異聞録 二 あらがうものたち
◇ソディ・ヤーリット◇
***人間の軛を断つことこそ***
「紫オペ、五十樽……確かに」
ヤーリット商会総帥、ソディの立ち会いの下……我々は品物を受けとった。私は執事に、代金を支払うよう目配せする。
「では、こちらが代金の金貨九十枚となります……ご確認ください」
「それでは、失礼して」
彼は渡された皮袋から金貨を十枚取り出しては机に立てて、それを七度繰り返していた。
商取引を終えた私たちは、ささやかながら宴を楽しんでいた。警戒心の強いエルフが人間と同席すること自体珍しいことなのだが、護衛らしき供も丸腰の大男一人しか付けていない。
この男、蛮族にしては……よく商いを理解している。互いの信頼あっての取引……彼は、人間の商人と取引するのと変わりなく、普通にやり取りができるので助かる。
彼は蛮族でありながら、魚と河のように我々人間と融け合い、上手く共存している。そのお蔭で我々も、互いの名物を融通しあうことで大きく儲けられている。
「うまっ、うまっ! こりゃうまい、これはどんな料理だい!? 教えてくれ!」
……それにしてもこの護衛、まったくよく食べる……まあそれは置いておいて。
「気の早い話ですが、来年も宜しくお願いしますぞ」
今後も取引を続けたいという意思を、彼にしっかり伝えておく。
「領主様の意向や作況の都合もあります故、確証はできませんが……精々努力しましょう」
「是非とも、今後もご昵懇に」
多少の文化の違いはあれど、今後も彼とは仲良く取引していきたい。
なんせあの紫オペだけでも、王都まで運べば……適当に安売りしても一樽で金貨六枚にはなる、まさに金の卵なのだから────
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紫オペが一樽で、金貨二枚弱か。まあ悪くはない。
王都ではかなりの高級品として売られているようだが……どうせ、領主にはタダ同然で取られているものなのだから十分だ。
この調子で、領主への納入量を抑えつつ余剰を売っていければ……良い収入になる。
エルフの中には、人間との商い、人間との交流自体に批判的な者もいるが……誰と商っても、金は金だ。必要なときに必要なだけの金を使えるよう、日頃から準備しておくべきだ。
そのためには、むしろ人間との商いは避けられない。エルフとだけ商っていては、微々たる儲けにしかならぬ。
とは言え、金だけでは足りない。
仮に、商会の金で高名な騎兵団を雇ったとしても……国家の有事とあれば、即座に寝返られる懸念もある。
金だけでは及ばぬのだ、我等に固有の武力を持たなければ足りないのだ。
大っぴらに鍛錬できない以上、限界があるが……それすら打破する逸材が現れてくれないだろうか。
できれば、儂が生きているうちに…………
~大陸南部を拠点としていた商人の独白、そしてソディの独白~
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祖父アボックの代より続くヤーリット商会を順調に成長させ、エルフでありながら人間の巨大商人にも匹敵するほどの商圏、財力を確保した傑物である。
エルフは人間の約五倍の寿命を持つため、能力と意欲を兼ね備えた人物で、特に障害や障壁もなければ……どの分野においても一定以上の成果を挙げることが多い。強いていえば肉体的には人間よりひ弱な傾向があるが、逆に魔術的には人間より優れる傾向にある。
それ故、人間は支配下のエルフに対し「禁錬」を定めている。過去に現れた「魔王」コアイに比肩する存在……とまではいかずとも、人間の支配を揺るがすような強力な魔術士が現れないように。
とはいえ、実態としてエルフ達は人間の目を盗んで魔術を鍛え続けている。
ソディは父の跡を継いでからの百数十年、ひたすら財を積み上げて有事の備えとしながら……財力では得られない、傑出した武力を持つ存在が現れる日を気長に待っていた。それは、人間の感覚、価値観からすればあまりに遠大な策であるが。
趣味、といえるものではないかもしれないが、余暇時間には軽く酒を飲みながらエルフが人間の支配から独立した後の世を空想することが多い。
(名のモチーフは、「耶律……材」)
◇アクド・ワン◇
***もっと、力があれば***
「ぬおっっ!?」
大汗をかいて、夜中に目を覚ます……
また、あの夢を見ていた。
あのとき、俺は……アッカ兄を守れなかった。アッカ兄だけじゃない、奥さんも、子供たちも守れなかった。
あの時、俺は一緒に寝ていたリュシア一人を守るだけで精一杯だった。俺が先に気付けていれば……夜営地の付近に潜んでいた強盗たちの気配を感じ取れていれば……皆を死なせずに、済んだはずだった。
気づけなかった。
俺は、一廉の武芸者のつもりだった。
けどそれは自惚れだった、俺はただの荒くれ者でしかなかったんだ。
戸を叩く音が聞こえる。
「アクドさん、大丈夫ですか?」
この声は、クランさんか。
「済まねえ、起こしちまったか……大丈夫だ」
「ずいぶんうなされていたようですが」
「大丈夫、大丈夫だ……どうか、気にしねえでくれ」
クランさんは美人だし、本当に、優しい。
俺には優しすぎて、眩しすぎる。だけど一緒にいられるだけで温かくて、とてもありがたい。
~アクドが見る悪夢と、隣人のやさしさ~
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ソディの妹の子で、エルフとしては類い稀な体格と身体能力を誇る。それを活かして若年からソディらエルフ要人の護衛をすることが多かったが、ある時「禁錬」の法に触れたとして二十年ほど、徒刑……鉱山での強制労働に従事することになる。
しかし、気さくな人柄故か鉱山労働の中で同僚の罪人、屈強な人間たちと打ち解けて人間の文化や技術に触れる。この経験と人脈によって更に戦闘力を高めるとともに、人間全体に対する偏見を少し改める。
刑期を終えて村に戻った後は、ソディと共にエルフの独立を願いながら過ごしていた。
趣味は酒に合う料理作り。趣味と代官の監視の目を逃れる目的を兼ねて、平時は酒場を営んでいる。
(名のモチーフは、「完顔阿骨……」……地球の歴史とは、あまり関連していません)
◇リュカ・ヤーリット◇
***想いを***
私は、おかしくなってしまった。
陛下に一目見えた、あの時から。
あれから……四十年ほど、今の姿で生きてきた。そのことに、不満も後悔も持っていない。
つもりだった。
けれど今、私は…………
すべて、さらけ出してしまいたい。
そして、すべてを陛下に……身も心も、陛下に捧げてしまいたい。
けれど、陛下はあの女のことしか見ていない。
人間の、あの女。
そのことだけが、悲しいほど理解できてしまう。
結局私は、心すら……陛下に沿えていない。
私は、おかしくなってしまった。
今では、陛下の前で「リュカ」と呼ばれることすら……胸をギリギリと締め付けられるように感じてしまう。
私は、陛下に触れられたい。
私は、陛下のものになりたい。
なりたいのに。
~一人、枕を濡らす夜あり~
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ソディの一人息子だったアッカの子、つまりソディの孫である。
アッカはソディの後継ぎとして商会で辣腕を振るい活躍していたが、ある時人間との商いの帰り路で強盗団に襲われてしまう。不運なことに、商いのついでに都市を回る家族旅行をしていた最中であった。さらに折悪しく、手練れ揃いの強盗団による夜襲であり……
アッカ自身は優れた魔術士でもあり、妻子を守りながらの戦闘でなければ……強盗団が凡百の集団であれば……あるいは、夜襲を察知し先んじて対処できていれば、命を落とすことはなかったかもしれない。
しかし現実として、強盗団の襲撃を生き延びたのはアクドとリュカのみであった。
のち、生き残った父母の仇の多くが人間社会で刑死、あるいはソディの働きかけによってエルフ達に引き渡されたが……リュカの人間に対する偏見、憎悪は今なお根深い。
趣味は器用さを活かした魔術機巧の改良や試作。
(名のモチーフは、「耶律留……」)




