十九 ホノオ、揺らす、悪鬼浄めて
もう一度寝返りを打った辺りで、コアイはふと寂しく、心細くなった。
コアイは寝転がったまま、懐から厚紙を取り出す。厚さも光沢も手触りも、コアイの知る紙とは異なるものだが……それらはどうでも良いことだった。
厚紙に描かれた彼女は、笑っている。
彼女は……元気だろうか。
コアイは寝転がったまま、描かれた彼女を眺めていた。
ふと戸を叩く音が聞こえ、コアイは起き上がった。
「暫し待て」
コアイは声を掛けながら、立ち上がり戸へ向かって歩き出す。
「時間か」
コアイは老人ソディが来たと思い、戸を開けながら語りかけた。しかし戸の先にいたのは若者であった。
「陛下、村の顔衆が集まったので広間にお越しください」
「分かった」
「ご覧じろ、この御方こそ人間から我等をお救いになった王者、コアイ殿にあらせられる」
聞き慣れた老人の声を耳にしながら広間に入ったコアイに、幾つもの視線が向いた。
広間には老若十数人の翠魔族の男達が集っていた。コアイは老人に促され、老人が着いていた上座を譲られ着席した。
「先程話した通り、コアイ殿は既にアルマリック伯を捕らえ、領地を獲りたもうた」
「間違いないな、アルマリック伯よ」
男達の視線が、反対側に向く。
「あ、ああ……助けて、くれ……あんた、逆らわねば命は取らぬと、言っただろう……?」
柱に縛り付けられていた元領主の人間は、弱々しく懇願してきた。
「なんと……」
「それで、代官どもが出ていったのか」
「しかし、コイツは……」
集まった男達から、声が漏れる。
「皆の衆よ、私は提案したい。この凶賊を焔で浄め、代わってコアイ殿を我等の王として推戴することを」
「コアイ殿……いや、陛下は、我等に助力くださるとお誓いなさった」
「エルフではなさそうな、この男を……信用しろと?」
「儂は構わぬぞ、ソディ殿の策であらば」
少し気になる単語が聞こえたが、コアイは面倒に思い特に口を挟まなかった。
「しかし……」
「政務は儂が執ることになっておる、少なくとも今よりは皆に楽をさせられると思っておる」
「人間どもが反攻してこないか? 私たちでは防げないかと」
「うむ。戦力が整うまで当面は、この城までは素通りさせて陛下に戦っていただくのが良いと考えておる。陛下もご了承済みだ」
「この方には、それほどの力が?」
「陛下は一人でこの城を攻め取ったのだぞ……実のところ、我等が逆らえる相手でもない」
つまらない。
コアイは溜め息を吐いて、懐から厚紙を取り出し見つめていた。
「よいか皆の衆、これは千載一遇の好機なのだ。我等が長年縛られてきた、人間どもの軛を断ち切るための」
「我等は独立するのだ、人間どもの支配から」
「人間に縛られぬ、エルフの暮らしを取り戻すのだ」
何時しか、老人の声のみが広間に響いていた。
「陛下、外へ出ましょう」
コアイは老人に声を掛けられていた。
「何のために?」
「領主を火刑に処し、その魂を浄めます」
コアイは老人と共に屋敷の外へ出た。外の広場では既に元領主が長大な木の杭に縛り付けられ、またその足下には藁や薪がみっちりと積み上げられていた。
「悪辣なる人間、アルマリック伯ジェイムズ」
「其は数多くの同胞、若者らを拐い凌辱せしめ、その命を捨てさせた。間違いないな」
「お、おいあんた! 命は取らぬと、言っただろう!? 助けてくれよ!!」
元領主の人間はコアイを見つけ、がなり散らす。
「面倒臭い」
思わず本心を漏らしてしまった。
「え?」
「私は命を取らぬと言った、だが態々助けてやるとまでは言っていない」
「そんな」
「さて、この悪鬼はコアイ殿の活躍により悪事を暴かれ、またその身を縛られた。この者の悪業を赦すため、輝かしき焔を以てその罪を焼き払うべし」
「彼の悪業、清冽なる赤光にて」
「彼の悪業、清潔たる赤熱にて」
「彼の悪業、清浄たる陽光へと」
「『天陽』」
老人の詠唱は、杭の周囲に積まれた藁へ向けた小さな光を発した。光は藁に当たるや否や、藁を赤く燃やし木々に炎を移していった。
「あ……ああ……熱い、熱いぃぃぃ!!」
元領主の喚き声に、耳を傾ける者はいない。
「彼の悪業、清浄たれ」
「彼の悪業、清麗たれ」
老人の周りにいた者達も、詠唱めいた文言を唱え始めた。
「熱、熱いぃぃ!! 誰か、誰か、助けて……ッ!!」
「さて、我々は村に戻ることにします」
「陛下には、また改めてご挨拶に伺いますぞ」
「村の女魔術師に、強く美しき王を戴いたと伝えましょう」
「皆の衆、ありがとう。少し先のことはアクドより伝えさせる」
「ソディ様、今後も宜しく頼みます」
生き物の焼け焦げた臭いが残る広場から、そこそこの魔力を具えた者達が一人、また一人と去っていった。
「さて陛下、国内はひとまず纏まったと考えて良いでしょう。今後暫くは人間の動向次第ですが……戦の支度は整いましたかな」
「それは、問題無い」
少し日が傾き出した城の広場に、生温い風が吹き込んでいた。




