十 戦の萎れ認めぬシシャ在り
「ふ、やはり来てくれたか。お主なら来る、そんな気がしていたよ」
大公はコアイの姿に気付いたらしく、声をかけてきた。
「粗野かもしれぬが、けして卑劣ではない……むしろ、余人よりも律儀なくらいだ」
大公はコアイを見ながら馬を進め、近付いてくる。
「それを予見しながら、何故此処にいる? 隙を衝いて私の城を攻めようとは考えなかったのか」
コアイは、この男──大公があまり好きでなかった。コアイをさほど警戒していないかのような態度で、捉えどころのない話を長々と続けるこの男が。
それでありながら、早々に殺し……実力行使で黙らせたいほどの不快さは感じさせないこの男が。
「ふむ、その攻めは一理ある。だが、よくよく考えると……それは私にとって勝利とは言えぬのだ」
大公は厳めしい顔付きの穏やかな表情をしたまま、馬を進めながら返答する。
コアイから十数歩ほど距離をおいたところで、大公は馬を止めた。大公に随伴していたもう一騎はそれを見て、少し不慣れな様子で馬を止め後方に控える。
「私にとっては、人の世の平穏こそ……」
大公は言いながらふとコアイから視線を外し、虚空を眺める。
「コアイという名の、人の世の脅威たる存在を取り去ることこそが第一の勝利だ。だが、必ずしも勝利を急ぐ必要はない……決定的な敗北さえ避けられれば良いということが分かってきた」
大公はそう言い終えて、再びコアイに視線を向けた。そこには強い敵意や殺意は感じられない。
「相変わらず話が長い」
そのことが、むしろコアイには少し不愉快だった。
「私のことを憶えていてくれたか」
大公はおどけたような言葉をかけつつ、少し口角を上げる。コアイは真面目に相手をするのも面倒になり、何も答えずに大公から視線を外した。
「ただ、私は迷っていてな……もっと楽で犠牲の少ない、別の勝利の形も有り得るのでは、ともな」
大公は一つ咳払いを挟む。
「人の世の平穏こそ、私の目的なれば、だ」
大公の言葉は一部分だけ、短く強調するような口調に変わった。
「もし、もしもそれが、我等の脅威でないとしたら……反逆者コアイを排除しようとすることは、必ずしも最善でない」
「そ、そんな!? あなたは!?」
大公の斜め後ろに控えていた騎兵らしき者が甲高い声を上げたのち、
「し、失礼しました……」
非礼を詫びた。
「ん? 良い。アライア殿は私の臣ではないのだから、そう畏まることもない」
大公は振り向いて手招きし、横へ並ばせた。コアイはもう一度、彼等に注目してみる。
「アライア殿等にも事情があろう、だが私はな……見えぬもの、聞こえぬもの……己が知覚できぬ者を、己に知覚させぬ者を、盲信することは出来ぬ」
大公は、先の戦闘で何度も指示らしき言葉を叫んでいた兵士がいる辺りを一目見やった。
「神への不敬、と謗られるかもしれんがな。私には、私に姿を現すどころか声さえも伝えない、そのような者が無条件に信頼すべき者だとは……どうしても、そうは思えんのだ」
そう言いながら眉を動かした大公の表情は、少し強張って見える。
「だからという訳ではないかも知れんが、私はこうして反逆者とも話をしている。私の前に単身現れ、言葉を交わす者とな」
「あ、声が聞こえました。『私の声が届かないのは信仰が足りないからだ、そう伝えてやりなさい』……だそうですよ」
「……つまり全能ではないのだ、ふふっ」
固い表情のまま発された、色のない笑い声。
「全能……」
コアイは何となく、呟いていた。呟いて、それは現実感のない空虚な響きだと感じた。
「とりあえず、大公殿の考えはわかりました。ここはどう動きますか?」
「もう少し話をしたい。それでもし私が討たれるようならば……まあアライア殿ならおわかりだろう」
「わかりました、待ってます」
……まだ話し足りないというのか、この男は。
「闘う気がないのなら、帰ってあの男の心配をしたらどうだ?」
「無事だということだ、それより私はお主に問いたい」
コアイの気怠そうな問いかけに、大公は強い眼差しを返す。
「お主は、歯向かわぬ人間は殺さぬと言った。その言葉に異は無いか」
「……無い」
「お主を担ぐエルフ達も、同じ考えだと……見做して良いのか?」
大公の問いに、コアイは老人ソディとの対話を思い出す。
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「可能であれば旧領の割譲も求めたいですが、まずは休戦し相互の不可侵を定めることが優先かと」
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少なくとも今は、安全な独立体制を求める。それが彼等の狙い。
「翠……エルフ達は、条件次第で休戦しても良いと考えている。そう聞いている」
……彼女の望みに関連する内容とはいえ、彼女以外の者との会話を、希望をはっきり記憶していた。
その微かな変化を、コアイ自身は気付けていたのだろうか。
「分かった、良い話を聞けた。感謝するぞ」
コアイの返答を聞いた大公の表情は、普段よりもう少しだけ穏やかになっていた。しかし大公の横では、騎兵が狼狽えた様子で顔をあちこちに動かしていた。
「皆、一旦城に戻るとしようか」
大公は満足気な様子で兵達に声をかける。
「それはさすがに不用心ではありませんか? 足止めとか……」
アライアと呼ばれていた騎兵が口を挟んだ。
「以前にも諍いなく退いている、大丈夫だろう」
「いえ、怒鳴り声が聞こえるんです。『そいつを信用するな!』 と、さっきから何度も……」
「まあ私にアライア殿を止める力や権限はない、好きになされ」
「というわけだ。些か無礼な気もするが、一つ付き合ってもらえないか」
大公が騎兵からコアイへと視線を移し、軽く会釈してみせる。
「構わない」
「アライア殿を殿に、退くぞ」
「殿下、輜重は……」
「値の張る物はなかろう、捨て置け」
騎兵一人を残して、人間達は逃げていく。そして残された騎兵は、彼らに目もくれず詠唱を始めていた。
「私は、装填された器」
「私に、注がれた刃は」
騎兵の魔力が急激に膨れ上がっていく、それは極めて濃密でどこか冷たい、先の男とは異なる質をコアイに感じさせた。
「私を、溢れさせる棘 『映写』」
「……サイモン、聖サイモンよ……我が力に依りて、無念を晴らして!」
「地龍よ飲み込め、地龍よ噛み砕け、地龍よ!!」
「大地よ、龍の拒んだ悪を拒み神さびよ! 『狭門』!!」
何処かで聞いたような詠唱の後、大地が深く深く落ち込み、そこにコアイだけを呑み込む!
この術、詠唱、どこかで……同じ魔術を強化したものか、それとも?
呑み込まれた地下は、以前よりも随分深い位置らしかった。
本来であれば、大量の土砂に埋められ窒息の危険が差し迫る。その前に何とか土砂の中で身動ぎし顔を地表へ出さねばならない。しかし「守り」に包まれているコアイにとっては、ただ地表まで這い出る必要がある、というだけの現象である。
コアイは少しずつ地中を昇って地表へ歩み出たが、そこには既に誰も残っていなかった。




