五 私のナカには熱情
釈然としない、モヤモヤとした心地のなか……コアイは辺りを見回す。
辺りに人影は見えず、また魔力を帯びた存在も感じられない。しかし、空き家の屋根、『光波』の傷跡の側に……今日も一羽の鳥が停まっていた。
コアイは鳥の様子を窺ってみる。鳥は先日の小鳥と同様に、ほぼ静止してコアイのいる側を見つめている。
人々の喧騒や建造物の激しい損壊にも動じず、身動ぎもせず、ただこちらを見つめている鳥の振る舞いは不自然であり不快だった。
追い払うくらいはしてやろうかと、コアイが指の傷跡に爪を食い込ませようとした。が、ちょうど指に痛みが伝った辺りで、ふと鳥が地面に降りてきた。
そして鳥はコアイを見ず、一心不乱に……まるで地の虫を啄むかように地面をつつきはじめた。
コアイから見える限り、そこに虫はいない……どころか、その痕跡すら見当たらない。しばらく様子を見ていると、鳥は少しずつ位置取りを変えながら地面をつついて穴を空けていく。
地面に十数個の穴が空いたのち、鳥はちょこんと横に跳ねて別の場所をつつき始めた。
引き続き様子を窺ってみると、鳥はそれを幾度も繰り返した。コアイは訝しさを感じながら、空けられた穴のひと固まりに注目してみる。するとそれは図形のように見え……いや、それは向きの異なる文字であることに気付いた。
コアイは穴を基準に反対側、鳥のいる側に回り込み文字を読み取ってみる。その間にも、鳥は続々と地面に文字を彫っていく…………
半刻ほど経ったころ、鳥が鳴き声を一つ上げた。文字を書き終えたという合図のつもりだろうか。
全ての文字に目をやると、それらは一節となっていた。その内容は…………
「本命は三人、今もこの世界の何処かで力を蓄えている。出来損ないめ、震えて眠れ」
コアイがそれを読み取ったころには、既に鳥は飛び去っていた。
辺りにはやはり誰もいない、コアイは屋敷に戻ることにした。
帰り道でコアイは考える。
出来損ない……?
単なる悪言の一種だろうが、よく知りもしない相手をそのように罵るものだろうか。
いや、それより考慮すべきは三人の強者が世界の何処かに居て、こちらから彼等を見つけ出して討つのは困難であろう……ということだ。
しかし、文言自体がはったりでなければ……いつか必ず彼等は私を殺しに来る。その時に、返り討ちにしてやれば良い。
いずれにせよ、彼女を帰しておいたのは幸いだった。
彼女さえ安全なら、私は安心して闘える…………
……出来損ない?
帰り道の終わりに、何故かこの言葉が再び心に引っ掛かった。
「王様、ずいぶん遅かったな。どこかで休んでたのか?」
屋敷の門前には大男アクドが立っていた。今度も見張りをしていたのだろう、少し待ちくたびれたというところか。
「……少し、考え事をしていた」
説明の難しそうな鳥の話は伏せることにした。
「何か、前と変わったことでもあったのか?」
大男の様子は、コアイの身を特別心配していたという風には感じられなかった。
そのことは、かえってコアイに落ち着きを与える。
「人間の支配地に突然現れた風変わりな者……について調べてみてほしい、ソディ殿にも訊いて」
「そいつが噂の「勇者」ってやつかも知れん、ってことだよな?」
コアイは大男を見つめて、ただ頷いた。
「分かった、調べてみるよ」
大男は笑顔を返しながら応える。
「とはいえ、我等に近い場所では無いかもしれないが」
「僭越ながら、そうとも限りませぬ」
不意にしゃがれた声が聞こえた。
「お帰りなさいませ、陛下」
「伯父貴、いつから!?」
「……聞いていたのか」
コアイは一礼する老人ソディを見て、どこか脱力したように呟く。
「もし、その者らの出現を制御できるとして……」
「それは可能だと思う」
おそらく、だが。
「もし儂がその者らを配置するなら、少なくとも一人は国境近くに遣わします。不安がる者に希望を与え、離反を防ぐために」
コアイには、老人の思考とその効果はよく分からなかった。それは、勝ってから考えても良いことではないのだろうか。
「同種族での内乱は、嫌なものですからな……ともあれ私どもは調べを進めます、陛下はひとまずお休みになってはいかがでしょう」
コアイのぼんやりとした視線を感じてか、ソディは話を切り上げようとした。
コアイは寝室に戻った、すると直ぐに淋しく感じた。そこで懐に手をやりスノウの描かれた肖像画を……
と、いう矢先に弱々しく戸を叩く音がした。
「陛下、クランでございます」
「入るがいい」
コアイは慌てて懐から手を下ろし、声に応えた。
「額縁の用意ができましたので、お持ちしました……両手がふさがってますので、扉を開けていただけませんか」
「ああ、もう出来たのか。ご苦労」
コアイが扉を開けると、女は額に汗しながら笑顔で額縁を差し出してきた。受け取った額縁は少し大きいように思えたが、使用目的は伝えていないから致し方ない。
その目的は……どうにも恥ずかしくて人には言えない。
コアイは侍女めいた働きをしてくれている女を帰してから、額縁を分解し……部屋に残していた、もう一枚の肖像画をそこにおさめた。
それは、どのように再現、あるいは複製された物なのか分からないが……懐に入れて持ち歩いているものと同じ絵である。それでも額におさめると何となく、懐のそれとは異なる一枚のような気がしてきた。
コアイはふと思い立ち、一度ベッドに横たわる。そして目線の位置をよく確認してから立ち上がり、壁に額縁を据え付けた。
そしてもう一度ベッドに横たわり、絵を飾った壁側に身体を傾ける……
すると壁の彼女と、彼女の笑顔と目が合った。
心はどぎまぎする。身体はそわそわする。
胸が痛いほどに暴れて脈打つ。顔が、頭がじんわりと灼ける。
呼吸は熱く渇き、皮膚はもじもじと落ち着かず、視線は彼女から離さない。
やがて焼かれたように息が苦しくなって、身体が痺れても、それでも視線は彼女から離せない。
私は惚けた頭でぼんやりと、共に横たわる彼女を想像する。
彼女は私に両手を伸ばしていて、私はそのうち一方の手を両手で包んでいる。
私が彼女に吐息を伝えると、彼女が寄り添ってきて。
私が彼女の名を呟くたびに、彼女が私を抱きしめて。
身体のあちこちで彼女に触れて、あたたかくて……けれど、私の身体はぞくぞくと震えていて。
もっと、抱きしめてほしくなって。
もっともっと、触ってほしくなって。
私は彼女を見つめて、切なさを抱きしめている。
コアイは彼女の肖像画を前にして心定まらず、眠れぬ日々を過ごすのであった。




