六 ミは果つる、思いは晴るるや
「涸れる命に、さよならを……『漂戦車』!!」
コアイに対峙する小柄な痩せた女が、少し長い詠唱を終えた。
詠唱の終わりから一拍置いて、灰白色の細片が女の足下から湧き出し、一カ所に集りだす。
そしていつしかそれは、巨大な四足獣のような姿を模っていた。
コアイは感じ取っている。女に在った魔力の殆どが、失われることなく「それ」に移されていることを。
そのことは、女の瞳に宿っていた碧い輝きが消えたことからも推測できる。
獣のような灰白色の塊は、コアイへ向かって緩やかに動き出した。
その動きこそ鈍重だが、その姿からは強く濃密な魔力が匂ってくる。
コアイはひとまず、のろまな塊に向けて血刃を撃ち込んでみる。
コアイの意を受けて、指先から血が飛び出す。それは紅い弧となって怪物へ飛び掛かり、その身体の一部を抉った。
しかし空いた隙間を直ぐに灰白色の構成物が埋め、怪物は動き続ける。
……なかなかじゃないか、これなら、もしかしたら…………?
コアイは口元を歪め、静かに怪物へ歩み寄る。
「えっ……?」
人間の目には、コアイの姿はあまりにも無防備に映った。
術者の戸惑いをよそに、怪物は狼狽えることなくコアイの身体を捉え、呑み込む。
「これは……」
怪物の内に取り込まれたコアイの意識に、別の様々な意識が雑ざり込んできた。
痛い。気持ちが悪い。苦しい。
苦しい、けれどそれが欲しい。
痛い、けれど。触ってほしい。
気持ち悪い、それは要らない。
コアイはそれが、己を侵そうとぶつかってくる個々の細片から流れ込んでいるのだと察した。
そしてそれ等は何れも、コアイの身体に届く力を持っていなかった。コアイはそれを少し残念に思いながら、怪物の内側を歩いて突き抜ける。
怪物の象はコアイによって下部が崩れ、されど怪物は再び象を取り戻す。
「チッ、変な奴……けど、まだまだ続くんだよ」
怪物は先程より少し動きを速めながら迂回し、再びコアイへと向かっていく。
「『漂戦車』の真価は、一度発動させれば標的を壊すまで動き続けるしつこさ、さ。例え術者が死んでも、そいつは止まらない」
己が魔術を自慢したいのだろうか、女は語りだした。
「そんなだから、なかなか試す機会が無くてさぁ」
先ほどまでは見られなかった、少し嬉しそうな表情をしている。
コアイは怪物の動きを目で追っていたが、それ以外には何もせず立ち尽くしていた。
やがて怪物が再びコアイの正面に辿り着き、そのまま呑み込んだ。
悲しい、けれど触れていたい。
触れてはいけない、心苦しい。
触れたくない、が死ぬよりは。
先程とは別の意識を交えてくる個々の破片は、先のそれより少し力強かった。己が精神をまったく無防備にしたならば、触れられる程度の力だろうとコアイは感じた。それでも、少し防護を想起してしまえば届かない。
そして、そうしないままで態と受ける力には……驚きも、悦びも無い。
コアイはここを出てもう一度怪物に触れ直そうか、それとも壊してしまおうか……少し悩んだ。
不意に、意識が交じった。
それが欲しい。
触れていたい。
それらは怪物の意識であったが、己の意識でもあった。
そうだ、そうだった。私は──
ほしい。さわりたい。
「召し下すは雷、地にて雷を受け取りて」
「剛き金の撃ち晴らさんと」
「『咬雷』」
コアイの詠唱に応えるかのように、そこへ突如雷が落ちた。雷は術者ごと、怪物を象る灰白色の破片を燃やす。
「嘘!? でしょ?」
女は状況を飲み込めないでいる……が、やがて炎に包まれた怪物が灰と消え、コアイだけが場に現れる。
「ちょっと……何本、アレに角耳何匹分使ったと思ってんのよ!?」
女は激昂し、コアイへ掴みかかった。しかしその怒りはコアイのローブにすら届かない。
「……これで終わりなのか?」
コアイは戸惑う女を睨み付ける。
失望を隠さない言葉を聞いた女は外套から短刀を取り出し、最後の抵抗を試みた。
しかしコアイはそれを片手で制しつつ、小さく縮めた斥力を女の腹へ強く突き込む!
「ふぐッ!?」
女は一つ呻き声を上げ、短刀を落としながら崩れ落ちた。
「あ……っ、げぁ…………」
胸の下辺りを押さえて蹲る女の腕に、力は残されていない。コアイは女の外套を剥いでからその手を取り、後ろ手に回して外套の袖で両手を縛った。
後で、この女から話を聞いてみたくなった。だから殺さないでおく。




