彼女を、想ったまま
コアイは一人、タブリス領の西端やや南……シャッタールという名の城市を訪ねていた。
一帯が周囲よりも比較的低い土地で、更に川沿いまで降りたところに開けた土地があるため、そこを利用してルルミウズ川の対岸へ舟を渡すための小さな港が設けられた。
やがて東西への荷の行き来が活発になり、港と周りが自然と発展したことで成り立った、商人のための街……それがこの、シャッタールなる城市とのこと。
現在では川の東岸がエルフの、西岸が人間の領地となっているため、人々の往来は減りつつあるものの……物の流れは依然として盛んで、活気を感じられる街。
しかし、今のコアイは人や物の活気が目当てではなく……ただ南部の大森林に近い城市という理由でこの街に来た。
此処から、領内最南端の村落を目指して進む。
そのために、道を訊ねておきたいが……誰が詳しいのだろうか。
コアイは警備兵すら見当たらない、広い城門の前で馬を止めてみる。
ときおり、荷馬車が城門の向こうからガラガラと音を立てて進み出てくる。
荷馬車の御者、あるいはその周りを固める護衛らしき者達は……すれ違いざまにコアイへ目を向ける者もいれば、特に警戒心を見せず通り過ぎていく者もいる。
コアイは暫く、城市から荷馬車が出て行くのをぼんやりと眺めながら、今後の旅程を考えていた。
荷馬車は城市から出て行くが、城市へ入っていく荷馬車は何故か見当たらない。
馬を此処へ置いていくか、それとも村落まで馬で乗り付けるべきか。それも訊ねて、考えておくべきか。
此処から近ければ良いのだが。村落の名、地図に記してあっただろうか。そもそも、詳しい者がいれば良いが。
コアイは声を発することもなく、ただ馬に跨ったまま考え込んでいる……
「おーい、おーい!」
と、聞き覚えのある野太い男の声が響いた。
コアイはそれに気付いたが、自分へ向いたものではないだろうと考えて反応しないでいた。
しかし、男の呼びかけの後に聞こえてくる馬蹄の音は、徐々に大きく鳴ってコアイに接近を悟らせる。
「いやあ、探したぜ王様」
意識を向けた声の主は、予想通り……タラス城にいるはずの大男アクドであった。
「……どうかしたのか」
「そろそろ大公さんに会えた頃合いだから、王様が何か困ってれば手伝ってこい……って伯父貴がな」
アクドが言うには、老人ソディの気遣いで来たとのこと。
「ついでにこの辺りの街の様子を見てこい、とは言われてるが……まあ気分転換がてら、外に出させてくれたんだろ」
と言ってもコアイのみのためではなく、他にも考えがあってのことらしいが。
「しかし、こっちに来るなら渡し舟に乗ってみればよかったのに……それとも行きに乗ったのか?」
「渡し舟……話には聞いているが乗ってはいない」
「そうか……こっちに来る途中、エルゲーン橋から下りてきたときか? 商会のヤツから似た人とすれ違ったって聞いたぜ。おかげで早く王様に会えた」
アクドは少し残念そうに眉を寄せてから、笑顔を見せる。
コアイは少し黙って、話を聞いてみる。
「渡し舟な、俺も十何年か乗ってないんだが……水の上を進むの、楽しいんだぜ。いい馬に乗ると、妙にふわっとした感じがするが……それとは違った柔らかさというか、なんというか……」
コアイはそう聞いて、スノウを舟に乗せてやれば良かったかと少し後悔した。
一人でエルゲーン橋を渡るのではなく、対岸の街で少し落ち着いてから、彼女を喚んで二人で……というのも、趣深いものだったかもと。
「あ、済まねえ……とりあえず街に入って、少し休むか」
アクドはきまり悪そうに頭を掻いた。
「休む必要はない、先ずは森への道中について調べたい」
何故そうしているのかは分からないし、別に気を悪くしてもいない。
コアイは目的のため、街へ入るよう促した。
「よし、とりあえず先に俺が行ってくる。王様は休んでてくれ」
宿に着いた二人はそれぞれ部屋を取り、今日はまずアクドが情報を集めることとした。
というのも、大公から貰った南の大森林への地図は一枚のみで、それぞれが個別に動いても効率が悪いと考えられ……また二人連れ立って街へ繰り出す意義も無いように思えたためである。
それならば、長旅で疲れているだろうコアイは休んでおいたほうが良い、という流れになった。
……別にコアイは疲労を感じてもいないのだが、結局一日休むことになってしまった。
疲労を感じてもいない、手持ち無沙汰のコアイ。
そんな状況に置かれたコアイが思い浮かべるのは、どう思考を捻っても、どう足掻いても……彼女のこと以外にはあり得ない。
舟、か……
彼女は舟に乗ったことがあるのだろうか。
確か、馬車にはさほど驚いていなかった。
裸馬に乗ったときも、鞍を用いたときも……驚いてはいなかった気がする。
いや、どちらでも良いか。
彼女が楽しんで、喜んでくれるなら……それで良い。
此度は機を得ぬかもしれないが、いつか二人で……
舟に乗ると、ふわりとした心地になれるらしい。
それは……彼女に寄り添えたときの、あのあたたかさと似ているのだろうか?
いつか、試してみたい。
私はそうしてみたい……彼女のためではないのか?
いや、そう詰られてもいい。私はいつか、試してみたい……彼女と二人…………
「おーい、王様〜」
雑音。
「おーい、起きないのか〜?」
彼女の可憐さとは対極のような声と、戸を叩く音。雑音。
何時の間にか、眠っていたらしい。




