彼女のために、堪えきれず
湿け森沿いの村へ戻ったコアイは、寄り道せず木を植えた一角へ向かう。
そこへ着くと、以前には見かけなかった人影……村長の姿があった。
「おお、いつもの若旦那か」
周りには、コアイと村長のほかに誰もいない。となれば、「若旦那」というのはコアイを指した呼び名なのだろう。
言葉として聞いた印象はまるでしっくり来ない、腑に落ちないものだったが……コアイは何も言わないでおく。
村長がコアイを何と呼ぼうが、そのことに大して意味はないから。
「アンタが使いやすいように、木の奥側と右側を少し耕しておいたよ。よかったら使ってくれ」
「分かった」
コアイは一言だけ返して、背負っていた木を地面に転がした。
「礼はいらないよ、手下のあの大男に十分貰ってるからな」
続けて絡まった枝を外して持ち出しやすいように並べていると、そう言ってから村長は去っていたらしい。
コアイはそれには目もくれず、淡々と木を一本ずつ植え付けていた。
三度目の、木の収穫と村への帰還。
首尾良く目当ての木を見つけて背負い、蒼い森を発つまでは順調であった。
そろそろ『接ぎ木』をすべき頃合いだろうかと思案しながら森を抜け、高台の岩場を越えようと目線を上げた時……視界の端に月が映った。
左……西の空から落ちようとしている月。
コアイはチラリと横目を向けるが、特に気を引かれなかった。
月が昇ろうが、沈もうが……関係ない。
夜だろうが、朝だろうが……私がすべきことは変わらない。
そう考えていた。
そう考えたところで、視線を行き先に戻せば……何も気に病むことはなかったのだろう。
コアイは何となく、身体を飜して振り返っていた。視線を戻すのではなく。
此処まで歩き遠ざかってきた、森の縁……それを照らす淡い光。
南側に、月が見えていた。
西の空から沈もうとしている月とは、別の月。
つまり二つの月が、同時に夜空を彩っている。
季節の変わり目になると見られる、大小の月。
小さな一つが西端に、それより大きな一つが南に。離れている。
それぞれ、南と西から淡い光を地に落としている。離れている。
同じように夜空に浮き、輝きを放つも寄り合わず。離れている。
その情景は、その場でそれをただ一人目にしたコアイに、おそらくコアイだけが抱くであろう解釈をもたらした。
遠く離れた、月と月。
遠く離れた、彼と私。
遠く離れて、寄り添えないでいる人と人。
何時かは巡りあい、逢いに行ける彼と私。
そう、何時かまた逢える。分かっている。
それでも、いま離れていることが淋しい。
彼女のために、独り歩んでいる筈なのに。
さみしい、とても。
さむい、少しだけ。
胸の内をぐいと押し込まれ、潰れてしまいそうな感覚。
それが膝を折り、岩場の陰に腰を落とさせる。
それが腕を制し、胸元に両の手を添えさせる。
と、胸元に手をやったことで……存在を思い出す。
幾度となく見つめ、目に焼き付けた彼女の肖像画。
紙にしては艶やかで硬い一片を、懐から取り出す。
眼前に差し出し、そこから目を離さずに寝転がる。
寝転んだ向きが悪く、逆光で彼女の笑顔が見えず。
そう気付いた途端、寝返りを打って月光に照らす。
月光に優しく照らされた彼女の笑顔。
コアイの心身へ優しくあたたかな光。
月光を照らし返す輝きが、身体中に拡がっていく。
けして大きくない一片が、全てを包み込むように。
誰もいない、音もない、月明かりだけが輝きを主張する夜空の下で……彼女の存在に身を浸からせたようで。
普段のコアイなら、これで十分に癒されたのだろう。
寝返りを打ったことで、背負っていた木の枝が何本か折れたことにも気付かずに……惚けていられただろう。
ところが、この日は……むしろ、彼女の存在を実感することで心が昂ってしまった。
逢いたい。寄り添いたい。抱き締めたい。抱き締められたい。
あいたい。
思考からスノウが離れない、というよりは最早……彼女を振り払おうと意識することすらできない。
コアイにできることは、街へ戻るまで彼女を喚ぶのを堪えること、それだけだった。
「村長、村長はいるか!」
「あいよ、ちと待ってくれ〜」
急ぎ村まで戻ったコアイは、焦りを隠せなかった。
「朝から元気だねえ、若旦那!」
「馬を借りる、それと木を植えておいてほしい!」
「お……おう、分かった、任せてくれ」
村長も、普段とは違ったコアイの様子に少し戸惑ったようだが……今のコアイに、そんなことを気に掛ける余裕などない。
コアイは立ち止まることすらなく、背負った木を降ろすが否や村長が連れてきた馬へ飛び乗った。
馬に乗って、心を惑わせながら西へ駆けて……数日後、目についた街へ駆け込んで……宿屋の一室を押さえて。
此処まで場が整えば、もう何の問題もない。
彼女は恙無く、召喚陣の中心に現れる。
彼女が目を開けるのが待ち遠しく、待ち遠しくもけして急かさず、起こさずに待ち続けて……
「んあ……おはよ、王サマ」
「おはよう、スノウ」
心の内を躍らせながら、彼女の目覚めを迎えた。
「あれ、どったの? 今日なんか……悲しそう?」
「そ、そうか?」
悲しくはない。むしろ、逢えて嬉しい。
ただ、少しもどかしい感じはしている。
それが何故なのか、よく分からないが。
「テンション低めなのはいつもどおりだけど、なんとなくさ……まあいいじゃん、とりま起こして!」
更新が遅れに遅れてしまいました。
本当に申し訳ないと思う…すみません




