あなたのことが大事だから
気が付くと、真っ白だった。
スノウの姿も見当たらない。
ずっと、手を握られていた。
ずっと、背中に熱があった。
ずっと、存在を感じていた。
今は、まるで感じられない。
此処には、スノウがいない。
であれば、これは恐らく……
「ごめんね、コアイ」
白い光以外は何も見えない空間の中で……何処からともなく声が響く。
何故かは見当もつかないが、その声はコアイの名を知っている。
「あなたに教えておきたいこと、教えなきゃいけないこと、他にももっとたくさん……」
コアイを知る声、あの声に似た聞こえ方。
その声色も、あの声に少しだけ似ている。
似てはいるが……この声は、特段不快とも感じない。
「でも、もう時間が」
声は突然に途切れた。
どうせこの場に、この声の他には白い空間しかない。ならば……
と暫く待ってみたが、再び声が聞こえてくることはなく……
虚ろなほどに白いだけの空間の中で待ちくたびれていると、不意に……あたたかな何かに手を握られた感覚がして、視界が開けた。
目の前に、スノウの後ろ髪。
毛先が顔に当たっているらしく、少しくすぐったい。
また直ぐ近くに彼女の背中が横たわっていて、そこから彼女の熱がじんわりと伝わってくる。
彼女以外ははっきりと見えないが、少なくとも彼女が目の前にいる。そのことだけは、はっきりと解る。
確かに彼女が眠っているベッドの上、あの真っ白な空間とは似ても似つかない。
やはり、夢を見ていたらしい。
上下左右前後、何処に目を向けても真っ白な空間で……コアイの名を知る者に何処からともなく語りかけられる夢。
ここ数年、いや……スノウに出逢ってから、稀に見る夢。
『魔王』と呼ばれていた、あの頃には……見なかった夢。
『魔王』と呼ばれていた頃、それ以前も含め……数百年間見ることのなかった夢。
彼女に出逢ってからの数年……過去の数百年とは比較にならないほど短い期間で、何度か似た夢を見ている。
それはもしかしたら、ある意味で……彼女を知る前の数百年よりも、彼女に触れてからの数年のほうが明らかに輝かしく、長く、喜ばしく、思い出深く感じることに似ているのかもしれない。
と言っても、夢で聞く声はスノウの声には似ていない。
彼女の声に感じる清澄、軽やかさ、可憐さ……脳裏や胸中、体内へ微かに沁みてくるような響き……夢の声は、それ等をほぼ有していない。
またそれ以上に、紡がれる言葉の意義を理解する必要性……それを、彼女の声ほどには感じられない。
夢の声が語る言葉の意義を、可能な限り酌み取るべきという意識が起きてこない。
で、あれば……で、あるうちは。
不確かな夢よりも、確かな彼女を。
コアイはスノウの眠りを妨げることのないように、身体を動かさないよう意識する。
それだけ、意識して……あとはひたすらに彼女を確かめる。
視覚で、触覚で、聴覚で、嗅覚で、熱量で。
コアイは何も言わず、少しも動かずにただ眠るスノウを感じ取っている。
それは夢心地と言っても過言ではない、心地良く、安らかで、微笑ましい……憩いのひととき。
「んハッ!!」
と……のんびり眺めていたスノウの身体が、突然奇声を伴って跳ねた。
「あさ!? 朝!!」
彼女は叫びを上げ続け、コアイの手を握ったまま半身を起こす。
手を握られたままのコアイは、軽く身体を起こされた格好になり……そのまま、彼女の横顔へ目を向けていた。
「って……あ、そっかあ」
彼女の横顔は上向き、天井を見て……そこで何かに気付いたらしい。
そんな彼女は、勢い良く振り返りコアイを一目見て……
「おはよっ、王サマ!」
コアイの返答も待たずに抱きついてきた。
一旦薄れていた彼女の香りが、再びコアイを満たそうとする。
それでいて、彼女の香りは……密着した身体から、背に回された手から伝わる熱とともに、コアイを惑わせていく。
「ふふ、顔色よくなったね〜……」
彼女の香りと熱に惑うコアイをよそに、彼女は淀みなくコアイの両肩へと手を移して……少し身体の間を空けて正対していた。
そして丸く潤んだ瞳で真っすぐにコアイの顔を見つめてから、徐に瞳を閉じながらにじり寄って……
「んふふっ……よかった」
熱いものが離れたあと、彼女は少し頬を赤くしながら笑った。
しかしコアイは胸の内が弾んで、言葉を返せないでいる。
「じゃあさ、あの……復活記念ってことで、さ?」
コアイは何も言えないまま、もう一度唇に熱く触れられて……背に、腰に手を回されて…………
身も心も灼き尽くすような熱に浮かされて、ふわふわと浮ついて、じんわりとよろめいて……
日が傾きかけた頃になって、コアイは再び目覚めた。
隣には、幸せそうに微笑んで眠るスノウの姿がある。
そこに目を移して、微笑みの声を漏らしそうになる。
先程までは熱に痺れていた胸の奥が、ほんのりとあたたかい。
と、コアイが目覚めてから然程間を置かず……彼女の目も開いた。
「あ……おはよ、王サマ」
「おはよう、スノウ」
今度は、ちゃんと挨拶を返せた。
「そろそろ夕方になりそうだが、これからどうする?」
コアイは続けて、彼女へ問いかける。
「そういやさ、この街では代官さんに会わなくていいの?」
「あ、そうだったな……」
いろいろなことがあったせいか、半ば忘れていた。




