彼女のために、閨にあり
今はまだ、彼女がいない寝室。
一人で目覚めると、部屋は薄暗かった。
コアイは身体を起こして窓に視線を向け、東側が明るくなっているのを目にする。
東側が明るい、つまり夜明け前。であれば慌てる必要はない。朝を待ってから動けば良い。
夜が明けたら、用を済ませて……その後でゆっくり、彼女を喚んで…………
コアイはスノウの存在を想像して、微かに声を漏らしてから……一旦寝っ転がり目を閉じた。
そして日が落ちる前に目を覚まして、老人ソディを探そうと寝室から出ようとしたところで机上、魔導具の存在に気付いた。
恐らく、最南の村で別れたアクドはまだ此処に戻っていないだろうが……代わりに魔導具を預かる誰かが用聞きに来てくれるのではないか。
それなら、一人で城内を彷徨くよりも人を呼んで寝室で待つほうが無駄が少ないか。
コアイはそう考えて円盤状の魔導具を手に取り、その縁にある出っ張りのうち真ん中を指で押し込んだ。
直ぐに指先から魔導具への魔力の流れを感じたコアイは、そのまま暫く寝室で待ってみる……
「陛下、陛下……お呼びですかな?」
嗄れた声が、外から戸を叩く音と共に聞こえてきた。
その嗄れ声と、弱めの力加減で戸を叩く軽い音はソディの来室を意味する。
「入るがいい」
コアイは返答しつつ、一先ず卓の一席に移り腰を下ろした。
「まずは、お帰りなさいませ。ご無事そうでなによりです」
ソディは出入り口から一歩入ったところで足を止めて一礼する。
「無事か否かはどうでも良い、それより頼みがある。座るがいい」
コアイに有事、災難などない。それは最早ソディにも分かり切っていることだろうに、今になってもわざわざ畏まったようなことを言う。
コアイは僅かに苛立ちを覚えつつ、それは捨て置いて用を話そうとした。
「陛下のご意向なれば、なんなりと……長くなるようでしたら、軽食でも準備させましょうか」
「好きにせよ。私はまだ要らぬ」
話が長くなるかどうかは分からないが、そんなことは任せておけば良い。
「では、失礼して」
コアイの向かいに着席したソディは、コアイのものと同様の魔導具を懐から出して……端の出っ張りを押していた。
「それにしても、この魔導具は本当に便利なものですな」
「貴殿も使っているのか」
「まだ数が少ないのですが、主だった者を呼ぶには十分に使えます……して、ご用向きは?」
「大公に手紙を出してほしい。頼まれていた物らしき木を二本、見つけてきたと」
コアイは続けて、木をタブリス領南端の村に植え直したこと、村の人間に管理を頼んであることをソディに伝えた。
「流石ですな、陛下……しかし」
「しかし?」
コアイは思わず聞き返した。ソディには何やら懸念があるらしい。
「これは儂の予想ではありますが……二本では足りぬ気がするのです」
「何だと? それならば」
コアイは思わず立ち上がった。足りぬと言うなら、もう一度木を取りに行くしかない。
「いやお待ちくだされ、まずは大公どのへ連絡しましょう」
と、ソディは目を丸くしながらコアイを諌める。
「つまらぬことを口にしてしまいました、申し訳ございません」
「い、いや……」
コアイはなだめられ、一先ず席に座り直したものの……落ち着かない。
もし木が足りぬなら、早く……取りに行かねば布地が手に入らぬ……
「さて、ではまず急ぎ書をしたためますかの」
コアイの狼狽をよそに、ソディが手紙の用意のために退席しようとしたところ……戸を叩く音がした。
「コアイ様、ソディ様……お呼びですか?」
連れて女の声が聞こえる。
「お待ちの間、酒でもお飲みになってはいかがでしょう……では、失礼いたします」
ソディはそれに応えるでもなく、コアイに酒を勧めてから寝室を出ていった。
それから直ぐに、外から声が漏れ聞こえてくる。
「おおクランさん、陛下に酒と食事を用意してくれぬか」
「わかりました」
いや、私は要らぬ……そもそもそんな場合で……は!?
料理など要らぬと断ろうと、外に出ようとしたコアイだったが……
扉の前で、閃いていた。スノウの笑顔を。
あるいは、思い浮かべてしまった。スノウの飲みっぷりを。
「二人分頼む!」
コアイは思わず扉を強く叩いて開きながら、外の二人に向けて声を荒げていた。
「わっ!? え? えと……?」
「おっと、それは……かしこまりました、陛下」
今は、彼女のいる寝室……一つベッドの上。
二人は向き合って、ただ横たわっている。
コアイは黙って、スノウを見つめている。
できれば食事が届く頃には起きてほしい。
けれど、無理に彼女を起こすことはない。
彼女の安眠は、妨げるべきものではない。
コアイにとって、彼女の笑顔は喜ばしい。
されど、彼女の寝顔を護るのも喜ばしい。
それ等はどちらにしても、喜ばしいもの。
なれば、彼女がより安らかであるように。
コアイは召喚した彼女をベッドに寝かせて、その安らかな寝顔をじっと見つめていた。
見つめているだけで胸の奥があたたかく、また熱くなるのを感じながら……ただ見つめていた。彼女を起こさないように、と。
それでも、少しだけワガママを……勝手に彼女の手を取って、胸元で握りしめて。
彼女が目を開けなかったことに、ひどく安心しながら。
どれほどそうし続けていたかは分からないが……
ふと微かに、料理らしき香りが匂ったのを感じたとき、同時に……彼女の手が跳ねた。
「んっ……あ、おはよう、王サマ」
彼女の澄んだ瞳が……始めはゆっくりと、やがてコアイの存在を認めてか急速に見開かれる。
すると直ぐにコアイの意識がそこに吸い込まれ、思考が捕らえられる。
すっかり捕らえられて、直ぐには挨拶を返せなかった。
「えへへ、ひさしぶり〜……かな?」
と、彼女が先に二の句を継ぐ。
「な、何故そう思う?」
確かに、久々に逢えた。長らく逢えないでいた。
だがそれを、何故彼女が感じ取れるのだろうか。
ずっと、この日を待ってくれていたのだろうか。
「なんか寒くないってか、寒くないんだけど……あったかくて秋ってより春っぽい的な」
「そうか……」
確かに、そろそろ冬の過ぎ去る頃か。
そう考えた時、戸を叩く音がした、そんな気がした。
と、スノウは目を見開いて瞬かせながら、視線を揺れさせている。
「ん……? なんて言うんだろ? 今日の王サマ、いつもよりさ」
少し眉の寄ったその表情は、どこか……不思議そうな様子に見える。
「なんつーか、その……ワイルド? 的な?」
コアイは彼女の言葉を、獣じみた……というような意味らしいと解する。
「獣臭い、ということか?」
「ん〜……ちょい違うかな? むずかしいけど!」
そう言いながら、彼女はコアイに抱きついてきた。
獣臭い、とは違うらしい。別に嫌がっているわけでもないらしい。
彼女は時折、コアイの理解から離れることがある。
とはいえ、理解の外にあっても彼女はあたたかい。
なれば、コアイにとって苦悩すべきことではない。
コアイは全身へ押し流されたようなあたたかさに顔をにやけさせながら、スノウを抱きしめ返していた。
再度、戸を叩く音が聞こえた気もしたが……内側から胸を叩くような音が響いてよく分からなかった。
よく分からなかったし、抱きしめようとする力を止めることができなかった。二人ともが。
腰を痛めてしまいました……




