あなたが楽しそうだから
大変遅くなりました。
お待たせしてしまい、誠に申し訳ありません。
日はだいぶ西に向き始めたが、まだ赤味は帯びていない。
夕暮れにはまだ早い、執政府を訪ねて夜に帰ってくるくらいの時間はあるだろう。
「行こうか、スノウ」
「は〜い、王サマ」
コアイは彼女の手を取ってから徐に立ち上がり、手を繋いだまま宿を発った。
二人は寄り道せず、城市アルグーンの中央部に建つ執政府の正門前まで歩いてきた。
門前には軽装の、槍らしき得物を手にした人間数人が屯た(むろ)している。
「此処がこの城市の執政府か?」
コアイはスノウの前に数歩出て、彼女を庇うような位置から衛兵らしき人間の一人に話しかけてみる。
「あん? 他になにがあるんだ?」
「おいおい、そんな態度じゃまた怒られっぞ……それはそうと、何か用か?」
声をかけた者と、その近くにいた一人がコアイへ言葉を返した。
人間達は、いい加減な態度のようでいて……目線だけは鋭くコアイを捉えている。
また、微かに得物を持つ手に力がこもった……ように、コアイは感じた。
とはいえ、そこに着目すべき魔力の匂いはない。
「この書簡を持って、代官に会ってこいと言われている」
そこに闘争の歓びはない。ただ一点、スノウへ得物を向けないことだけ確かめながら……コアイはソディから預かった書簡を差し出してみる。
「だいかん、て……不敬とか言って怒られるぞ」
「いやお前もわりと不敬じゃね? ……とりあえず、その手紙見せてもらってもいいか?」
話をしていると、コアイの問いかけに応えなかった者達も一人を除いて集まってきた。
「見たってお前字読めねえじゃん」
「この手紙、作りはしっかりしてるしデタラメじゃなさそうだから……隊長呼んでこようかなって」
「あーじゃ俺呼んでくるよ、ついでに……」
「用足しなら隊長連れてきてからにしろよ」
衛兵達のうち一人が、門の奥へ走り去っていく。
言われた通り門前で少し待ってみると、先程走っていった男がもう一人を連れて戻ってきた。
連れてこられた男からは、魔力の匂い……コアイにすれば取るに足らぬ程度ではあるが、多少は魔術の心得がありそうに感じる。
「へへ、隊長寝てやがった」
「瞑想だ、バカ者……で、どうかしたのか」
「あそこの色男が、これを……」
「俺ら字が読めないんで」
隊長と呼ばれる男は、ソディの書簡を衛兵から受け取り……その文面に目を落とした。
「えっと、なになに……エミール領統治代官各位……」
隊長は書簡の文面を読み上げ始めた。
「コアイ王が臣、ソディ・ヤーリットより一筆記す……って、待てよこれって」
と、男は二行読んだところで顔を上げる。
「このソディ・ヤーリットって、たまに来てる小さいエルフの爺さん……か?」
「あー名前知らねっス」
「いや、それよか隊長」
「続き読んだほうがいいんじゃないですか」
衛兵達や隊長は、老人ソディを知っているらしい。
アルグーンほど大きな城市ともなれば、ソディ自ら訪れることもある……のだろう。
ただ、そうなると……今、コアイが此処で代官に会う必要性は薄いのかもしれない。
代官の為人を、ソディが知っているなら……わざわざコアイが口を挟む意義は無いように思えてくる。
それならば、早く立ち去って酒場へでもスノウを連れて行こうか……?
「ああ、そうだな……えと……」
「いや、そうじゃなくって……」
どうやら一人を除いて、書簡を渡したのがコアイ……王と書かれている人物だと気付いていないらしい。
「ふふ、みんな王サマのこと気づいてないっぽいね」
スノウが後ろでローブの袖を引いてから、コアイにそっと耳打ちしてきた。
彼女は笑っている。声も何時も通り軽やかで、楽しそうだ。
それなら、もう暫く此処で人間達を眺めているのも良いか。
「……陛下がこの書簡を携え、任地を訪ねられた際には遅滞なく会議の場を設け、各人の職務について御説明差し上げるべし……だと」
隊長は書簡の文を読み続けていたようだ。と……
「やっぱり……」
「え? なんだよ」
「また陛下への申述、答弁に当たっては……ん、あれ?」
「わかんねえよはっきり言えよ」
「陛下が書簡をたずさえ……ってことは、だ」
「え? 手紙を持って……あっ!?」
衛兵の一人がビクンと身体を跳ねさせ、直後に門の奥へ走り去っていった。
「ふふっ、笑っちゃ悪いけどおもしろいね」
アルグーンを統べる代官との面談を終えた二人は、一旦宿へ戻ることにした。
「お疲れさま、王サマ」
何時も通り、手を繋いで歩く二人を夕暮れ時の赤光が照らしている。
代官との対談は、前回よりも要領を得ないものだった……とコアイは感じている。
彼女の言葉遣いや所作ばかりを耳に残し、目で追い、注意を向けてしまっていた気がするが……彼女からは、前回ほどの活気を感じなかった。
コアイ自身の印象も、強いて言えば……先に会ったドイトの代官よりもさらに若いが、こちらは若々しいというよりは短慮、どうも頼りない……という印象であった。
代官の名も、覚えていない。
「なんか今回のひと……どうよ王サマ?」
彼女の問う声には、普段は感じない鋭さがあった。
彼女も代官に良い印象を抱かなかったのだろうか。
「一城の将にしては、随分頼りないように思った」
「やっぱり? なんかダメそうだよね」
「猛々しさも、落ち着きもなかったように思う」
「若いっぽいししごできでもなさそうなのにね、なんで代官さんなんだろうボンボン? 社長の息子?」
どうやら彼女は、先程会った代官を……生まれ、あるいは血筋の良さだけで代官の位を得た人物ではないかと疑っているらしい。
過去に、それは……人間の国では良くある話、とコアイは聞いている。
無能な王侯貴族を要地の将に就けてくれたおかげで、僅かな兵力で戦に勝てた……と配下の魔族が報告するのを、何度か聞いていた。
「まー私部下とかじゃないし関係ないけど」
彼女は関係ない、と言うが……内心あまり良い気分ではなさそうに思える。
なにより……顔も、目も笑っていない。
コアイは、彼女に笑みを取り戻してほしくなった。
「それより、そろそろ日が暮れる……飲みにでも行こうか」
「うん! この前のお店、また行きたいな!」
しかしコアイは、飲みに行こうと誘っただけで彼女が満面の笑みを浮かべるとは……思っていなかった。
彼女の笑顔、あまりに早い変わり身。
眩ゆい笑顔、あまりに明るい煌めき。
あたたかな笑顔、思わず笑顔で返す。
可愛らしい笑顔、思わず熱に浮かぶ。
彼女の楽しそうな笑顔で、コアイは夕暮れ時だというのに目が眩みそうになっていた。




