十六 憩うスガタあたたかく
「仕方ないだろ? こうまで食料が残ってないんじゃ」
領主達によって大半が持ち去られていたのだろうか、食料はあまり屋敷に残っていなかったらしい。
とはいえ名産の甘ワインを始め酒は大量に蓄えられていたので、一行はささやかながら酒宴を開いて愉しんでいた。
「まあ、無いものはしょーがないか……」
「酒が残っていたのは幸いじゃったの。ここいらでは然程飲み水にも困らぬから、置いていったのかも知れぬ」
「そ、それでも何とかやりくりしたんだぞ、そこそこ以上には美味いだろう!? ほれ、この珠菜を塩で一つ」
大男が見た目通りの野太い大声で反駁する。コアイの耳には、少し煩い。
「噛むごとにあふれる風味と舌に染みてくる苦味を、十分に味わったところで……」
珠菜なるものをよく噛み味わって弛んでいた顔が、急に引き締まる。
「こいつをクイッ、と!」
「くぁ~ッ……うまい! さすが銘酒!!」
「……な?」
男は満面の笑みを彼女に向ける、が。
「ごめんわかんない」
「むむむ……」
「最初の苦いのは別にいらなくない?」
「大声と勢いで誤魔化しとるようにしか見えんぞ、アクドよ」
「なっ!? お、伯父貴まで……そ、そうだ、リュカなら分かってくれるよな、なっ!?」
「珠菜きらい」
「…………」
大男は散々に詰られ、項垂れている。
「せめて、マヨがあれば合いそうなんだけどなあ」
「マヨ? 珠菜と合いそうな食物があるのか?」
項垂れていたはずの大男は早くも顔を上げ直した。
「マヨネーズ、知らない?」
「聞いたこともないぞ、何だそれは」
「油のきいた卵味のソース的な……そんな感じの、無い?」
「油と卵味か……俺等にはあまり馴染みがなさそうだな」
「マヨネーって人間の楽士の噂なら聞いたことあるけど」
「王都で人気の女楽士、だそうですね」
「それはそれで知らねえな……」
「まいっか、とりあえず飲もう飲もぉ!」
「マヨネーソース? の話、いつか詳しく教えてくれよな」
大男以外は初対面、それも異種族だが……スノウはよく打ち解けているようだった。少なくともコアイにはそう見えた。
美味そうに酒を飲むスノウと、彼女を視界の中心に据えて眺める歓談。それだけで、コアイは満足していた。
「あれ、飲まないの? これやっぱヤバいよ美味しいよ」
「いや、私はいい……私の分も飲むがいい」
「ダメだよ!」
コアイは怒られた。
「いや、私には特にその必要が……」
「みんなで一緒に食べたり、飲んだりするからいいんでしょ!?」
「ああ、アイツも言ってたなあ……皆で集まって飲み食いして、それでこそ絆が深まるんだ、と」
「そうなのか? そういうもの……なのか?」
コアイは過去、数度開いた酒宴でも特に飲食せず、無言で辺りを眺めていたが……そのように窘められたことなど一度もなかった。
「あったり前じゃん、ほらかけ付けかけ付け」
だが彼女がそう言うのなら、否定はしない。いや、疑いもしない。
そうして勧められたままに飲んだ甘ワインはとてもあまくて、そして何故だかあたたかくて。
「さて、そろそろ」
「どうした、伯父貴? 歳だから近いのか」
そう茶化した大男の額を、空き皿が打っていた。
「たわけ」
「儂は各村に招集をかけ……ああそうだ、リュカよ、通伝盤を組み上げてくれんか」
老人はいつの間にか、謹厳な雰囲気を纏っていた。しかしその切り替えの早さは、老人だけが心掛けていたものだったらしい。
「持ってきてたかな?」
「……準備しといてくれと言わんかったかのう」
「あっ……ごめん思い出した、準備できなかったんだ。予備の部品が無くてさ」
「むう……仕方がないか」
老人もそれなりに酒を飲んでいたはずだが、その判断の早さは酔いを感じさせない。
「アクドよ、急ぎオルホン村へ行き、オルホン村の通伝盤を借りて各村に招集をかけてくれ。それと、エミール・タブリス沿いの村には……」
「分かった。馬は使えるだろうか? もし使えるなら、オノン村へ向かったほうが多分早いな」
「そうか、お前一人なら馬に乗れるな。まあ細かいことは任せる」
大男も気持ちを切り替えたか、キビキビとした応対を見せる。
「んじゃ、早速行ってこよう。片付けは……」
「そんなことくらい、私がやりましょう」
「済まんな、その……辛かったろうに」
大男は女に深く頭を下げてから、屋敷の外へ駆け出していった。
「それ今言うこと? まったくアク兄は」
「いえ……きっと、アクドさんも悲しいのでしょう」
「……とても、優しい人」
女が食器を片付けようと動き出したのを見て、コアイは老人に訊いてみた。
「私達はどうする、北東でも見張っておくか?」
「人間の軍勢も、昨日の今日では動けますまい」
老人は先程と真逆のような、穏やかな調子で答える。
「明日の昼頃、村の顔役達と会っていただきたく。その時までは、ごゆるりとお過ごしくだされ、陛下」
「分かった。ところで、この屋敷に風呂とやらはあるだろうか? あれば使いたい」
「風呂ですか……まだ見てはおりませぬが、屋敷の何処かにはあるでしょうな」
そう答えたところで、老人は何か思い付いたらしい。
「もし風呂が使えるなら……陛下が使われた後、例の若者達にも身体を清めさせてやりたいのですが」
「構わない」
「リュカに湯の世話をさせましょう」
「ここには風呂があるらしい、二人で入らないか」
コアイはスノウを連れ、屋敷内で風呂を探すことにした。




