十二 束の間、沁み出すジョウネツ
コアイは森の間を縫うように均された道の上、馬を進めている。
ボハル荒野で大公と、妙な男、妙な女……彼等と相対した夜が明け、それからさらに一日半、再び夜が深まった頃。
コアイは夜空に浮かぶ星々を見上げて、初めて彼女と共に歩いた夜を想い浮かべていた。
過去の住処から、酒を求めて集落へ……彼女の手を取り、時々ふらつく彼女の支えになりながら歩いた夜。
あの時、初めて……星空の煌きが美しいという感性を、少し理解できた気がした。手に彼女の熱を感じながら、彼女と同じ煌きを眺めて。
そして今、それを思い返す胸元に彼女の熱を感じている。
コアイは少し心浮かされながら、進み続け……
「そこの者、止まれ」
やがて声を聞いた。それに一拍遅れて、コアイの前方の道に火柱が上がる。
何者かの魔術であろうが、近くに強い魔力の流れは感じられない。何らかの補助的な機巧が仕込まれているのか、若しくは見掛けの派手さに特化した、虚仮威しの魔術なのだろうか。
どちらにせよ、コアイにはあまり関係がない。
「これより先は、我らエルフの村。そしてこの森は、我らエルフの領域。何の用があってここに居るのか、答えろ」
森の左手、火柱とは別の方向から短弓を構えた翠魔族の若い男が現れ、無愛想な顔でコアイへ歩み寄ってきた。
「私はコアイ、知らぬか」
コアイはそう答えつつも、馬を止めない。
「コアイ……様、だと? 証拠はあるのか」
男は気難しそうな表情を微かにも変えず、弓の構えも解かない。すると
「通さぬぞ!!」
何処からか大きな叫び声が響き、それに呼応したかのように……コアイの前方に立ち塞がる火柱が大きく噴き上がった!
「魔術……この程度で、私を止められると思うのか」
火柱が高く熱く勢いを上げようとも、それはコアイを焼き、あるいは傷害し得るほどの魔力ではない。コアイにはそれが解っている。
だがコアイが跨る馬にとっては、そうではない。
「ブヒヒッ!?」
馬は勢いを増す炎を恐れてか、震えるように飛び退いていた。
……そうか、この馬にとっては脅威の炎か。ならば排除しよう。
「風よ我が刃よ、『突風剣』」
コアイは短い詠唱を口にして、起こした風刃を火柱の根元に叩き付けることで鎮火して見せた。
「なっ!? クイルの魔術が、こんなに簡単に……!?」
「あれは、そう強い魔術ではないだろう……それはそうと、お前たちの村長にコアイが来たと伝えろ。併せて、私の見てくれを話せば納得するはずだ」
コアイはそう吐き捨ててから、馬の脇腹を踵で小突いた。馬はどこかぎこちない歩様で歩き出す。
「……」
男は無愛想な顔のまま構えを解いて、短弓を背中に背負った。そして小さな足音を立てながら駆け出した。その動きは素早く、いつしかコアイの視界からも消え去っていた。
コアイは悠然と先へ進む、するとやがて集落が見えた。そして集落の手前には壮年の男が立っている。その男の面構えは、以前に居城で目にしたような姿と映った。
「おお、ご無沙汰しておりますコアイ様。村長のシラでございます」
やはり、村長はコアイの姿を覚えていたようだ。
「挨拶はいい、馬を乗り換えたいのだが」
「う、馬ですか。申し訳ないのですが……今は母仔しか居りませぬ故、外に出せる馬がおりません」
「ならば私の馬に水と草を与えて休ませてほしい」
コアイは村長の誘導に従い、村の水場へ向かった。
「ふむ……どこか痛めているような歩様ですね、一日休ませて様子を見たほうがよさそうです」
村長はコアイを乗せて歩く馬の様子を見て、その変調に気付いたらしい。
「一日……何処か、一人になれる場所は無いか」
一方コアイは、馬のことよりも、彼女を……もう少し彼女を感じていたくなっていた。
「離れの小屋でもよろしければ、人を遠ざけられますが……」
「それで構わぬ」
邪魔者のいない場所、それだけで良い。
「汚く散らかった場所で、いささか心苦しいのですが」
「構わぬ、誰も入らず、誰も居なければそれで十分だ」
「朝になったら、食事をお持ちいたしましょう」
「無用だ。それよりも、城のソディ殿へ数日中に戻ると連絡してくれないか」
粗末な小屋の前でのやり取りののち、村長は退こうと一礼した。
「承知いたしました、では……」
コアイは村長に案内された小屋に入り、戸を閉めてから小屋の中に誰もいないことを確認する。そうしてから、二人……コアイとスノウの描かれた肖像画を懐から取り出した。
それに目をやった瞬間から……コアイの心身は、すっかり蕩けてしまっていた。
コアイは身体を横たえて、肖像画を眺めている。
私は惚けた頭でぼんやりと、隣にいる彼女を想像する。
うっすらとした、微かなものであっても……彼女を感じられたとき、私の胸は熱を発する。
私は、彼女に触れたい。
私は、それ以上に……彼女に触れられたい。
そして、それ以上に…………彼女に、存在していて欲しい。
そう意識すると、胸が、頭が、身体が……全身が熱くなる。熱くなりながら、身体はぞくぞくと震える。
そして身体の奥のなにかが、彼女の存在を感じたいと叫び出す。彼女に私の存在を感じさせてほしい、そうがなり立ててくる。
私はそれを感じると、どうにも切なくなる。私にがなり立ててくるなにかも、それを知覚している私も、どちらも……私の身体に切なさを滲み込ませてくるようで。
けれど、あたたかい。
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戸を叩く音が聞こえる。
「コアイ様、よろしいですか」
「……どうした」
コアイは彼女がここに居ないことを実感する、するとひどく冷たい空気を感じた。コアイはそれを意識の外へ押し退けつつ戸外の声に応える。
「アンゲル大公の使者を名乗る人間が、コアイ様への親書を携えている、と言っています……折角なのでご判断いただこうと思い待たせているのですが、どうしましょうか」
待たせている? それでは私が此処にいると教えているようなものではないか。
村長の粗忽さに少し呆れながら、コアイは小屋を出た。




