十二 加護空しくハナは手折れ
「あっ、ヤバっ……」
その言葉を最後に、コアイにとってどこか懐かしく、そして極めて不快な声は聞こえなくなった。
コアイは気を取り直し、対峙している女の意思を確かめる。
「さて、お前は私と闘うつもりか? 私の力は解っているのだろう」
「うん、けど……守りたいものが出来たからねえ」
守りたいもの、か。
私にも、失いたくない目的がある……
「アタシみたいな女が、生き甲斐をもらえたんだ。なるべく、がんばってみるさ」
「……そうか」
女はそう言い終える辺りで、どこからか拳大ほどの塊を取り出していた。
「それも、魔力を高める道具なのか」
コアイは以前に女が持っていた小瓶を思い出していた。あの時は、女が小瓶の中身を飲み干すたびに、その魔力が増幅されていた。
「ま、そんなとこだね……ところで、さっきから変な声がしないかい?」
「お前にも聞こえたのか」
「人間は可愛いとか、力を貸すとか、何なんだいこれは」
女が呟いた疑問は、コアイには聞こえなかった言葉を含んでいた。
「とりあえず、こいつを喰っておこう」
女は手にした塊にかぶりついた。その塊は熟れた果実のように容易く噛み千切られ、女の喉を流れる。
「ほう……」
以前よりも更に強力な魔力が女に宿る。それは女から漂う埃のような匂いと、碧い宝石のように輝く女の眼や髪が雄弁に物語っていた。
「けど多分、これじゃ足りないんだろうねぇ」
そうぼやきながら詠唱を始めようとする女が何を生み出すのか、コアイは静かに待っている。
「身体無くとも霊子無くとも、祈り続けよう」
「触れられずとも聞き取れずとも、謳い続けよう」
「凡ては貴女への捧げもの 『骸兵』」
女の左右に、全身に鎧を纏った戦士らしき者が現れた。ただし、兜を乗せた顔に肉付けは無い。
「え? ……なんだって? ま、それがアタシのためってんならやってみるよ」
女は何かに疑問を抱き、渋々従うかのような独り言を並べた後、
「主の御心為すため、我に技巧……を、我に強力を」
「来たれ閃き、来たれ……鋭、剣……?」
女は途切れ途切れに詠唱を紡ぐ。
「授かりしは聖遺…… 『煌雷刃』……?」
「うわっッ!!」
どこか合点のいかないような詠唱を終えた女に、突如雷が落ちた!
「…………え?」
雷光が収まった頃、女の両手からは剣のような象に固まった雷が伸びていた。
女が戸惑ったようにその一方を振ると、その周囲に稲妻が拡がる。
もしこの場に、女の姿を見ている人間がいたとしたら……その者は間違いなく、雷を操る女の姿に神々しさを感じたことだろう。
「これが……よおし、前進!」
女は鎧の戦士達を前進させながら、彼等と歩調を合わせてコアイへにじり寄ってきた。コアイは風の魔術を想起して待ち構える。
「風よ我が刃よ、『突風剣』」
コアイの短い詠唱に対し、女は何かに従うように手中の雷を振りかぶった!
袈裟斬りの風刃が剣状の雷とぶつかり合い、風刃が雷を吹き飛ばす! しかし風刃も威力を失ったのか、女の身体を切り裂くには至らなかった。
そして僅かな間ののち、女の手中から消えていた雷が煌きと共に甦った。
「再度噴き上がるか」
輝かしい雷の再光を感じてか、女は溌溂とした顔で次々と、乱雑にコアイを斬り付けようとする。それらは、コアイの身体に届きはしない。
しかし、それはコアイに触れられぬまでも、何らかの力、熱量のようなものを少しずつコアイへ与えてくる……!
コアイはその知覚に、感嘆の溜め息を漏らした。
なかなかの力、良い闘いができるかも知れない。
コアイは始めにこそそう思ったが……何処からかこの女へ加えられているような力が、何故かとても不愉快に感じられた。
何故だろうか、これは私には楽しめない。
そんな力。
壊して、しまえ。
「その力……不快だな」
「アタシもよく分からないんだが……お褒めいただき、どうも」
「最早、加減もせぬ」
「……風よ木よ、水よ音よ、鹿よ狼よ」
「安寧たれ静穏たれ 『聖域』」
コアイは『聖域』を求めて願う。
視えざる壁、侵されざる風がコアイの周囲を包み、その内に絶対の圏が生まれる。
「もうお前の声も聞こえない」
女が何か叫びながら、コアイに向かって雷の刺突を繰り出してくる。しかし今や、先に伝わっていた温度ですらコアイへは届かない。
女が何度コアイへ雷をぶつけようとしても、その力は決して届かない。
コアイはどれほどの間、女と戦士達の刺突、斬撃、挟撃を見ていたのだろうか。
どんなに静観を続けても、コアイに宛てた何かがその身に届くことは無かった。
「……潮時か」
女は、息を切らせ天を仰ぎながら何かを喚いているらしい。
「風よ我が刃よ、我が鎌、我が大刀」
コアイは『突風剣』を応用……横幅の広い風刃を幾つか連ね、回避の困難な斬撃の面を創り出す。
「楽しいお祭りは、お終いか」
斬面が女を襲う。
風刃の一つが女の肩口から脇腹の辺りにかけて袈裟懸けに割り込み、その体を上下に断ち切った。
「けど大丈夫、きっともう……遠くま……で…………」
コアイが辺りを見渡すと、天幕が並んでいたはずの一帯はすっかり荒れ果てていた。




