彼女のためなら、至らなくとも
遠景としては見覚えのある、小さく粗末な村落。
森へ入る前……できれば立ち寄ってほしい、とアクドに言われている。
ただ、何のために立ち寄れと言うのか、コアイには分からない。
森へ入る前には、目印となる小石を準備していたり、道中乗ってきた馬を連れ帰ったりとあれこれ用意をしてくれた。
今回も、コアイの帰還に合わせて馬を連れてこれるかもしれない、と言ってはいたが……そんなことが理由だとは考えにくかった。
現に、村落の方向からは……というより、周囲に魔力の存在を感じない。目に見える村落の近くにアクドがいるなら、彼の独特な……熟したようでいて妙に荒削りな、魔術には不似合いな魔力の匂い……それを感じ取れるはず。
そんなことを考えつつも、とりあえずは村落へ向かってみようとコアイは村落へ向き直した。そして数歩、足を進めたところ……
「おーい、そこの人! おーーい!!」
村落からひとつ動くものが飛び出して、コアイ目掛けて駆け付けてくる。
コアイは特に気にせず、歩みを続ける。どうせ村落から出てきたのだから、そこへ向かえば自然と近付ける。
そう考えて歩き続けていると、また声が聞こえた。
「おーい、そっちへ行くから! 逃げないでくれよー!」
この頃には、声を上げるものが人影だとはっきり分かった。
そこの人、と声を上げている辺り、人影はコアイのことを知らぬ者かもしれない。
そしてコアイにとっても……人影と判るほどの距離にいて、魔力の蓄積はまるで感じない。
全く興味の湧かない人影。別に逃げる気もないが。
「その見た目……もしかして、コアイ様ですか!?」
人影が翠魔族の若者と見て取れたころ、若者はコアイの名を呼んだ。
「……だとしたら、それがどうかしたのか」
聞き覚えのない声、見覚えのない顔。
それに名を呼ばれる、それはコアイにとってあまり好ましいことではない。
あまり好ましくはないが、一先ず答えてやる。
「あ、俺、ここでコアイって人を待ってるんだけどさ……あんた知ってる?」
が、どうやら若者はコアイが問いかけに肯定したものと気付かなかったらしい。
「何故私を待つか、何用か」
が、コアイはそのことを訂正するよりも個人の疑問を問い掛けてしまった。
その言葉で、目の前の者がコアイであると伝わるから問題はないだろうが。
「あ、やっぱり……コアイ、様……でしたか」
「何用か」
「アクドさんの指示で、あそこの村で待ってました」
若者はそう言いながら、懐から何かを取り出した。
「コアイ様が村へ来たら、これで合図を送れ、って」
若者が取り出したのは、掌に収まる大きさの円盤状の、少し厚い……その側面にいくつかの出っ張りが付いた板……居城の、コアイの寝室に置いてある魔導具と同じ形をしていた。
「あ、やべっどれを押すんだっけ……?」
若者は持っていた魔導具をコアイに見せて使おうとしたものの、操作法を良く知らぬらしい。
「私はいつも真ん中を押している」
そこでコアイは普段自分がしている操作を教え、若者に出っ張りを押させたが……
「……なんもないですね」
何も起こっていないと若者は言う。
「そんな筈はない」
言葉通り、そんな筈はない。
普段、コアイがこの魔導具でアクドを呼びつけた時には……微弱ながら、魔力がコアイの指先から魔導具へと流れ出るのを感じる。
「魔力を感じなかったか」
「魔力……ですか?」
「……もう良い、貸せ」
コアイは若者の返答から要領を得られず、半ば引ったくるような格好で魔導具を手に取った。
そして、コアイは直ぐに出っ張りを押し込み……魔力の流れが残す微かな焦れを指先に認めて……
「これでアクドに伝わった筈だ」
「えっ? どういうこと……ですか?」
若者は目を丸くしながらコアイに訊ねたが、コアイは面倒に思い何も答えなかった。
おそらく魔術の素養が乏しいのだろう、そんな者に教えても大して意義はない。
その後には特に会話もなく、暫く待っていると……
日が暮れかけた頃になって、馬と車の走る音が北側から響いてきた。
「あ、アクドさんかな」
コアイから少し離れた場所で腰を下ろしていた若者が、小走りで北へ去っていく。
コアイに質問を無視されたように思い、気まずかったのだろうが……当のコアイはそれに気付けていない。
それは、コアイにとって大した問題でもないが。
やがて、馬車が先の若者を連れて近付いてきた。
「おおい、王様〜」
聞き覚えのある声、野太く重たい声。
馬車を御して、その声の主……アクドが現れた。
アクドは少し離れたところで馬を止め、車から飛び降りてコアイへ駆け寄る。
「このたびは遠路はるばる、ご踏査なされ…………えっとその次何だっけ」
そしてコアイの数歩先で跪き、丁寧に挨拶しようとしたらしいが……不自然なその言は、長く続かなかった。
「無理に堅苦しい口上を述べずとも良い」
「いや、済まねえ……あ、もしかして、背中のそれ」
一度は不味い顔……歯を食いしばったのか口元にシワの寄った苦々しい表情を見せた。が、アクドは直ぐにコアイの荷へと意識を切り替えていた。
「今は枝に葉が残っていないが、落ちかけの葉が目印になった。多分この木だ」
コアイは蔦状の茎を解いて、背に巻き付けていた二本の木を下ろした。
「へえ、これが……ん? 根巻きはこっちに着いた時にでも取ったのか?」
「ねまき? なんだそれは」
根巻き……?
木を掘り出す、あるいは持ち運ぶ際の……コアイの知らぬ技法であろうか。
「あ〜……まあ根の張りは頑丈そうだし、腐ってる傷も見当たらない……枯れちまってなければ大丈夫か」




