彼女のために、逢えぬ日々を
「いま戸を開ける、だから静かに待て」
スノウのいない現実を、改めて突き付けてくるような……可憐さの欠片もない、粗っぽい男の声に辟易しながらコアイはアクドを寝室に招き入れた。
「だいたい分かったよ、例の村の件」
アクドはコアイに話していたとおり、領内最南端の村落について一日で調べ上げたらしい。
その点、高い行動力と情報収集力を褒めるべきなのだろうが……
アクドから受けた報告は、今後を思うと少し気が重くなるような内容であった。
村落までの道程には特に問題ないようだったが、その村の状況……
高く、または多く売れる産物があるわけでもない、それどころか食料等を満足に補給できるほど豊かでもなく……また草地が少ないため馬を預けるのに適した地でもない。
いや、適していないどころか……おそらく、余所者の馬を何日も預かってはくれない。草地や干し草の余裕がないから、相応の金を渡したとしてもあまり期待はできない……とも。
「なんなら泊まるのも難しい、ただ立ち寄れる場所ってくらいに思ったほうがいいかもしれねえな……そんなとこに村があるってのも驚いたんだけどよ」
コアイにとって食料や水は必須でないから、補給の問題は無視できるとしても……馬を預けることができないのは困る。
かといって、草木を食むのに困らない森の入り口あたりで馬を放したとしても……コアイが戻るまで近くに留まり続けてくれるとは考えにくい。
「大して珍しいモノも仕入れられないから、行商人もあまり寄り付かないって話だったよ。そんな不便なとこでも人が住み続けてる村か……人間ってのはいろんなヤツがいるんだなあ」
「……では、馬は乗り捨てるか? それとも、何処か近場から歩くのか」
やや呑気な感想をこぼすアクドに対し、コアイは結論を促す。
「いや……俺が一緒に行けば、馬を連れて帰ることはできるよ。だがそれでも……」
「帰りに馬を使えないのは同じことか」
帰りには、森から徒歩で他の城市……馬を買える場所まで歩いて、それで漸く満足に移動できるようになる……と。
大森林での若木探しだけでなく、そこからの帰還にも時間が……相当な長旅になるかもしれない。
どれだけの間、一人……彼女なしに過ごさねばならぬのか。
コアイはそう考えてしまい、胸の奥が締まったような心地を覚えた。
こんな旅路では、誰を連れて行くのも困難だろう。もちろん、スノウを巻き込めるはずがない。
けれど、長い旅……ずっと一人で往くのは……さみしい。
旅を終えれば、また逢える。
そう分かってはいるけれど。
あの頃……彼女の手がかりを失くし、二度と逢うことができないと……絶望していた頃とは違う。
然るべき場、酒肴を用意できれば……私は何時でも彼女に逢える。
居城や栄えた街へ戻る時までの……しばらくの辛抱でしかない。
そう、今は彼女を喚べるだけの準備ができていない。今はまだ、堪えなければ。
しばらく逢えなくなる、そう分かっていても……
こんなところでは「逢いたい」なんて言えない。
逢いたい、抱きしめたい、手を取り合いたい、言葉を交わしたい……
いや、ただ彼女の顔を見られるだけでもいい……
そう想いながらも、コアイはスノウを喚べないでいる。
そんなときですら、素直に気持ちをぶつけられない。
彼女に何も与えられないのに、逢うことは出来ない。
コアイはそう考えてしまう。
スノウの想いも知らないで。
スノウだって、コアイに逢いたいのだ。
コアイが想い悩むのと同様に、彼女も。
饗しが無くとも、逢えるだけで嬉しい。
ただ逢えるだけでも、十分満たされる。
それは、コアイもスノウも同じなのに。
コアイは、彼女がコアイに抱いている愛情を理解しきれていない。
己が彼女に抱く愛情については、しっかりと自覚できているのに。
その意味で、コアイの恋心はまだまだ……未熟なのだろう。
己とともに過ごすことが、彼女にとっても安らぎ、歓びなのだと……気付けていない。
コアイにとって彼女とのひと時が、無上の安らぎ、歓びであることと……同じなのに。
数日後。
スノウと会うことなく城市シャッタールを発っていたコアイ達は、眼前に小さな村落を望んでいた。
「ここが例の村らしいが……寄らなくてもいいんだよな?」
食料等の補給を必須としないなら、馬も預かってくれなさそうな村にわざわざ立ち寄る理由はない。
コアイはアクドの声に頷く。
「だったら、もう森林のそばまで行っちまおう。俺の馬にもたらふく草食わせてやりてえし」
「いいのか?」
「その方が、王様も長く馬に乗ってられるだろ」
更に南下して翌日、夕方ごろになって……視界の先に森林が見えた。
西日を受けながら近付いて、森の端の草地まで馬を進める。
「ん? なんか、土がゆるいな」
水気が多いのか、足許の土が少し柔らかい。
「雨が降った……わけでもないよなあ」
此処へ来るまで、雨には降られていない。にもかかわらず、空気も少し湿気ったような匂いに感じる。
「まあいいか、とりあえず」
アクドは下馬して、手綱を放した。馬は軽く駆けて、草を食みだした。
コアイも同様に、馬を放してやることにする。
「これを渡しとくよ。使ってくれ」
アクドは馬二頭がのんびり休んでいるのを確かめてから、コアイに革袋を差し出した。
「これは?」
「森の中で印になる、赤い石が入ってる。使ってくれ」
どうやら城市シャッタールで用意しておいてくれたらしい。
「あ、それと帰りはできたらあの村に寄ってくれ」
「何故だ?」
コアイは革袋を受け取りながら疑問を投げかける。
「ちょっと思いついてな……うまく行けば、王様の帰りに合わせて馬を連れて来れるかもしれねえ。王様が森にいるうちに準備しとくよ」
コアイは馬を連れたアクドと別れ、ひとり南の大森林……森を愛する翠魔族ですら住み着かない、暗く深く湿気た森の中へと足を踏み入れる…………
遅くなりました、申し訳ないです




