二 淋しい風吹くヘヤでも
コアイは城へと戻る途上で、城壁に停まる一羽の小鳥を見つけた。
小鳥はくちばしを真っ直ぐに向けてコアイを凝視するようなしぐさのまま、動こうとも鳴こうともしないでいる。そのしぐさは、小鳥らしい忙しなさとはかけ離れたものだった。
小鳥から魔力を感じたわけではない。だが何故だろうか、コアイは先ほど赤い光柱を見据えた時と……それと同じ不愉快さを小鳥に対して強く感じた。
コアイは何となく、小鳥を睨みつける。
すると小鳥は突然、我に返ったかのように首を左右させる。なおコアイが睨み続けていると、小鳥は慌しく羽ばたいて飛び去っていった。
どこか不審な小鳥を見送ったコアイは歩きながら、城への道で考えた。
あの光柱と男は、転移術か召喚術か……まず魔術によって現れたもので間違いない。
しかし、この辺りに魔力を放つ存在は無かった。転移術にしろ召喚術にしろ、対象を出現させる区域の状況を把握せずに発動させるのは危険なのだが。
聞きかじった話でしかないが……過去には野外で転移術を使って両足が石と置き換わり両足とも千切れてしまった魔術士や、腕に鳥が埋まり動かせなくなってしまった魔術士がいたという。そういう話を聞いているから、私も彼女を喚ぶときには決して邪魔が入らぬよう注意している。
あれは、よほどこの辺りの地理や城の構造に詳しい者による術だったのか。それとも、対象となった男がどうでも良い存在だったのか。
……しかし、転移術にしろ召喚術にしろ……私が統べていた時代ですら、術者はわずかにしか居なかった。転移や召喚の術が失伝せず、現在まで残っているのだろうか。
ただ確実なことは、この城も安全な場所とは考えられなくなった。
彼女を、一旦帰すべきか。
コアイはそんなことを考えながら歩き、屋敷に帰り着いた。
「お」
正門の前で、見張りをしていた大男アクドと顔を合わせた。
「詳しくは分からんが侵入者だった、強くはなかった」
「とりあえず、こっちは異常なしだ」
「そうか、ご苦労だった」
コアイは大男の報告を受けて、無意識にそう返していた。
「ん? あ、ああ」
コアイの返答を聞いた大男は目と口を丸め、ぽかんと開ける。
「ところで……貴様は転移術や召喚術の使い手を知っているか?」
「転移、召喚……う~ん、俺は聞いたことがないなあ……ああ、もしかしたら」
「人間の言う「神の御業」ってやつかもな?」
「神……」
「現に王様がここにいるんだ、人間の信じる神だってどこかにいるかもしれんぜ」
その言葉を聞いたコアイの表情は、ずいぶん強張っていたらしい。
「ん、なんかマズいこと言ったか、俺?」
「いや……」
「……神、か」
もし、もしそれがこの世界のどこかに居るならば、おそらくそれこそが、敵……
コアイは強い敵意と憎悪を感じ、拳が震えた。
アクドとの対話を終えたコアイは、屋敷に入ると真っ直ぐ寝室へ向かった。
スノウはベッドの上で、いまも眠っている。コアイは背を丸める彼女の横に座り、彼女の髪に手を触れてみる。
悪意、怒り、苛立ち……それらは、彼女を見ていると和らぎ、薄れていく。
そうしてコアイの心が穏やかさを取り戻した頃、手を置いていた頭がピクリと跳ねた。
「ん……あ、おはあ゛ぁ゛~……」
彼女の澄んだ声が、たちまち濁った。
「あだまい゛だい……」
「大丈夫か」
「たぶ……え? なにこのカッコ」
彼女の上半身は裸である。
「っ、なんかした!?」
彼女は頬を紅潮させ、唇を強く結びながら目を剥いて見つめてくる。
「い、いや、寝かせただけで、何も、していない」
コアイはほのかに紅い彼女の顔と、力のこもった視線にどぎまぎしてしまった。
胸が熱い。平静に吸えていたはずの、息も熱い。
顔が熱い。喉が熱く渇く。何かが、欲しい。
「ちょっ、離し……痛いって……」
「え!?」
気が付くとコアイは、彼女を強く抱きしめていた。
「す、済まない」
コアイは腕の力を緩め、彼女の身体を覆う程度に触れる。
「心配したぞ」
「ウッソ心配って顔じゃなかった! ……ふふっ」
二人はしばらくの間、そのまま触れ合っていた。
二人体勢を変えぬまま、やがてコアイが切り出した。
「寂しいが、また……帰ってもらおうと思う」
「今回も早いな!」
「詳しくはまだ分からぬが。この城を直接攻めてくる魔術士共がいる……そなたを危険に晒したくない」
「王サマと一緒なら平気じゃない?」
「私はいつかそ奴等を討ちに行かねばならない、しかしその時にはそなたを守れないかもしれぬ」
「りょーかい! 王サマの言うとおりぃ、帰ります!」
彼女はいたずらっぽい笑顔を見せてから、頷いた。
「あっそうそう、あれ持ってきたよ」
「あれとは」
「ふっふ~ん……完璧だよ?」
彼女はコアイから離れ、服や持ち物の置かれた机から二枚の紙を取り出す。そしてその白い部分だけをコアイの側に向けながら戻ってくる。
「ほら、この前の!」
彼女が紙を反転させると……以前彼女の魔術で光板に描かれたものと同じ、二人の肖像画のような絵が大きく写されていた。
「あの時のそなたと、私……」
「そ! しかも二枚!」
「ありがとう……一枚は持ち歩き、もう一枚はここに飾ろうか」
「まかせる!」
「いつも、そなたが……ふふうふふっ」
コアイは堪らなく、嬉しくなった。そのせいか、思わず失笑してしまう。
「わっキモい笑い」
「今度は、私もそなたへの品を用意したのだ」
コアイは二つの宝飾を彼女へ手渡す。
「次は、身に着けて来てくれたら嬉しい」
「これどうやって着けるの? まいっか、ありがと!」
「では……私は必ず、必ずもう一度そなたを喚ぶ、だから待っていてくれ」
コアイは彼女を立たせてから数歩離れたところで、人差し指の先を齧る。
私は指先に滲む血に命ずる。彼女の足許の床に、召喚陣を描けよと。
指先から、血がためらうように流れ出す。それでも流れ出た血は彼女に触れぬよう遠慮がちに進み、召喚陣を象どった。
「やっぱ見た目がちょっとエグいなあ……」
私は左手を高く掲げながら指を折り、その先端を召喚陣に向ける。そして、
「La-la mgthathunhuag!!」
どこで知ったかも不確かな、されど最も重要な呪文の一つを発声した。
赤い召喚陣が鈍く輝く。召喚陣は淡い色を発して辺りをぼかしていく…………
「ありがとう、またね! 王サマ!」
ズン、と胸に重みが圧しかかる。
「私は必ず、必ずもう一度そなたを喚ぶ! だから!」
私は思わず、彼女へ叫んでいた。
淡光は少しずつ周囲の空間に混じり、やがて寝室の全てが、薄明かりに溶かされていく────
コアイは独り、寝室で立ち尽くしている。
ふと、冷たい風が窓から吹き込み、立ち尽くすコアイを撫ぜた。
寒いな……
けれど、いや、だからこそ闘おう。
彼女と二人、安らかに生きられる世界のために。




