十一 力無き矢はツキ刺さらずも
地表に戻ったコアイは、辺りを見回すが……営地の跡とその周辺には人間の存在を感じられなかった。
となれば、一度城に戻るほかない。コアイはそう考え、ここまで乗ってきた馬を探すことにする。
……暫くの探索ののち、帷幕の中で棚を噛んで戯れている馬を見つけた。コアイは馬を外に連れ出してから、荒れ地を後にしようと馬に跨る。
しかし馬を進めようとした辺りで、コアイは魔力を感じ取った。魔力を具えた存在が、ここに近付いてきたのだろう。
今になって、こんな荒野を訪ねる者……とは。
コアイはその者に対して直ぐには反応を示さず、まず馬を歩かせる。すると魔力を有す者の側からも、少しずつコアイに近寄ってきた。姿を見せることなく。
どうやら、周囲の障害物を隠れ蓑にしながら近寄ってきているらしい。
コアイは前方に遮蔽物となりそうな物が疎らになった辺りまで進み、それでもなお相手が距離を取ろうとしないことを感知した。
そこでコアイは馬を止めて、振り返らずに声をかけてみる。
「そこの物陰に潜む者よ、お前は誰だ」
コアイの言葉を聞いてか、砂を噛む足音が鳴る。
「凄いわ……あなたがコアイ、ね」
女の声、女の口調。振り返ってその主を見やると、高い魔力を持つ者……この世界とは異なる服装をした者が歩み寄ってきた。
「いやあ、まあいいんだけどさ……あなたちょっと綺麗すぎない? 女の私より綺麗とか、ほんと羨ましいわ」
女は少し、眉間にシワを寄せた暗い表情をしているように見えた。コアイは何も答えず、視線を女に向け続ける。
「あ、さっきのは答えなくてもいいよ。答えは分かってるから」
コアイは、どこか己の思考とは噛み合わない女の物言いに軽い苛立ちを覚える。それは大公に抱く苛立ちとは違い、どこか……敵意や、微かな殺意……それらを抱かせる種の苛立ちであった。
「何が言いたいのだ、うぬこそ誰だ」
コアイは女を睨みながらそう吐き捨て、下馬した。
「聞いてんのは私なんですけどぉ? 答えなくてもいいとは言ったけどさあ、質問を質問で返すのは失礼だって親から教わってないの?」
理由が良く分からないが、女はコアイを詰っているらしい。
「とりあえず……質問を変えよっかな? あなた、リュシアって娘は知ってるよね?」
コアイにとってそれは、何処かで聞いたような名ではあった。
「誰だそれは」
だが、そんな名の娘のことは知らない。
「はあ!? なんだって!?」
女は突然怒鳴り声を上げる。
「嘘を言っていない……あなた、何言ってるか解ってんの!?」
女はよほど腹に据えかねたのだろうか、目を剥き、顔を歪めてがなり続ける。
コアイもまた、女の要領を得ない物言いに苛立ちを募らせる。
そして一瞬の間の後、女が動いた!
「イケメンのくせに、恋する女の子に冷たいクソ男! バカ死ねバカ!!」
女は何処からか小型の弩を取り出し、コアイに向けた。
コアイは弩の先を見つめ、黙っている。
「え……あなた、怖くないの? この距離では当たらないと本気で思ってるの? それとも」
「それが届くと思うなら、撃ってみればいい」
「撃てないとでも思ってんの!?」
女は激昂し、矢を放つ。当然ながらそれはコアイへは届かず、横に逸れていく。
「そうか、撃ったか」
刃向かうのなら、相手をしてやろう……何故、魔術を用いないのかは分からないが。
コアイは少し疑問を抱くも、自身の欲求……女への敵意、殺意に従うことにした。
「まじゅつ……? 何それ」
女は呆然と呟きながら後ずさりしている。
対してコアイは、風の魔力を想起してみる────
「あ…………この子? もしか…………それ…………試して……」
コアイの耳に、どこからか女の声……何度も聞いたものと同じ、あの女の声が僅かに聞こえた。
「手……だよ 『私に、還りなさい』」
夜空に瞬く星々の輝きを消す、眩い光の束が垂直に走り地に降りる……
コアイは何となく、先ほど発しようとしていた詠唱を紡いでみる。
「風よ我が刃よ、『突風剣』」
コアイの詠唱に応え、濃密な風の刃が光束の底、女のいた辺りに飛び掛かる。しかし風刃は空しく光束を通り抜けていった。
やがて光が薄れると……そこには誰も、人の居た痕跡すらもなくなっていた。
また、誰もいなくなった。
今度こそコアイは、城へ戻ることにした。
……それにしても、妙な女だった。
何故私が嘘を言わないと解った? そして、「リュシア」とは誰だ?
コアイはそんなことを考えながらゆっくり馬を歩かせる。
南東に進路を取り、荒野から草原、森林へと往くが、良い水場が見付からなかった。そのため国境に近い翠魔族の村に入ったところで、一旦馬を休ませることにした。




