十五 モリ護るものと
馬と死に別れたコアイはゆっくりと、しかし確実に草地を東へ、東へと歩いていく。
数刻ほど歩き、大月が視線の先に昇り周囲を照らし始めた頃……城市メルーフで馬を調達すれば良かったことに気が付いた。
が、城市で馬を得られるとも限らず、また『光波』を逃れた襲撃者の残党が城市に潜んでいる可能性も考えられた。
ただ、それ以上に……今更来た道を戻る意志が湧かなかった。
コアイの足取りは、けして軽くはない。
しかし、コアイは……
懐に彼女への装飾を、手に彼女への酒瓶を、胸に彼女への想いを携えている。
だから、どれほど長い旅程でも。きっといつまでも、歩いていける。
月明かりの下で草地を歩き、陽光の下で荒れ地を歩き、星の見えない曇り空の下で草原を歩き…………
三日目の夜、コアイは森林……林道の手前に差し掛かっていた。
一目見た限りでは、例の者共が木々に身を隠しながら矢を放つのに絶好の場所であった。
そんなコアイの印象通りに、数本の矢が飛来する!
矢は微かな風切り音を鳴らしながらコアイに向かい、そして当たり前に逸れていく。
コアイは自然と、手に持っていた酒瓶をかばうように片手を引いた。己の身体を盾とすることで、自身の魔力が及んでいない物品を護るために。
コアイは酒瓶を持つ手を後方に引いた姿勢のまま、前進する。
すると一本の矢が、まるでコアイの油断を待っていたかのように遅れて射ち込まれた。しかしそれも、当たり前に逸れていく。
前進を続け、やがてコアイは森林へ足を踏み入れる。しかしそこに人の姿は無く、草木を撫でたような僅かな音が響いたのみであった。
コアイは一度立ち止まり、地図を確認することにした。行きは騎乗していたので風景の記憶が確かでないが、この道が行きに通った場所と同じであれば、東に翠魔族の村がある。
行きには素通りしていたが、今度はこの村に立ち寄ってみよう。村の者と話をして、城と連絡を取るか、馬を借りるか……
とにかく、早く帰ろう。
コアイは一つの想いを恃みに、林道をゆるゆると歩き続ける。
月光を浴びながら数刻進んだ頃、魔力を具えた者達の存在を感じ取った。翠魔族の村が近いのだろう。
「動くな! 動くと撃つ!」
林道を歩いていたコアイは、突然大声を聞いた。それに続いて、声の主らしき者が駆け付ける。
「お前、人間……か? この先に何用だ」
声をかけてきたのは、翠魔族の若い男だった。
「……この先に翠魔族の村はあるか」
コアイは歩みを止めない。
「あ、待て!? 止まれって、撃つぞ!?」
「好きにしろ、だが私の道を塞ぐな」
「はあ!?」
若い男は戸惑った様子で右手を上げた、すると男の後方、左右からコアイの足元へ矢が打ちこまれた。足元に突き刺さった矢は、森に入る前に射たれていたものより大きな……一般的な弓で放つ矢に見える。
「次は、当てるぞ!」
「……当ててみれば良い」
挑戦的とも他人事とも取れるコアイの返答に少し困った顔をしながら、男は上げていた右手を握り親指だけを空に向けた。
左右の矢が唸り声を上げながらコアイを狙って飛びかかる! しかしそれは、当たり前に逸れていく。
「……え? 外した? そんなはずは……」
男の驚く顔をよそに、コアイは東へと歩き続ける。
「お、おい!? 待て、待ってくれ!?」
コアイは応えもせず、待ちもしない。
男はコアイの横に付いて声をかけ続ける。
「あんた何者だよ!」
林道の先で問答を見ていたのか、前方から弓を持った男が駆け寄って来た。
「おーい、大丈夫か~」
「あ、貴方は、もしかして……?」
弓を持った男は、コアイの顔を見て何か感じたらしい。
「あ、私はバルジュ村のジルチという者です。もしや貴方は、コアイ様……ですか?」
「何故私を知っている」
「村長に少し話を聞いていまして、もしかしたら……と思いましたので。知らずのこととはいえ、どうかお許しください」
弓を持った男は、弓を足元に差し出しながら跪き、弓から手を離して深く頭を下げた。
「え、それって」
遅れて、道を塞ごうとしていた男も跪く。
「村はこの先か」
「粗忽者ではありますが、村へご案内いたします」
「あ、シムレンは先に行って村長に話しといてくれ」
コアイは翠魔族の若者と共に、村へ向かう。
「先ほどはすみませんでした。夕方ごろから人間が森を侵していたので、残党狩りを兼ねて監視していたのです」
人間……先の襲撃者達だろうか。
「何人か生き残りを捕らえたので、村の者が尋問しています。立ち振舞いから手練だったとは思いますが、何か別のことに気を取られていたようでもあるのです」
「そうか、腕が良いのだな」
「森が私たちを助けてくれますので」
良く喋る若者の話へ適当に付き合いながら、コアイは夜道を歩いていく。
「殺せ! 早く殺してしまえ!」
「いや、じっくり痛め付けろ!」
「森を侵す人間など、浄めてやるまでもなかろう」
「わたしたちの森であんなものを使うなんて、許せない!」
コアイ達が村の外れにたどり着いた頃、村の中央辺りから声が聞こえた。そこには篝火の灯りと、人がくくり付けられた大きな杭が数本と、それらに群がり口汚い罵声を浴びせる人々の姿があった。




