七 探しモトメ合う標的たち
コアイは目を閉じている、その感覚だけが確かな状態で、その場に存在しているような心地がする…………
何処からともなく、声が聞こえてきた。その低く沈んだ声が誰のものだったか、確信は持てないが……何処かでよく聞いていた声だということは間違いない、そう思える。
人間と人間の神に騙され、多くの者を死なせてしまった。
クチュルクの傍にいながら彼を止めなかった私も同罪だ、それは解っている。
私は、大変なことをしてしまった。
多くの者が死んでいった、皆……愛する者、信じる者のために死んでいった。
私も、クチュルクのために……僅かでも、彼の罪を贖うために死んでやろう。
しかし、私は身命捨てて闘ううちに……もう一つの罪過に気付いてしまった。
愛する者、信ずる者のいた者はまだ良い。それがあれば闘える、相応の辛苦にも抗える。
だが、あの御方は……数百年もの間、おそらく、誰をも…………
それを、私は省みようとも……いや、誰もが……
そして、これからも…………
いや、それを悟ったところで……私には何も出来ぬか。
……また敵襲か。かくなる上は一人でも多く、味方の命を救わねば……
声が止んだことに気付いたとき、何故か視界を開かれたような……すると隻腕の、傷だらけの鎧武者が得物を肩に担ぎながら玉座の間を後にする姿────
と、そう知覚した直後、コアイは目覚めていた。
夢というものをあまり見ることのないコアイには、どうも合点のいかない現象だった。
ともあれコアイは目を覚ました。どうやら、ベッドではなく寝室の椅子に腰掛けているうちに眠っていたらしい。彼女の視線を意識せずにいられる場所で、いつの間にか眠っていたらしい。
彼女を意識せずに眠り目覚めたのは、いつ以来だろうか。
そう物思いに耽ろうとしたコアイを、戸を叩く音が妨げる。
「陛下、よろしいですかな」
戸の向こう側から、かすれた声が聞こえる。
「入るがいい」
この声は老人ソディ、であれば無駄話をしにきたわけではないだろう。コアイは少し期待しながら老人を迎え入れる。
「失礼しますぞ……陛下、どうやら現れたようです」
話が長くなりそうだということで、二人はテーブルを挟んで腰掛ける。そしてソディがテーブルにワインの瓶と杯を置いてから、話し始めた。
「アクドより連絡がありました、タブリス領の城市ではあちこちに高札が立てられていると」
老人ソディはそう言いながら、コアイにワインを勧める手振りをする。それを見たコアイは首を横に振って勧めを断る。
「それとは別に、国境の村へアンゲル大公より手紙が届いたようです」
老人は己が飲む分のワインを杯に注ぎながら、話を続ける。
「どちらも内容は、ほぼ同じ……『反逆者コアイとの決闘を求む。仔竜の月十五日に、ボハルの荒野にて』……と、「ヒサシ」と名乗る者が……そう求めておるそうです」
老人は話し終えたとばかりに杯に手を伸ばし、一口ワインを飲みさす。コアイはそれを見ながら、黙っていた。
コアイが言葉を発しないのに気付いてか、老人はもう一度杯に口を付けてから話を続ける。
「その者は大公の下に召し出されて以降、盗賊団の討伐などを請け負いながら戦技を磨いていたそうです。噂では百人を超える盗賊団を一人で討ち果たしたとか、今や大公自慢の近衛兵十数人が訓練相手にもならぬとか……」
「ほう」
「しかし、あの大公が関わっておるとなると……」
老人は首をかしげながら、深い皺を強調するかのように眉間に力を込めている。
「何らかの策略がありそうで、気掛かりですな」
「……戦地の罠であれば、全て壊すだけだ」
一拍間を置いてから懸念を伝えた老人に対し、コアイは問題ないと言いたけな態度を見せた。むしろコアイは、気掛かりがあるとすれば別動隊による自領への攻撃だろうと考えている。
コアイはそれを、面倒がらず老人へ伝えようと努める。
「私の留守を狙う策でなければ問題なかろう、大公の軍に動きは無いか?」
「付き合いのある人間の商人たちが言うには、西ではここ暫く大きな人の移動、物資のやり取りもないようです。まとまった数の軍を動かすのは難しいでしょう、刺客の一団を忍び込ませるのが精々というところかと」
人間……大公の息がかかっていれば、信用には値しない。だがそうでなかったとしても、信用して良いものなのだろうか。コアイにはよく分からない。
「人間か……貴殿が認める者なら信じよう、アクドはいつ戻る」
分からない以上、判断はソディに委ねることにした。
「通伝盤にて、明日までには戻ると聞いております」
それなら、別動隊がいたとしても……領内各村での警戒も強い、この城くらいは無事だろう。
コアイはひとまず、その者に会ってみようと思った。殺すかどうかは、闘ってみて決めれば良い。
「出向いてみよう、地図を用意してくれないか」
「承知いたしました、馬も用意いたしましょう」
老人の態度は、このやり取りの顛末を予想していたかのように自然であった。
「十五日であれば、明日の昼にでもお発ちになれば間に合いましょう」
翌日、コアイは西北西へ、タブリス領の北西部に拡がるボハル荒野へと出立した。
そして数日後に荒野へ辿り着き、辺りを探ってみると……鼻に長く残り続ける獣の臭いに似た、濃密で荒々しい魔力を感じた。
期待を膨らませながらそこへ近付いてみると、やがて十人ほどの武装した人間達の姿が見えた。
人間達は、こちらの存在をまだ察知していないようであった。




