五 魔術の似合うヨル
森の中に築かれ侵攻路の限られた、また広い濠と複数の城壁を備えた、大陸有数の堅城と賞されるタラス城。
その堅城は今、大きな災いをその身の端に容れた。
コアイは悠々と、城壁の内側を歩いていく。幸い城壁側からも城の高い部分が見えるため、方向を誤って反対側の城壁外へ出てしまう虞はなかった。
暫く歩くと、小さめの家らしき建物が規則正しく並んでいた。それら建物のうちいくつかから、得物を携えた者が駆け出してくる。
「な、なんだお前は!?」
「曲者ッ!」
人間達は各々声を上げながら、侵入者──コアイに対する。
しかし、『聖域』に在るコアイにその声は届かない。コアイは視界に入った人間達を一瞥したが、相手にするのも面倒に感じそのまま通り過ぎようとした。
「チッ、何なんだ!?」
「っ、ままよ!」
人間達はコアイの振る舞いに戸惑いながら、長槍で突こうとした。
しかし、『聖域』に在るコアイにその刃は届かない。コアイは人間達に何ら応えることなく、城の見える方向へ歩き続ける。
「な、何だよこいつ」
「この感覚は……!?」
二人の兵は横並びで不審者に相対し、ほぼ同時に真っ直ぐ長槍を突き出していた。それを遮る物は何も無かった、はずであった。
しかし二人の槍先は丸盾で流されたように外側へ逸れていた。
そこには槍先を背けさせる力だけがあり、何かに触れたという感覚は存在し得なかった。
それは恰も、恒久の摂理であるかのように。
二人は歩き続ける不審者に横から、斜め後ろから突きを試みて、三度同じ結果を得た。どうにもならないと察した二人は、呆然と不審者を見送っていた。
コアイは歩みを速めない。やがて、先に抜けた城門の上に居た者達が追い付きだした。
「待てよてめェ!?」
「逃がさん!」
ある者は手にしていた弓でもう一度、矢を放つ。またある者は佩いていた剣を抜き、背後から斬りかかろうと襲いかかる。
勿論、矢は横へ逸れて落ちていく。斬りかかろうとした者は、剣の間合いまで近付く前に身体を横へ流されていく。
「くッ」
「近付くことすらできんのか……」
「なんだって、マシュー先生もワッツ殿も不在の時にこんな……」
……彼女の居ない世界でこれは、つまらない、な。
唐突にそう感じたコアイは一拍置いて、『聖域』を解いた。しかし、この期に及んでなおコアイを排そうと試みる人間は、ここには居なかった。
コアイは『聖域』を出て、さらに歩き続ける。すると、先に切り裂いたものによく似た、重たげな門扉を見つけた。
コアイは先の門扉と同じように、『突風剣』で切り裂き奥へ進んだ。
二枚目の扉の先には、小洒落た家らしき建物がぽつぽつと建てられていた。それらの建物からは、人間達が駆け出してくることはなかった。
代わりに、城の方向から一人、暗い色の外套に身を包み、フードを被った小柄な人間が歩いて来た。
「チッ……あの筋肉ジジイはどこ行ったんだい、ちったぁ仕事しろよな」
小柄な人間は、女らしき声で不満げに独り言ちた。
「ハァ……で、何? 何しに来たの」
「お前は女、か?」
「は? 質問してんのアタシなんだけど」
「それがどうした、人間よ」
興味無さげに言葉を返すコアイに剣呑な空気を感じたのか、女は飛び退いて距離を取った。そうしてから、外套の裏に手を入れて弄りだした。
「ッぜぇな……丁度いいや、コイツで試してみるか」
女は外套の裏から小瓶のようなものを取り出し、一息に飲み干す。
コアイは突然、女の身体から魔力が漏れ出したのを感じ取った。少し興味が湧いたコアイは女を注視する。
「へぇ……そっか、それなら、もっと先を見せてあげようか?」
女はそう言うと、小瓶のようなものを数個手にし、続けざまに飲み干していく。女がそれを飲むごとに女から漏れる魔力が強まり、その匂いがコアイを刺激する。
「……良さそうだ」
「楽しそうな所悪いけど、手加減できねぇよ?」
いつしか、フードの奥で女の顔は紅潮し、またその瞳は宝石のように碧く輝いている。
「……もう一本、行っとくか」
最後の一本を飲み干した後、女は眼を閉じて詠唱らしき文言を紡ぎ出した。
「肋捧げ、肉捧げ、信捧げ、数多の贄が主の御力成さんことを」
コアイはそれを、黙って眺めている。それが、如何な力を呼び覚ますのか、愉しみに待っている。
「大きな撚り骨に宿る力は、涸れることなく」
「涸れる命に、さよならを……『漂戦車』!!」




