七 エガオヲ探しさまざま奔り
「お目覚めですか、陛下……」
寝室の外から、嗄れた声が聞こえてくる。
コアイは目を覚ましており、ベッドの上で背を丸めながら西側に拡がっているだろう景勝、あるいは名物を想像していた。
人間の兵を粗方減らしたら、彼女にあげるものを探そう。
彼女がそれを喜んでくれたら、私も愉しい。
彼女の好きそうなものがあれば、いいな。
「待て、今行く」
コアイは軽やかな気分で扉へ向かった。
「……陛下、先ずは謝らねばなりません」
扉の先にいた老人ソディは、苦笑している。
「どうしたのだ」
「昨日地図に名物名所を記しておくと言いましたが……ここから西、タブリス伯領への道すがら……目ぼしいものは少ないのです」
「そうなのか」
「いや全く面目ない、うっかり忘れておりました」
「……寄り道をしても、駄目か」
「北はなだらかで草地が多く、狩猟や牧畜には良い地勢なのですが」
「南は大森林だったな」
「はい、見るべきものと言えば大木か、獣か」
コアイの心は少しずつ、鈍重さに囚われていく。
「他に、何か無いのか……」
「中部が近道となりますが、荒れ地がちでしてな……道中の泉や湧き水の近くでは、美しい花が咲くこともあるようですが」
「花……」
花……装飾や染物に用いると、聞いた覚えはある。ありふれたものだとも聞いていたから、意識して眺めた記憶はない。
「花は、喜ばれるか?」
「嫌う者は少ないですが、特別好むという者も多くはないでしょうな。子供なら、女の子は大抵喜びますが」
「ああ、ここにいたのか」
老人の後ろ側から、大男アクドの太い声が響いた。
「伯父貴、ウチの村の長が訪ねてきてるぜ」
「またか、全く……後にせい」
「分かった、もう少し待たせとく」
「ふむ、長話になってしまいましたな。続きは朝食を取りながらにいたしましょうか」
「不要だ、もう少し休みたくなった」
「承知いたしました、では後ほど」
「失礼いたす」
老人が扉を閉めるのを待たず、コアイはベッドに倒れ込んだ。そして天井にぼんやり目をやりながら、小さく溜息を吐いた。
「陛下、陛下」
どれほどの時間が経ったのか、コアイは己を呼ぶ老人の声を耳にした。
「貴殿か、西側に名物はありそうか」
「陛下は、あの娘さんへの贈り物が欲しいのでしょう?」
そうはっきり言われると、コアイはどうにも恥ずかしくなった。
「……悪いか」
「いいえ?」
コアイは、自身も上手く例えられない妙な恥ずかしさが増したことを感じ、少しの苛立ちを含んだ眼で老人を睨んだ。
コアイの視線に気付いたかどうかは分からないが、老人は革袋を差し出しながら言った。
「なれば戦闘の前に、城市で装飾品など買い求めてみては如何ですかな」
「面倒な……適当に奪ってきてはいけないのか」
「売買であれば、商人が目ぼしい品を薦めてくれるでしょう。運が良ければ、西方との交易で届いた珍品を出すかもしれません」
じれったいことをしたがるものだ、と思いながらもコアイは耳を傾ける。
「袋の中に、金貨五枚と銀貨を二十枚ほど入れておきました。良き品でも、大抵の物は値切らず買える筈です」
コアイは革袋を受け取ると、手にズシリと鋳貨の重みが伝わってきた。
「人間の料理屋や屋台で食事を取ってみても良いかもしれません、陛下のお姿なら訝しむ者も少ないでしょう」
「食事のことなど、貴殿やアクドに訊けば十分ではないか」
「味覚は各々で異なるものです、種族が異なれば尚更に。時には自らお試しになるのも良い」
面倒なものだ、しかしそれで彼女の歓びを得られるのなら。
一度、やってみよう。
コアイは反論をやめた。
用意させた馬に跨り、最内の城門を出ようとするコアイの横に騎乗した大男の姿があった。
「残らないのか」
「いや、俺は北に行ってみることにした」
「例の珍味を仕入れに行って、ついでにエミール領の様子を見ておこうと思ってな」
そう続ける大男の背には、やはり大きな箱が背負われていた。
「北に行くって話をしたら、通信距離? を試したいとかってまたこいつを押し付けられちまったよ」
「大変だな」
「まあ、俺らの知らない兵団とか、隠された軍用の道とか、万が一ってこともあるからな。こいつを持ってくのは悪いことじゃねえさ」
「そうか……おい、馬が震えていないか?」
大男に乗られた馬が、唸り声を上げている。
「む……こいつには荷が重いか。しかし荷車では動きが遅くなるしなあ、大柄な馬に替えるか」
「私は先に出るぞ」
「承知した、王様は……心配ないと思うが、達者で」
コアイはタラス城を出て、地図に記された通り西へ駆けていく。
彼女の微笑みばかりを思い浮かべながら……城周辺の森を抜け、自領内の村を素通りし、いつしか土の色が変わり草木もまばらな荒れ地にさしかかり……
時折木陰や水場で馬を休ませながら、自身は眠ることなく西へ西へと進んでいく。
数夜の騎行を経たところで、行く先には川が流れていた。地図を確かめると、その川は領地の境目であり、やや北側にある川沿いの城市を目指せば近くに橋が見つかる、との記述がされていた。
川は浅く流れも遅いようであった、馬で渡れるようにも見えたが……
コアイは川沿いの城市とやらに立ち寄ってみようと、そこを目指すことにした。




