十二 アイある触、それとは別に
「お目にかかり光栄の至り……いや、不躾な訪問、お許しくだされ」
「……用件はなんだ」
ただでさえ、コアイはこのようなやり取りが嫌いだった。
「できれば、場所を変えたいところですが」
「回りくどい用件なら、後にしろ」
ましてや、今のコアイには直ぐにでもやりたいことがあった。
彼女に、逢いたいのだ。
彼女を、側に。
「人間……領主よ、そこの屋敷は使えるか」
コアイは近くで物品を確認していた元領主に声を掛ける。
「調度品は置いていく、好きに使え……いや、使ってくれ」
「そうか」
ならば、今彼女を喚んでも危険はなく、また重大な物品の不足もないだろう。憂いはない。
コアイの心は躍った。
「私はそこの屋敷で少し休む、話をしたいと言うなら暫く待っていろ」
「なっ……」
老人の横で若者が目付きを鋭くしたが、老人は若者を制す。
今、私の周りには、熱の湧かぬ者達しかいない。
歩み、殺し、痛め付け、語らい……疲れた。
彼女となら、それらを意識せずとも、共に居られるだけであたたかい。
あたためて、ほしい。
コアイはふらふらと、引き込まれるように屋敷へ入っていった。
屋敷に入ってすぐの玄関の間は意外と広かった。これなら、召喚陣を描写するにも問題なさそうだ。
そう判断したコアイは、もう待てなかった。無心で玄関の戸を閉め、戸に背を向けて一つ息を吐いてから一指を齧った。
そして出血を確認したところで、懐から彼女の私物──「リップクリーム」だったか、小物を取り出して床に置こうとした。
これは……口に当てて使うのだったか。
小物を貰った時のことを思い出したコアイは、記憶の通りに口元を弄ってみる。しかし、そこに記憶通りの感覚は無かった。
コアイは気を取り直し、小物を優しく床に置いた。そして先程噛んだ指先に意識を向けて血に命ずる。召喚陣を描けよ、と。
指先から、血がゆるゆると流れ出す。流れ出た血は物体に触れぬよう穏やかに流れ、召喚陣を象どった。コアイはそれを見てから左手を高く掲げ、指先を召喚陣に向ける。
そして、
「mgthathunhuag Moo-la-la!!」
コアイは、どこで知ったかも定かならぬ、この世界の言語とは異なる呪文を発声した。
赤い線で形作られた召喚陣が、色を喪う。召喚陣は周囲の色に逆らうように淡黄色に変わり…………
やがて術者を含む全てが、召喚陣に柔らかで穏やかな熱を与えていく────
力を喪った召喚陣の中央に、人が横たわっている。
コアイは居ても立ってもいられず、その側に腰を下ろして片手を握る。当然そこから伝わるものは、彼女の温かさであった。
どれ程の時間そうしていたか判らないが、コアイは彼女が目覚めるまで手を握っていた。
「ん~……」
彼女は高くこもった声を上げてから、しっかりと握られた右手に顔を向ける。そうしてから、握る手の持ち主へと視線を伝わせる。
「あ、お姉様おひさ」
「会いたかった」
コアイは彼女が目を覚ましたことに気付いて一言返し、直ぐに彼女の体を起こして肩を抱いた。
「えっ、どしたの?」
「あたたかい、な」
身体を寄せる二人の耳に、戸を叩いたらしき音が数回聞こえた。
「そろそろ、宜しいですかな」
「入れ」
コアイは答えつつ、彼女を離した。それより少し遅れて、先の老人が戸を開き屋敷へ入ってきた。
「誰このおじいちゃん、知り合い?」
「……会ったばかりだ」
「はて、その娘さんは一体」
「ああ、その……愛おしい人、だ」
「いとーし?」
「失礼いたしました、本題に入りましょう」
老人は静かに、神妙に語り始めた。
「私も昔、曽祖父に聞いた程度の話ですが……かつてこの世界には、「魔王」と呼ばれ畏れられる存在が居られたそうです」
「らしいな」
「最早名すら伝わらぬ「魔剣の王」、「魔弾の王」、「魔操の王」、「魔獣の王」……そして、最後の魔王、「魔術の王」コアイ様」
「「魔王」がおわしました時代、人間以外の種は挙ってその一員を名乗りました。勿論、私達エルフも」
「翠魔族……」
「ご存知でしたか」
「……そんな昔話をしにきたのか」
「いや、歳を取ると前置きが長くなっていけませんな」
老人は少し苦笑いしてみせてから、再び神妙な顔つきに戻った。
「実のところ、貴方が本当に「最後の魔王」コアイ様であろうと、その名を騙る不遜な輩であろうと……構いません」
「それで」
コアイはつい、急かしてみる。
「率直に申し上げる、我らの王となっていただきたい」
「何故だ」
「その力で、我らエルフ……いや、人間に虐げられている者らをお救いいただきたいのです」
「ここの人ら、そんなヤバいんだぁ」
「そんなものに興味はない」
「私どもも出来る限りお力添えいたします、貴方のお力を活かし、どうか……「魔族の王」となっていただけませぬか」
コアイにそのような意思は無かった。ここを落としたのも、酒で、城で彼女をもてなしたいと思っただけのこと。その後の顛末など、考えていなかった。
彼女を喜ばせる、それがここにいる目的なのだから。
「王様ぁ! な~んて?」
「どうか、どうか我らをお救い……」
老人が再度懇願しようと話しかけたところ、慌てふためいた男の太い声に遮られた。
「伯父貴っ、伯父貴ぃ!!」




