十八 心をノゾキ開くシシャ在り
***前回のあらすじ***
人間とエルフの和平を望んでいたコアイ達とアンゲル大公フェデリコは、「神の御声」に導かれた者達……争乱の継続をもくろむ人間とその加担者達の襲撃を撃退した。
彼らの企みと今後の予測を共有して関係を深めたコアイ達は、一度自領に戻り負傷した大公の治療を行うことにした。
一台の馬車が森林の手前に茂る草原を通り過ぎていく。
微かに血の臭いを漂わせるそれは、森に住む者達にとって心地の良いものではないのだろう。だが、その臭いを間近で感じている者達にとっては別の意味を持つのかもしれない。
「そろそろ森に入るぜ、近くに湧き水が見つかればいいんだが」
大男アクドが馬を駆けさせながら、コアイら後方の面々に語りかける。
「早めに見つかるといいのう、頼むぞアクドよ」
コアイは老人ソディが返答するのを横目に、ぼんやりと空を眺めている。
馬車の進む音と空を流れる雲……淡々としたこれらも、彼女とならきっと鮮明に感じられるのだろう……
「ああ、そうだ……近衛兵を二、三人呼んでも良いだろうか?」
馬車の真ん中で横たわっていた大公が、だしぬけに口を開いた。
「信頼のおける方であれば、構いませんぞ。だが、どうやって?」
「これを、な……おそらく貴方がたには聞こえぬはず」
大公は懐から小物を出して見せ、ソディの問いかけに応える。そうしてから大公はそれを口に咥えた。
「では、失礼して」
どうやら、小物は笛のようなものらしい。
大公は深く息を吸い込み、小物に吹き込んだ。しかしコアイに笛らしき音は聞こえない……
「おわっっ!? なんだあっ」
突然、馬車の前方から叫び声がした。
「な、何だ今の音!? 人間の攻撃か!?」
大男が大声を上げ、慌てた様子で馬車を止めて振り向く。コアイは微かな魔力の振動こそ感じたものの、特に慌てるような事態だとは思わなかった。
「どうした」
「む、お前さんこの音が聞こえるのか。それは済まなかった」
大公は驚いているのか、切れ長の目を丸くしながら謝罪する。
「み、耳がキンキン痛え……大公さんか? さっきのデッカい音を出したのは」
どうやらアクドにだけは、何らかの騒音が聞こえたらしい。
「ああ、私の腹心……『耳』を呼ぶ合図さ。詳しくは知らぬが、この機巧の音は限られた者にのみ聞き取れるらしいのだ」
「へえ、魔術機巧かな? 馬にも聞こえてないようだし」
「まさかお前さんに適性があるとは。もし次があったら、あらかじめ耳を塞いでおいてくれ」
気を取り直して、一行は再び馬を走らせる……
「お、伯父貴、目印があるぞ」
夕暮れ時になって、アクドが水場を示すエルフの目印を見つけた。林道の脇に馬車が止まる。
「水場まで馬車で入れるか?」
「ちょっと狭いな、俺が抱きかかえていこうか」
既に日が落ちかけており、他の水場を探す時間はないだろう……一行は馬車を降りて水場へと歩いた。
「……毒見をしなくて良いのか?」
大公の矢傷を洗おうと湧き水に近付いたところで、コアイはぽつりと呟いた。
「言われてみれば確かに」
大公は湧き水に視線を向ける。
「目印が新しかったし大丈夫だろう」
「アクドよ、怪我人が不安がっているのだ。毒見くらいしてやらんか」
大公にぞんざいな言葉を返すアクドを、ソディが苦笑しながらたしなめた。
コアイは湧き水から少し離れたところで処置の様子を見ながら、時折こぼれる大公の呻き声を聞いていた。
「さて、村へ急ごうか」
大公の矢傷を処置し終えた一行は、善後策を検討するため最寄りの村へと馬車を急がせることにした。
「数人の近衛兵しか知らぬはずの、私の居場所が感付かれていた……」
馬の駆ける足音と車輪の回る音が響く中、大公が表情を曇らせながら独り言をこぼしている。
「まさに神の力、かも知れぬ……しかし、本当に力ある神だと言うならば……」
「どうかしたのか」
「ああ済まぬ、独り言だ」
コアイは声をかけてみたが、その後も大公の独り言は続いた。
「本当に、全能を以て人を護り、正道に導く者だと言うならば……罪なき者の血など……」
大公は寝転がりながら目を見開き、腕組みをして呟いたあと、口を真一文字に結ぶ。
コアイは大公の苦々しい独白を無視して、東の空に浮かび上がった大の月を眺めていた。
「ま、また人間ですか……」
夜も更けた頃に国境近くの村に辿り着いたコアイ達は、家で眠っていた村長シラを起こして宿を提供するよう告げた。
「しかし皆様のお客人とあらば、まぁ断れませんなぁ……今からでは宿の準備もできませんので、今夜はわが家をお使いください」
「かたじけない、お心遣い感謝いたす」
「私は朝まで離れにいますので、何かあればお呼びください」
コアイ達はまず旅の疲れを取り、明日以降に善後策を検討することにした。
面々は一人のんびり眠ろうと、各々気に入った部屋に分かれていった。
……一人どうにも寝付けないコアイはベッドに横たわり、ただ朝が来るのを待っている。
しかし眠らずにいたことが幸いしてか、コアイは強い魔力を匂わせる存在が近付くのを感じ取った。
コアイはそれとの遭遇を少し楽しみに思いながら外に出て、それを探してみる。すると別の家の物陰から、密度の高そうな魔力の匂いが漏れ出したように漂ってくる。
「そこの樽の陰に潜む者よ、出て来い。お前は誰だ」
コアイはそれに対し、堂々と語りかける。
「なんで分かるの? スゴいね……あなたがコアイ?」
西からの月明かりに照らされ、さほど上背のない人影がゆっくりと歩み出てきた。
「あ、言わなくてもいいよ。答えは分かってるから」
黒髪の人影は高い声で、妙なことを口にする。
「いやあ……それにしてもあなた、ちょっと綺麗すぎない? 女の私より綺麗とか、ほんと羨ましいわ」
人影はやや大人しそうな、女……にしては少し短い髪の間から、上端の丸い耳をちらつかせている。
「人間……どうやってここまで来た? 見張りを殺してきたのか?」
「そんなことしてないよ!? 見つからないように覗いて、裏をかいただけ」
どうやらコアイが期待するような、好戦的な敵ではないのかもしれない。
「それで、私に何用だ。闘いたいのか?」
「わたしはこの世界でどうするべきか、確かめたいだけ」
女の発言には掴みどころがなく、コアイは会話を面倒に感じていた。
「あなた、リュシアって娘は知ってるよね? 彼女を、どう思っているの?」
リュシア?
「誰だそれは」
「はあ!? あなた……何言ってるか解ってんの!?」
素直な反応を返してしまったコアイに対し、何故か女は激昂していた。
「恋する女の子に冷たい! お前クソ男か! 死ねアホ!!」
「私に死ねと言うのなら、お前の力で殺してみろ」
言葉とは裏腹に、コアイの顔が戦意に晴れる。
しかし。
言葉とは裏腹に、女はコアイに背を向けて走り出していた。




