行はしばらく旅の疲れをいやしつつ、情報収集に……
そんなこととは露知らず、コアイは早々に寝室で眠ってしまった。
「ぅあアッ!?」
コアイは叫び声を上げたことに気付き、目を覚ました。
「ッ、ハッ、ハあッ、ハアッ…………」
息が切れる、視界が歪む、手が震える、そして……胸が脈打つように痛い。
「……う……はぁ…………」
いくつかの汗粒が額から横顔へと流れるにつれ、それらが少しずつ収まっていく。
コアイはベッドの上で上体を起こした体勢から、まるで身体を折り畳むかのように背を丸め、膝を引き寄せた。
そんな姿勢のままで不吉な夢を思い出し、身動きが取れなくなる。身体の不調がおさまった後も、動きはしない……できなかった。
夢で良かった、夢で良かった、本当に。
本当に嫌な夢だった。
私の周りは、戦火に包まれていた。
私は跪いて、誰かを手に抱いていた。
円い瞳は、色も光も無く虚空を見つめている。
赤い唇は、より朱い物に塗り染められている。
抱いた人の形は、スノウらしき姿をしていた。
だが。
瑞々しい肌は張りも艶も無くうなだれている。
小柄な手足は力も意思も無くしなだれている。
生気がない。それは何処にも、感じられない。
彼女を抱く手には力のない肉の感触が伝わる。
その華奢な肢体は、夜露に濡れた土塊のように冷たく……
その風変わりな服装は、血に塗れていても、彼女のものだと…………
本当に、嫌な夢だった。
過去、夢を見ることが少なかったコアイは、少し嫌な想像をしてしまう。しかしそれには何の根拠もなく、コアイに予知能力めいた異能が備わっているわけでもない。
気にしても、仕方がないか……
コアイは大きく息を吐いてから顔を上げた。すると、横にいつもの肖像画が見える。
額縁に入れて大事に飾ってある、彼女とコアイを描いた肖像画のような絵。
彼女は硬い表情をしたコアイの横で、屈託のない笑顔を向けて笑っている。
「ふふっ……あたたかい……」
それを見つめたコアイは胸元にぬくもりを感じて、一人笑みと呟きをこぼした。そして思い出したように、懐からもう一枚の絵を取り出す。
彼女は、屈託のない笑顔を向けて笑っている……壁の絵と同じように。
コアイは何故か指先に熱を感じて、一人目を閉じた。そして絵を懐に戻しながら思う。
あれが現実でないことを信じ、あれを現実としないことを誓おう。
「陛下、陛下……お目覚めですか?」
扉を叩く音と共に、女の声が聞こえてくる。
「ああ、どうかしたか」
「いえ、急に蛮声……こわばった声がしましたので、何かあったのかと思って」
「大丈夫だ」
コアイは返答しながら立ち上がり、外へ出ようと扉を開ける。
「陛下、少しおやつれに?」
「普段通りだ」
扉を開けた先の女は心配そうにコアイの顔を見上げている。しかし目覚めた直後を除けば、コアイは特に変調を感じていない。
「そうですか、ではひとまずソディ様に報告してきますね、陛下がおめざ」
「不要じゃ、儂ならもう来とるぞ」
女の後ろから老人の声が届いた。
「半月ほど経ちました、いくつか情報も届いております故」
老人ソディはそう言いながら、女の横まで歩み出てきた。
「そろそろ報告と検討をいたしたく」
ソディはゆっくり問いかけながら、酒瓶と酒器を持ち上げて笑って見せる。
「お邪魔してもよろしいですかな?」
「入るがいい」
断る理由も無い、コアイは申し出に応えて部屋に戻った。
「クランさんや、アクドに伝えてくれんか。大公殿と、ついでに酒の肴を持って来いと」
「おおコアイ殿、久々ですな……ご息災でいらっしゃったか?」
「ん? あれ、王様少しやせたか?」
寝室に集まったコアイ達は、大公の腹心『耳』らが集めた情報やソディの商取引相手からの情報を出し合い、まとめていた。
大公にもたらされた報せは。大公にとって少し辛いものであったらしい。
大公直属の兵団や近しい貴族の私兵などは、概ね大公の言葉に従い軽挙を控えているようであった。しかし、一方で……一部では兵を辞めてまで『神の僕』たち……特に『勇者』と呼ばれだした二人の僕に従い戦おうとする者が出ているという。
それだけではない、訓練を受けた元兵士や在野の冒険者ならまだしも……武器を手にしたことのない領民にすらそうした動きがみられるのだという……
神を名乗る声と『神の僕』たちは、どうやら人間たちに熱狂を生んでいるらしい。
「民にまで、危害が及ぶとはな……それも、民が望んで傷つきに行くというのだ」
また辺境の貴族や、血縁や交友のない貴族のなかには私兵の備えを増強するなど不審な動きをする者等がいるらしく、それも問題の一つであった。ただ大公の心を強く痛ませる問題は、領民に飛び火した熱狂であった。
「やはりミリアリア……教会の公認は痛手ですな」
「それもあるが、坊主どものみならず在野の冒険者にまで神の声とやらが届くとはな……彼らが民の間により強い信仰を生んでしまった」
「お気持ちは察します、だが今はまず戦力となり得る軍団に着目すべきでしょう」
「済まぬ、解ってはいるつもりなのだが」
コアイは三人の、いやほぼ二人……ソディと大公のやり取りを聞き流しながら、時折彼女の肖像画を見やっていた。
どのような状況であっても、コアイが為すべきことにはあまり変わりがない。コアイはそう理解している。
……まとまりのない民兵などは大した脅威ではない。
貴族たちは、挙兵の理由が純粋な信心や教会との共闘であれば早々に出兵するだろう。もし不逞な目論見があるのなら、直ぐには動かず様子見に回ると見て間違いない。
できれば早くに出兵してくれれば、その方が分かりやすい。『勇者』とまとめて討てばよいのだから。
状況をまとめた後で、ふとソディが溜息を吐いた。
「人間しか救わない神、か」
「いいじゃねえか伯父貴、だったら俺たちにとっちゃ神様なんかじゃねえんだ」
アクドはソディを励ますような表情で答えを返す。
「……ま、王様が黙らせてくれるだろって」
コアイはそんな軽口を聞いて、言い返すでもなく自然と頷いていた。
もとよりそのつもりだ、私は……彼女の願いを叶え、彼女とともに過ごすためなら……
次の日、大公のもとに新しい情報が届いた……『勇者』とそれに付き従う者達は大陸中央部の城市に集結しつつある、と。
ならば、あえて集結させて、奴等の総力を叩くことで力の差を見せつけてやろう……情報は、コアイには好都合なものであった。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。




