九 つかの間、サケの香
この魔力……どこかで…………
コアイは魔力を匂わせる人物を思い出そうとしつつ、城門へ向かって歩く。
先日の城市とは違い、城門へ続く道は行き交う人間達で賑わっている。
老人ソディが薦めていたのは、きっとこのような街での取引なのだろう……と察しながら歩くコアイの姿を、すれ違う人間達が様々な思いを抱きながら振り返る。
そんなことは露とも知らず、コアイは淡々と歩を進め街の大通りへ入っていく。そしてそこを少し歩いた辺りで、ジャグの描かれた看板とジョッキの乗せられた酒樽を目にした。
「ここは酒場か?」
コアイは近くにいた女に尋ねてみる。
「そうだよ、一人かい?」
「……ああ」
コアイはやや肥えた中年女にそう聞かれ、何故か少し気持ちが沈む。それでも、コアイは小声を絞り出して答えた。
「いらっしゃい、あそこが空いてるね」
女に、カウンターの真ん中辺りに座るよう案内された。椅子の並びを見ると三席が空いており、コアイは真ん中の席に座ることにした。
「おい、あれ見てみ」
「ずいぶんキレイな顔してやがんな、女か?」
「まさか、あんな綺麗な面の女が一人で出歩いて、しかも酒場まで飲み歩きに来るか? ああ見えても男なんだろう」
「あれなら男でも構わねえけどな」
「ぶっ」
「おいおい、勘弁してくれ」
この店は客が多く、どうも騒がしいらしい。コアイは雑音を聞き流しながら着席する。
「ご注文は?」
カウンターの向こうに立つ店主らしき中年男が尋ねてきた。
「この地域でお奨めの酒はあるか」
「この辺りの物じゃあないが、ラッキかカヴァクあたりどうだい」
「この辺りの物ではいけないのか」
近場で手に入れられそうな物を知り、試したかったコアイにとっては良い返答でない。
「おいおい兄さん、きれいな面して難しいことを言うねえ……」
カウンターに着いていた男が横槍を入れてきた。
「この辺りは酒造りに必要な水が少ないから、あまり酒を造ってないのさ」
そう言いながら、男が距離を詰めてくる。
「覚えときな兄さ……んっ?」
男はコアイの肩に手を置こうとして、それが奇妙な力に防がれたのを感じとったらしい。
「私に触るな」
男の手は斥力に防がれており、けして触れられた訳ではないのだが、コアイは男を睨み付ける。
「あ、ああ、済まねぇ……」
「ま、ま、気を取り直して……知らないならラッキにしとこうか、これは中々おもしろいよ」
カウンター越しの男はそう言って、コアイの前に大小の器を差し出す。そして各々の器に、別の液体を注いでいた。
「飲み方だが、まず両方少しずつ舐めてみてくれ」
コアイは何も言わず、従ってみる。すると小さな器の液体は香草のような強い匂いと刺激を感じさせた。対して、大きな器の中身は何の変哲もない清水に思えた。
「これは……」
「ああ、大きいほうはただの水だ。どちらも透明だな? じゃ、今度は中身を混ぜてみてくれ」
コアイは器の中を覗いてから、小さな器の中身を大きな器に移してみる。すると、透明だった液体はいつの間にか白く色付いていた。
「ふふ、おもしろいだろ? 口当たりもその白さのように、円やかになってるぞ」
彼女に見せたら、喜んでくれるだろうか……
「水と交互に飲む方法もあるが、初めはこれで飲っとくのがいい」
コアイは何度か器を飲み干し、その度に継ぎ足された酒と水を混ぜては変化の様子を見つめていた。
「ははっ、気に入ってくれたみたいだな」
男は少し嬉しそうに見えたが、コアイにとってそれは重要でない。
「これは何処の酒だ」
「西のカーデス辺りの酒だよ。こっちにはなかなか回ってこねえ上等な珍味だ」
「……そうか、これを一瓶呉れないか」
コアイはこの酒を持ち帰り、スノウに見せてやることに決めた。
「一瓶? まあ出せんことはないが、高いぞ」
コアイは返答を聞き、金貨を一枚器の横に置いてみた。
「ああ……分かった、そうまで言うなら一本売るよ。飲み代と合わせて、これが釣りだ」
店主らしき男は背後の棚から瓶を一本下ろし、銀貨二枚を添えてコアイの前に差し出した。コアイは、瓶だけを受け取って席を立つ。
「あ、ありがとよ。縁があったらまたな」
席を立ったコアイを見て、男は慌てた様子で声を掛けた。コアイは何も言わず、顔を少し緩めて出入口へ向かう。
「おい兄ちゃん、ずいぶん羽振りがいいじゃねぇか」
「日々安酒を呷るだけの貧しき我らに、施しを~……なんてな?」
コアイは雑音に触れず、店を立ち去ろうとする。
「無視かい、すかしてんなァ!?」
「止めておけ」
「あァん!?」
「あれはただ者じゃねえ、それに多分魔術士だ……お前じゃ荷が重い」
「魔術士? そういや例の募兵……いや、まさかな」
コアイは一指を齧って拡げた傷口の血に、苛立ちと命を伝えてから酒場を出た。
そして背後から聞こえる物音と男達の悲鳴を背に受けながら、別の贈り物を探しに大通りを歩く。
城に向かって喧騒の中を進むと、ある点を境に周囲の建物が小綺麗に見えた。コアイはその境目の辺りの道端で、露店を開いている女を見かけた。
敷物の上に並べられていたのは、工芸品や金銀、宝石などの細工品のようであった。
コアイは女に話しかけてみる。
「これは、装飾品を売っているのか?」
「あ、はい」
「わたしはただの店番なので、詳しいことは分からないのですが……女性への贈り物ですか?」
「ああ、どれが良いだろうか」
「そうですね……」
女はコアイの顔と、一通りの品とを眺めてから……三種類の小物をコアイの側へ差し出した。
「血紅玉を使った金の指輪と、青紫玉を嵌め込んだ銀のブレスレット、それと沙漠の薔薇をブローチにしたもの、です。ただ、どれもこの辺りの希少な宝石を使っていて、かなりお値段が……」
「これでは足りないか」
コアイは革袋を取り出し、口を開けた袋をひっくり返した。
「え、え~……あ、そうですね、二つなら」
女はコアイの行いに少し戸惑ったようだったが、すぐに散らばった金貨、銀貨を数え見当をつけたようだ。
「ではこれとこれを貰おう。沙漠の薔薇、とはどういうものなのか」
コアイが手にした装飾のうち一つは……滑らかで光沢のある、それでいて金属とは違う質感を持った淡く白い輝石のようなものが折り重なり、複雑な多層の薄い襞が球形を模ったような品物であった。
「造りはよくわかりませんが、綺麗な石が薔薇の花のような象に固まったもの、水の乏しい砂地や岩場で採れるそれを「沙漠の薔薇」と呼んでいます。その中でも光沢があり、白いものほど……これほど白いものは特に希少で、高値が付くんです」
「そうなのか」
コアイは興味無さげに返事を返したが、内心ではそれを気に入っていた。
様々なものを手に入れたコアイは、満足気に大通りを引き返していく。その行く先では騒ぎが起こっているのだが、コアイはまだそれを知らない。




