十七 だれも触れないフタリだけの王国
「で、なんでお風呂なのさ?」
そう訊ねる彼女は、少しにやついているように見えた。
「風呂に入りたい、前にそう言っていなかったか」
彼女に対して嘘を吐くつもりはない、コアイは素直に心情を口にする。
「だから、この城はなるべく壊さずに攻め取ったつもりだ」
「そっか……ありがとう、でいいのかな?」
彼女の笑顔が少し爽やかなものになった気がして、コアイは優しい風を感じた。
二人はそんな会話をしながら、一階の部屋をいくつか回った。すると奥まった場所の一角に、背の高い棚の並んだ部屋を見つけた。
「もしかしたら、脱衣所かも」
「と、いうと?」
「ここで服を脱いで、部屋の奥にあるお風呂に入るって流れ」
そうと聞いてローブを脱ごうとしたコアイの手を、彼女の手が止めた。
「待って中見てからじゃないと」
「あ……」
掴まれた手首から、ぞくぞくと妙な痺れが伝わるのをコアイは感じた。それは熱く、艶やかで、寒気がして……奇妙なほど好ましかった。
が、コアイは好ましく感じていたはずなのに、何故かそれをむず痒く感じ、止めさせてしまった。
「わ、分かったから離して……調べに行こう」
今の感覚は、一体?
熱い震えが好ましかったのに、それが恥ずかしいような、戸惑っているような。
先の部屋には石で組まれた水槽が三つと、石壁で小さく囲われた部屋があるようだった。横壁に備えられた明かり取りの窓は小さめで、そのせいか少し薄暗い。
二人は足下に気を付けながら水槽に近付き、溜まっていた水に手を触れる。
「冷たいね……どこかに湯沸かし器があるはずだけど」
「冷たい? 川の水と変わらないだろう」
「違うんだなあ、温かいのがお風呂なんだって」
彼女は薄暗い中で辺りを見回し、水を引き込む水路を見つけたらしい。
「あそこから水が来るから、壁の向こう……外かな?」
二人は屋敷を出て壁沿いに歩くと、出入口の反対側辺りに小さな戸を見つけた。勝手口とも違いそうな粗末な戸を開けて中に入ると、そこには井戸や暖炉があった。
「この暖炉がお風呂とつながってるっぽい? 暖炉に火を付けたら、浴槽が温まるのかな。けど水はどうやって出すんだろ」
「彼等が見れば分かるだろう、準備させるから先に戻っていてくれ」
コアイは老人の言を思い出し、声を掛けることにした。
コアイは若者リュカを伴い、暖炉の部屋へ戻った。
「ここが風呂を使うための施設らしい、どうすれば良いか解るか」
「う~ん……あの車が、こう動いて……」
「井戸はこの車を回せば、水を汲み上げてあそこの水路に水を流す仕組みのようです」
若者は実演し、水を水路に揚げて見せた。
「では、この暖炉は? 風呂が温まる、らしいのだが」
「原理は分かりません。暖炉から浴室に熱が伝わるのかな? 薪もあるし、やってみますね」
「頼む」
彼女に風呂を与えられる、そう期待して心躍りながら立ち去ろうとしたコアイを呼び止める声があった。
「陛下!」
「……陛下は、あの方を愛しておられるのですね」
コアイは特に答えず、浴室に向かおうとした。
「陛下! 陛下は……あの方以外に、妃をお迎えになるおつもりはありませんか」
「……考えたこともない」
若者の問いに答えてやる、というよりは独り言ちたように漠然と、コアイはぼんやり呟いていた。
「温かいよ! 入ってみて、ほら」
浴室に戻ったコアイを見て、スノウは楽しそうに誘ってきた。
風呂、温かい水……それに浸かったことは無いが、彼女の誘いなら断らない。コアイは躊躇わず水槽に入り、彼女の隣に腰掛けた。
「いやいや、服は脱ごうよ」
「そうか…………忘れていた」
一旦脱衣所に戻ってローブを脱ぎ、改めてコアイは彼女の隣に座る。
「きもち~」
「それは良かった」
喜んでくれて、私も気持ちが良い。そう思いながらコアイは、彼女の肩に手を掛けた。
「あたたかいな」
「うん」
コアイは短く相槌を打った彼女に視線を向けたところで、思わず彼女を抱き寄せた。
「ちょっ、そんなにくっついたらお風呂の意味ないでしょ」
そう言いながらも、二人は少しの間肌を触れさせていた。
風呂を出て、広間へ戻ろうとした二人に声が掛かった。
「陛下、もう少しで夕刻ですが、食事になさいますか。それとも、休まれますか」
「休もう、それで良いか」
コアイはスノウに視線をやり、そう問い掛ける。
「うん、眠くなってきたし」
「では、眠ろう」
「上階に、華美な寝室がありましたので準備をしておきました。案内いたしましょう」
「ちょっベッドおっきぃ~!」
老人に案内された寝室は広々としており、そこには煌びやかな調度品が様々置かれていた。
しかし、その全てに目を向けるより早く、彼女は私の手を取ってベッドに倒れ込んでいた。
「おやしみぃ……」
私は彼女の寝顔を眺めてみた、あたたかく思った。
私は彼女の手を胸元に寄せた、あたたかく感じた。
私は彼女の身体に寄り添った、あたたかく感じた。
ここが、これが────私にとっての、無上の安らぎ。
眠ろう。私にとっての、本当の『聖域』で。




