十九 されどチの先で花枯れて
コアイは再びスノウの肩に手を添えて、彼女の様子を見続ける。
「王様、俺だ。入ってもいいか?」
砕けた調子の低い声が、あまり畏まってはいない言葉を届けた。
「入れ」
この声と口調は大男アクドであろう、コアイは別段気を使うことなく言葉を返した。
返答を受けて寝室へ入ってきた筋骨隆々の男は、その身体には不釣り合いな小皿を持っている。
「前に言ってた乾酪を仕入れたから、持ってきたぜ」
「彼女が起きたら、食べさせてやりたい」
「そういえば……お嬢ちゃん、大丈夫なのか?」
「顔色が良くなってきた、このまま寝かせてやれば大丈夫だと思う」
二人はそれ以上言葉を交わさず、他の面子が寝室に集まるのを待った。
「陛下、ソディにございます。宜しいですかな」
老人ソディのしゃがれた声が聞こえる。
「入るが良い」
コアイは、先程よりは少し丁寧な応えを返した。応答から一拍おいて、小柄な老人と整った顔立ちの若者が寝室を訪れる。
「揃いましたな、それでは……」
老人はゆっくりと、自身が想定している今後の戦略、立ち回りについて語り始めた。
「それではおじい様は、人間どもを許せと言うのですか!?」
一通り話を聞いた後、若者リュカは声を荒げた。その声は若々しい張りに富んでいたが、男声的な太さの欠けた声に聞こえる。
「リュカよ、そうではない。ただ、しばらくは力を蓄えるために辛抱せよ、というだけのこと」
「陛下がおられながら、人間どもを野放しにするなんて」
若者はきつく顔を歪めている。
「気持ちは分かる、分かるが……」
大男は悲しそうに眉を下げながらつぶやいた。
「父の、母の、兄や弟の仇を、野放しにしろと!?」
「人間皆が、仇ではなかろう……それに、あの山賊どものうち半分には報復できた」
「お爺様は、それだけで満足なのですか!?」
「儂の亡き後はお主らに任せるつもりだ。だが今しばらくは、全てのエルフのためにも堪えてくれぬか」
「私は…………」
若者リュカは視線を落とし、黙ってしまった。
「ところで伯父貴よ、そう簡単に人間が停戦に応じるのか?」
次に、アクドが老人に訊ねた。
「脅すのさ、陛下の力を十分に見せつけたあとでな……我らに刃を向ける者は全員殺す、歯向かわねば許すと。こちらにはそれだけの力がある、とよく思い知らせた上でな」
「よくしろく……」
彼女の寝ている側から、高くか細い声がした。
「欲白く?」
「……寝言だろう、少し具合が良くなったか」
コアイはそうこぼしながら彼女に目をやる。そのときコアイは、別の視線を感じた。それは強い意識を伴うものだが、敵意や悪意といったものとは違う意識だろうと感じた。
コアイは視線に、視線を返してみる。その先では、若者が慌てた様子で目を逸らしていた。
「で、それで人間が大人しくなるだろうか?」
「人間も、大抵の者は命を惜しむ。力を以て力を制すのだ」
「んん……?」
大男は、あまり合点がいかない様子だ。
「……例えばこの辺りで、お前に喧嘩を売るエルフがおるか? おらんだろう? 言うなればそういうことだ」
「ああ、まあ確かにいねぇな……うん、何となくわかったかもしれん」
「……お前はもう少し頭も動かせ」
老人はそうたしなめながら苦笑する。大男も、同じように苦笑するしかなかった。
私も、早く彼女と語らいたい。
苦笑しあう二人の姿を、コアイは少し羨ましく思った。
穏やかな沈黙が、寝室に広がっていた。
それは、若者の声に追い払われる。
「これは……」
若者は机に近付き、そこに置いておいた宝飾品へ目をやっていた。
「ん? ありゃ「沙漠の薔薇」か? ずいぶん白いな」
「ほほう……陛下、お目が高いですなぁ。良き品をお求めなさったようで」
皆の注目が宝飾品に集まる。そこで若者は、妙なことを願い出た。
「この宝飾……おひとつ、私にいただけませんか」
「リュカ?」
「私は、陛下のお心さえ感じられれば、私は、きっと……どんな苦悩にも耐えられる……」
この者は、いったい何を言っているのだ。
「断る、何故お前にやらねばならぬ」
コアイはそう言いながら、思わず若者を睨み付けた。
「それに、それらは私のものではない」
「……ならば、これは」
「それらは……」
コアイは、添えた手の側へと視線を落とす。
「……すべて彼女のもの」
それは、コアイにとっては自然で、当然な答え。
「申し訳ありません……失礼します」
コアイの返答を聞いた若者はしばらく俯いていたが、言葉を搾り出すようにつぶやいた。そして下を向いたまま、足早に寝室を出て行った。
「リュカ……?」
気まずい沈黙が、寝室に広がっている。
それを追い払おうと、大男が口を開いた。
「そういえば、エミールで妙な噂を聞いたぜ」
「どのような?」
「この世界にもうすぐ、「勇者」を名乗る救世主が現れる……と、神の預言があったとか」
「「勇者」?」
「その「勇者」とやらが神に導かれて魔王を滅ぼし、再び人の世を取り戻してくれる……んだそうだ」
神……あまり心地の良い響きではない。
「神、か。人間の言う神とやらは、いつも人間しか見ておられぬのか」
「例の騎兵団が壊滅してからというもの、あの辺りはずいぶん動揺してたらしい……ただの気休めかもしれん、という意見も聞いたがな」
「私も西で似た話を聞いた、またおかしなことを言う女と戦った。人間の神……あり得る話だ」
コアイは、西の城市での出来事を思い出していた。
「救世主、勇者……そんな連中を倒せれば、人間もたいそう怖じ気付くでしょうな」
「しかし、勝てるのか?」
「心配してくれるのか?」
大男は無言で、苦笑いを返した。
闘争……楽しもう。
しかし、敗れるわけにはいかぬ。
今の私には、護るべきものがあるのだから。
勝たねばならぬ激闘の予感に、コアイの心は躍っていた。
「んっ……」
添えた手に力を込めてしまっていたらしい、彼女が呻き声をもらす。
「あ、済まない……」
「では、邪魔者はそろそろ行くとしようか」
男達は、寝室から立ち去ろうとしている。
「それにしても、リュシアは……」
「ん、どうした」
「あ、い、いや、何でもない、何でもねえよ」
本話をもって第三章は終幕となります。




