十八 群れ護る者のチを
コアイは動かない彼女を抱いたまま、寝室へと戻った。そして寝室に入ると直ぐに彼女をベッドに寝かせ、自身は側に腰掛ける。
苦しそうな彼女を見ると、なにやら胸が苦しくなる。
私は、彼女を安らげてやりたいのだろうか。
それとも、己の胸中を安らげたいのだろうか。
私には、分からなくなる。
コアイは彼女の肩にそっと、手を置いてみる。
けれど。
私は、可愛い彼女に触れていたい。
そして、元気な彼女に触れられたい。
それは、私でも分かる。
コアイは彼女に手を添えたまま、その顔をじっと、見つめ続けている。
どれ程そうしていたか分からないが、ふと扉を叩く音が聞こえた。
「陛下、陛下……クランです、よろしいですか?」
「入れ」
部屋の外から女の声がした。コアイは寝室に入るよう促す。
扉が開き、衣服と水差しを持った女が部屋に入ってきて……器用に扉を閉めた。
「奥方さまのものらしき服をお持ちしました、ついでにお水を」
女はベッドから離れたところに置かれた椅子に衣服をかけ、それから近くの机に水差しを置いた。
「湯あたりでも悪酔いでも、お水が必よ……あ、杯を忘れてきちゃいました」
クランは苦笑している。
「この際、そのまま飲ませても良かろう」
「すみません」
コアイは一旦彼女の身体を起こし、水差しの注ぎ口を彼女の口に付けた。そして水を流し込み、彼女に飲ませようとした……その多くは口外に溢れ出していたが。
「んぅ」
彼女は水を感じてか、微かに唸り声を上げた。その表情に変わりはない。
「しばらく様子を見るのがよさそうですね、では失礼いたします」
そう言って女が退出する頃に、別の来客が寝室を訪れていた。
「あら、ソディ様」
「おやおや、こんなところで何を?」
「陛下にお届けものをして、戻るところです」
「陛下、お話したき儀があるのですが……よろしいですかな?」
「ここでも良いなら、私は構わぬ」
今のコアイにとって一番の関心事は、隣で横たわる彼女の具合である。今は、彼女を看ていられればそれで良い。
「承知いたしました、では失礼いたします」
女と入れ替わるように、老人ソディが寝室に入る。
「ちょうど良い、私も貴殿に訊きたいことがある」
「では……お先にどうぞ、陛下」
コアイは彼女の肩に手を添えたまま、ソディに訊ねた。
「貴殿は……人間を皆殺しにすべきだと思うか?」
「儂も人間に恨みはありますが、率直に申せば……人間全てを殺すべきとは思っておりません。それに」
「それに?」
「今は、人間共との争いを早めに切り上げるのが得策と考えております」
老人は、人間と停戦すべきと言う。
「儂の考えを、しばしお聞きいただけますかな」
コアイは軽く頷き、老人の言に耳を傾ける。
「儂は……陛下のお力を盾に人間を脅し、一旦休戦を約すべきと考えておるのです」
「可能であれば旧領の割譲も求めたいですが、まずは休戦し相互の不可侵を定めることが優先かと」
「そして、休戦している間に軍備を整え、財を蓄え、エルフを殖やし……十年、いや数十年かけてでも、陛下に頼らず身を守れる程度の力を付ける」
「……その後は、陛下の御力をお借りし人間共を倒すもよし、奴らを捨て置いて平穏に暮らすもよし……その決は、陛下と次の世代に委ねましょう。その時には、儂はまあ生きてはおらんでしょうからな」
最後に調子を軽くして、老人は一旦口を止めた。
「今は攻め時でない、というのは何故だ」
「仮に陛下が人間側の都市へ攻め寄せ全力で闘ったとしても、逃げ隠れる者、地下に潜る者共まで殲滅することは難しいかと存じます。そして、その者共が陛下のご不在時を狙って攻めてきたとしたら……おそらく、こちらが不利でしょう」
確かに、あの時も何人かには逃げられている。奴等の小狡さは、侮れない。
コアイは先日衝突した襲撃者の一団を思い浮かべていた。
「陛下はけして敗れぬでしょうが、我らは滅ぶやも知れません」
それは、彼女も望まないだろう。コアイはそう推測する。
「頭数を揃えられさえすれば、人間とも戦えると考えますが……今はまだ難しいでしょう」
「危険を冒すよりは、程々に勝ったところで従わせるのが上策かと」
「それに人間も、商売相手とする分には存外悪くないものです。陛下も、西方で実感なされたかと存じます」
確かに、人間は使いようなのかもしれない。
「今後は小競り合いをしつつ、機を見て……よい頃合いになったところで、伝のある貴族を使って休戦交渉の場を設けさせるつもりです」
「陛下がこの方針をお認めくださるならば、リュカとアクドにも話しておきたく存じます」
コアイには、気がかりがあった。
「先日立ち寄った翠魔族の村……彼等は人間を殺すことを喜んでいた。彼等は、貴殿の計に納得するのか」
あの村の者達は人間への敵意に染まり、人間への加虐を楽しんでいた……コアイの目にはそう映っていた。
「そのように急進的な主張があることは、承知しております。が、何とか説き伏せるつもりです」
「そうか、ならば……それらは貴殿に任せる」
「……ありがとうございます」
老人は深く、深く頭を下げた。
「早速、リュカとアクドにも話したく存じます。ここに呼んでもようございますか」
「ああ」
「忝ない、ではしばらくお待ちくだされ」
老人はその顔に謹厳な雰囲気を漂わせながら、コアイに背を向け退出した。
コアイは、会談の間も常に彼女の肩から手を離さなかったこと、その肩が動かなかったことに気付いた。そこで彼女の顔に視線を移すと、先程より少しだけ顔色が良くなったように見えた。
それを見てコアイは少し安堵し、そこで不意に……彼女への贈り物の存在を思い出した。
コアイは少しだけ彼女から手を離し、懐に忍ばせていた宝飾品を二つ、近くの机に並べておいた。




