あなたを護るためだから
二人が酒場の近くに着いた頃には、日はすっかり沈んでいて……暗く侘しいようで、少し騒がしい夜を迎えていた。
あちこちの建物から聞こえる賑やかな声、中でも一際明るい声を響かせる一軒に……手を繋いだ二人が足を向ける。
すると……
「あ、看板……あれ?」
前に来たときにも目にした、『牛喰屋』の看板。
灯りにぼんやり照らされたその姿が、スノウの記憶とは違っているらしい。
「前とちがう? ……夜だから?」
彼女は時間帯によって立て掛けられた看板が異なるのだろうか、と推測する。しかしコアイには分からない。
「一先ず、店に入ろうか」
分からないので、早く彼女に酒を飲ませてやろうと考えた。
「うん、そだね!」
彼女は軽やかな声で応えながら、軽やかに頷く。
「いらっしゃい! こちらは、『牛喰屋』!」
二人で入り口をくぐると早々に、右手から張りのある女の声がした。
スノウの声とは違った、少し硬い響きの声をコアイは少し煩く感じる。
「お二人さんですか!?」
「はい」
「……ああ」
「ご案内しますね、お二人さまご来てーん!」
二人は給仕らしき女に先導されて、席に着いた。
「今夜はお肉がおすすめですよ、当店自慢の……感動の肉と酒!」
「感動の……」
「肉と酒?」
給仕らしき女によると、新しく夜営業での宣伝文句として使っているものらしい。
「看板も新しく作って、昼と夜で入れかえてます!」
「感動の肉と酒、か……どっかで……」
「ええと、ところで……ご注文はどうしますか?」
「じゃあ感動するようなお肉とお酒、お姉さんのおすすめで!」
暫くして、香ばしく焼けた肉料理と爽やかな香りを漂わせる酒が二人のもとに運ばれ……
「仕事のあとは、やっぱ肉とお酒だね〜!」
「楽しそうだな」
「もちろん! ほら、乾杯して……感動だぁ!」
何度も大笑いして、笑みのままで何皿も肉料理を味わって、幸せそうに何杯も酒を飲み干して……
夜遅くまで飲み過ぎて前後不覚となったスノウの腕を抱え上げながら、コアイは宿へと戻ることにした。
空いた手には、酒場で売ってもらった酒瓶を一つ提げて。
「んふふ……ふう……」
彼女は顔を真っ赤に染めて、少し涎を垂らしながら浅い息を継いでいる。
コアイはそんな彼女の様子を確かめながら、特に変調のないことを確かめながら宿へ向かう。
当面は、顔色が青白く変わったり息が詰まったりしなければ……問題ないだろう。
彼女が時々横へふらついたり、脱力して膝を折りそうになったりするのをしっかり支えて、転ばないよう注意を払いながら歩き続ける。
歩くごとに、背中に伝わる酒場の喧騒が小さくなり……やがて人の気配がほぼ無くなる。
この城市には人間が多く住んでいるが、此処では夜遅くに出歩く者は少ないのだろうか。
と、コアイはなんとなく考えながら帰路を往くが……灯りの少ない路地に差し掛かった辺りで、突然人の気配を四方から感じた。
またそれ等のなかには、けして強くはないものの魔力の匂い……魔力を具えた存在が混じっていた。
魔力であれば、人の気配よりもはっきりと感知できる。
はっきりと感知できるそれ等が、四方から徐々にコアイへ近付いて……囲い込もうとしているのが判る。
この動きは、コアイを狙うものと考えて間違いないだろう。
と言っても、普段なら気にする必要はない。
しかし……けして彼女に触れさせないように。
コアイはスノウを抱きかかえ、魔力が匂う方向へ意識を向ける。
「ふえ……? どしたの……?」
「離れるな」
泥酔してはいるが、抱き上げられたことは分かったらしい。
彼女はゆっくりと左右に首を振ってから、
「ん〜…………」
小さく唸り声を上げてコアイに身を寄せた。
彼女のあたたかな身体が寄り添って、胸の鼓動が伝わってくる。
普段なら、身体の内外に熱が熾るのを止められずに、またそのことを強く自覚してしまうところだが……
今は先ず、コアイ達に害を為そうとする者がいないこと、若しくはその者を排除したことを確かめなければならない。
来るなら来い。
私に刃を向けるなら、たとえ鼠や羽虫であろうと……容赦はしない。
まして、彼女とのひとときを妨げる輩ならば……
コアイは久しぶりに、己の魔力が体内を駆け巡るような心地を覚えている。
今となっては、それも然程心地の良いものでもなくなったが。
今となっては、強者との闘いですら然程心躍るものでもない。
見るべきものもない弱者であれば、尚更……
しかし今は、心地良くなくとも、心が凪いでいようとも……彼女を護る。
それだけのために、力を振るえる。
それだけのために、身を起こせる。
それだけのために、敵手を討てる。
来るなら来い。
彼女を護るためなら、仇なす者は全て……
結局、周囲に潜む者達は……路上でコアイ達へ襲いかかることはなかった。
と言っても、退いたわけではない。コアイは宿に入るまでの間、己を囲い込もうとしていた数点の魔力が付かず離れずの位置を保っていたのを感知している。
寝室に入り、スノウをそっとベッドに寝かせても……辺りに潜む魔力の動きは変わらない。
こちらが寝静まったところを狙ってくる、ということも考えられるか……
ならば眠ることなく、スノウの寝姿を眺めながら動きを待つか?
そう考えたコアイは、一旦スノウの側へ寝転がった。
と、そのとき……酒場での支払いにより、路銀が尽きかけていたことを思い出した。
金が無ければ、彼女に酒食を振る舞うことができない。
そろそろタラス城へ戻る頃合いだろうか。
それなら、いっそ彼女を本来の世界へ帰して……
いや、それなら尚更……彼女が起きるのを待って、少し話をしてから…………
コアイは眠らずに、ただスノウを見ていた。
彼女は少し顔の赤らみを和らげつつも、静かな寝息を立て続けている。
彼女の寝顔と、宿屋の辺りに留まる魔力の匂い……双方を感じながら、コアイは何時しか微睡みかけていた。
ふと気付くと、日の出を思わせる淡い光が窓を照らしている。
コアイはそろそろ夜明けか、と思いながら改めて彼女の寝顔を見つめる。すると不意に彼女の目が開き……
コアイはきつく抱きしめられていた。




