一 休息はミナの願いのために
***前章のあらすじ***
コアイは翠魔族の王、すなわち魔王として人間達、また「神の僕」と呼ばれる強力な戦士、魔術士達との闘いを繰り返していた。しかし人間のうちに、コアイ達との和平を望む指導者……アンゲル大公フェデリコが現れる。
コアイ達は継戦を望む人間達、またその背後に潜む存在の妨害を乗り越えて大公との協力関係を築くことに成功した。そして、継戦……コアイの殺害とエルフの支配を目論む者達を抑え、エルフと人間が共存できる世界情勢の形成を目標として戦うこととなった。
エルフが人間に苦しめられることなく暮らしていける世界、というスノウの願いを叶える……それを生き甲斐にコアイは闘い、勝ち続ける。
互いの協力を誓い合い、今後の方針を定めたコアイ達一行は、ソルカ村……自領北西部の村から森の奥へと進み、やがて居城タラス城の湖畔まで帰り着いた。
「ふぅ……ようやく着きましたな」
声を聞いて、馬車を御していたアクドが馬を止めてみる。
「ほう、変事のあったにしては城郭の損傷も少なそうだ」
「城の中は多少荒れてっけど、まあそのうち直すよ」
一行は青空の下、湖の先にそびえる城を見上げて一息ついた。
「そうか、多少か……」
「一応断っておきますが、金目のものは特に残っておりませんぞ? 陛下は城の敗残兵を逃がし、追撃しませなんだ故」
「ああ、アルマリック伯の財物は彼の私兵があらかた運び出したと聞いている……しかし今更だが、こうなってはちと勿体なかったな」
老人ソディと大公は馴染みよく言葉を掛け合い、笑い合っている。
コアイはそんな二人の様子を見て、少しだけ昔を思い出していた。とは言えそこに、色に出るほどの感慨はなかったが。
「あ、そういや土産を忘れちまった。怒られちまうな」
城の正門側へ回り込む途上で、ふとアクドの独り言が聞こえてきた。
「土産? ん? 誰にじゃ」
「ご子女がおられるのか?」
「いんや、あやつは独り身でしてな」
「ほう、なれば想い人への贈り物というところか」
「おお、ということはあの娘さんか、あの娘さんじゃな?」
ソディと大公の息の合った、すらすらとしたやり取りがアクドに矛先を向ける。
「だあーっッ!? んなもん誰でもいいだろ、伯父貴ィ!!」
アクドは手綱をギリギリと握りしめ、振り向きもせず叫ぶ。目を向けてみると、力がこもり盛り上がった肩の向こう側で尖った耳が赤く染まっている。
「しかし、しかしそれは大事なことだぞアクド殿」
大公の声が、静かな優しさを帯びた。
「人を想い恋焦がれ、愛し慕われ……良き事だが、時宜というものがある。いつまでも愛だ恋だと追っていられるものではない。ことに我々のような立場なれば」
「かく言う私にも、惚れ残した悔いがある」
「ああ、明日も生きてるとは限らねえもんな」
アクドと大公の会話は、老人とのそれよりは馴染みが良くないように聞こえる。
「ん? ああ、なあに大丈夫さ。経験上、多少なりと気がある女なら、手土産が無いくらいで拗ねはせんよ」
「そういうもんか……」
「まして長旅の帰りと知っているなら、早速会いに来てくれたと喜んでくれるだろうよ」
大公の声が、笑い声に戻っていた。
「そろそろ城門に着くぜ」
アクドの声も、普段のものに戻っていた。
コアイはそんな二人の様子を見て、昔とは違った……漠然とした落ち着きを感じていた。とは言えそれ以上に強く、遠い想い人のことを思い起こしてしまっていたが。
「陛下、ソディ様、アクド様、お帰りなさいませ」
城の中核となる屋敷の門前で、侍従めいた女クランがコアイ達を出迎えた。
「おや? リュカはおらんのか?」
「留守は任せたって言っといたはずなんだがなあ」
コアイと、その横で不満げな声をこぼす二人を前にしてクランは申し訳なさそうに俯いている。
「バルジュ村の村長と話をしたいからと言って、出て行ってしまいました。すみません、私では止められなくて」
「ああ、クランさんを責める気はねえよ」
「リュカさん、通伝盤は持っていくから大丈夫、なんて言って……私あれ使えないって言ったのに……」
その答えの直後一瞬だけ、コアイは横に立つ老人の視線が鋭くなったのを感じた。
「まあそれは良い、お互い無事でなによりじゃ」
「ところで、後ろの方は……」
クランは半分ほど聞きかけたところで、顔を引きつらせた。
「に、人間……ですか?」
女の姿は、微かに震えているようにも見える。
「ああ、そうだった……」
大男からため息混じりのか細い嘆きが漏れる。
「こちらはアンゲル大公殿下……お主の言う通り、人間じゃ。訳あってこの城で匿うことになった」
先ほどとは一転して、ソディが申し訳なさそうに俯きながら弁明する。
クランは声を発さない。
「お主とは別の建屋に住んでもらう故、堪えてくれぬか」
「そ、そうだ伯父貴、大公さんの世話は全部俺がするよ」
いつの間にか、アクドが二人の間に立っていた。その動きは、先ほど嘆息していたばかりとは思えぬほど素早かった。
「そうすれば護衛になるかもしれんし、それにクランさんも少しは安心だろう……?」
「ふむ、そうしようか」
アクドの提案に答えてから、ソディはクランに向き直す。
「ただ一つだけ、聞いておくれ。この御方は……あの男とは違う。儂はそう信じておる」
「ああ、大公さんはあの糞野郎とは全然違えよ。それは俺も保証するぜ! なあ、王様もそう思うだろ!?」
何故かアクドはコアイにまで同意を求めてきた。むき出しの真っ直ぐな視線を向けながら。
「な!?」
「……ああ、そうだな」
コアイには、こう暑苦しいまでの気遣いを見せるアクドの心境がよく分からなかった。だから、コアイは率直な言葉を短く返した。
このときのコアイにはまだ、それがよく分からなかった。
一行は解散し、一日休息を取ることにした。コアイは他の何をも考慮せず、真っ直ぐ寝室へ……
コアイは蹴破らんばかりの勢いで扉を開け、中に飛び込んだ。
室内は、一見出て行った時と変わりないように見えたが……そこには、コアイのものとは異なる魔力の残香がゆらめいていた。
しかし、コアイはそれを感知したことすら直ぐに忘れてベッドに飛び込む。そしてわずかな時間だけ目を開いて視線を合わせてから、すぐに眠った。
そんなものは、些細なことだ。
私を見つめる彼女に比べたら。
彼女を見つめる私に比べたら。
それでは皆様、良いお年をお迎えくださいませ。




