あなたがそばにいなくても
彼女は少し酒臭い。
寝起きからコアイをきつく抱き締めるスノウの身体から、酒の残った臭いが届く。
酔い潰れた彼女が目覚めたときに、時々感じる臭い。
と言ってもコアイは、この臭いがあまり嫌いでない。
臭い自体も嫌いでないが、それ以上にこの臭いは……
昨夜の彼女が、心ゆくまで酒食を楽しんでくれた証……だから。
「ん〜…………」
酒飲みの臭いを残す彼女が、抱き締めるというよりは最早しがみついているかのように顔や身体を押し付けてくる。
彼女の顔で、身体を擦られているような心地。
コアイは彼女の背に手をやって、暫く彼女を受け止めてやる。
擦られた胸の、抱き締められた背や腰の……内側がむずむずと擽られる。
しかしそれは不快ではなく、むしろコアイをあたたかく高揚させる。
微かに胸を高鳴らせて、自然と笑顔をたたえながら。
「……んふふっ」
彼女が抱き締める手を緩めて少し下がり、顔を上げる。
「お、おはよう、スノウ」
胸が高鳴っていたせいか、彼女に目を合わせたせいか……コアイは挨拶の声を少し詰まらせていた。
「おはよ〜、王サマ」
上目遣いにコアイを見つめる彼女は、にやにやと笑って……
「……って、ちょっとあたまイタイかも」
笑っていたのも束の間、眉を寄せ小さな溜め息を吐く。
「大丈夫か」
「あ゛〜微妙……でもそろそろ帰る時間でしょ? だからハグもっと」
彼女の表情はやや冴えない。冴えないが、その表情のまま……再びコアイへ抱きついてきた。
コアイは無意識に、一切の抵抗なく受け止める。
「んふ〜……いや、うーん……なんか違うなぁ」
と、何か不満があるのか……彼女は早々にコアイから離れていた。
「どうかしたのか?」
コアイには、その理由は分からない。
ただ、彼女の身体が離れたことが……少し切ない。
「ああ、あのさあ……アレやってよあれ」
「あれ……とは?」
「アレよ、お姫さまだっこ……昨日してなかった?」
彼女は、コアイに抱き上げてほしいらしい。
「ほとんど寝てたけど、なんかしあわせだった気がするの」
彼女はそう言いながらベッドを降りた。
きっと直ぐにでも抱き上げてほしいのだろう、コアイはそう感じて……
「起きていたのか」
コアイに彼女の願いを拒む理由などない。直ぐに彼女を追う格好で立ち上がり、背後からそっと彼女の背と膝に手を差して持ち上げる。
「えへへ、王サマ〜」
「どうした? 辛いか?」
「そんなことないよ、ありがと」
よくよく考えると、これまで彼女を抱き上げたとき……彼女はいつも眠っていた。
しかし今日は、彼女が間近でコアイを見つめている。
それが嬉しいような、気恥ずかしいような……そんな気がして、顔が熱いように感じてしまう。
「やっぱいいな〜これ……次も、またおねがいね」
間近から聴こえた、彼女の澄んだ声は……とても満たされて発されたもののように思える。
それが正しい受け止め方なのか、コアイの勝手な思い違いなのかは……コアイにはまだ良く分からない。
ただ、彼女の声そのものがコアイを満たす……それは、確かなことだった。
「次……」
「そろそろ帰らないと……でしょ?」
次に聴こえた、彼女の囁く声は……どこか元気なくこぼされたもののように感じる。
それが彼女自身の都合なのか、コアイの状況を慮った気遣いなのかは……コアイには良く分からない。
ただ、彼女との別れが近付いている……それは、確かなことだった。
「だから……」
と、彼女がコアイの肩に手を回した。
肩に乗せた手で、身体を起こすような動きを見せた、その直後。
「んッ!」
コアイは熱く、柔らかな何かが頬に触れたのを感じた。
触れられた頬の、いや全身の皮膚が熱く震える。
「……またね、王サマ」
コアイは熱い震えを自覚しながら、引き寄せられたように声へ振り向く。彼女の丸々とした瞳が、ひどく潤んでいる。
コアイはそこへ吸い寄せられてしまったようで、暫く彼女から手を放せなかった。
それでも、また何時でも逢えるのだからと……身を震わせながら彼女を降ろして…………
召喚陣の光が薄れ、朝の明かりに紛れて消えていった。
寝室に残ったのは、召喚術のために囓った指先の痛みだけ。
コアイは一人、酒瓶など室内の荷をまとめて宿を発った。
昨日からコアイを囲む魔力は、宿を出ても動く気配を見せない。
攻めあぐねているのか、若しくはコアイの動き……例えば城市の外へ出るのを待っているのか。
ただ何れにしても、今コアイがそれ等の動きに注意を払う必要は全くない。
すべてに優先して護るべき、スノウはもう此処にいないのだから。
コアイは特に周囲を気にかけず、南の城門をくぐり……城市アルグーンを後にした。
すると、街道を暫く進んだ辺りで何やら喚き立てる人間達に囲まれた。
得物を手に飛びかかる者もいれば、詠唱し魔術を練ろうとする者もいた。
しかしそれ等の力無き暴力が、コアイの皮膚に届くことはない。
それ等に、何の興味も湧きはしない。
ただ、往来の妨げになるから……排し、除く。
障害を取り除き、コアイはのんびり居城タラス城への帰路を往く……
数日間は馬を駆り……大森林が微かに見えたころ、馬が渇きを覚えてか水場へと脚を向けた。
コアイは何時も通り、望みどおり水を飲ませてやろうと馬の行く気に任せて……立ち寄った水場でふと、水辺に白い花が数輪咲いているのを見かけた。
白い花……白い……
そうだ……雪のように白い、彼女が「ドレス」と呼ぶ衣装……
手に入っているだろうか…………
水場で見かけた白い花から、大事なことを思い出したコアイは気を逸らせ……急ぎタラス城へと帰っていった。




