あなたがいてくれるから
すみません、遅くなりました。
「行ってみよ、ほら!」
丸々と瞳を輝かせるスノウに、手を引かれている。
触れている、あたたかい手。
そこから熱が伝わってくるのを意識すると……それは身体を蕩けさせる。
蕩けて力の抜けてしまった身体が、まるで抵抗もできず彼女に引かれる。
どうにも力の入らない身体が、彼女に連れて行かれて……心が惹かれる。
ふわふわと手を引かれて、一歩一歩酒場へ近付くごとに……彼女のものでない笑い声が聞こえてくる。
この酒場はどうやら、随分賑わっているらしい。思い返せば、前に来たときも賑わっていた気がする。
「あは、笑えってさ……とりまお客さん多そうだね、空いてるかなあ?」
彼女は酒場の入り口、立て掛けられた看板の横で一旦足を止めていた。
「ああ……一先ず入ってみようか」
彼女が何を感じているかは良く分からない、ただコアイのほうでは……平静を装いつつ、思考を蕩けさせる熱をなんとか押し退けて。
ともあれ二人は入り口をくぐった。
「ようこそ! こちらは、『牛喰屋』!」
入り口の先の右手から、快活そうな男の声がした。コアイにとっては少し煩く感じるもの。
「お二人ですか!?」
「はい」
「……ああ」
「ええと……あ、あそこ空いてますね、あそこの席でおねがいします! お客さまご案内しまーす!」
コアイは先導する男の活発さに軽く呆れながら、スノウとともに店の奥へと歩いていく。
周囲から湧く、楽しげな笑い声を何度も耳にしながら。
「まずお飲み物は……何にしますか?」
「んと、とりあえず……店員さんのおすすめで!」
席に着くや否や注文を聞こうとした給仕らしき男に、彼女は慣れた様子で聞き返していた。
「あいよ、じゃあ最初はアクアフで……お兄さんも、同じ……?」
給仕らしき男は、彼女からコアイへと目線を移したところで何やら怪訝な表情を見せる。
「あれ、お客さんもしかして……前に一人で来てた兄さんかい?」
「此処に来たことはある」
良く覚えているものだ、と感心はするが……あまり心地良くはない、というのが正直なコアイの心境だった。
「すまない、前に出した酒、切らしてるんだ」
「前に出したお酒?」
「ああ、お兄さんが気に入ってくれて、瓶ごと買ってくれたことがあってね。それが今はなくってさ」
コアイは過去にこの酒場を訪ねた際、三本の酒を買い取り居城へ持ち帰った……それ等が、今は欠品しているという。
「そなたに飲ませた赤い酒……覚えているか?」
その中でも、彼女と風呂に入りながら飲んだ一本。
彼女の眩しさのように好ましいようで、どこか切なさ……淋しさに似た後味を残すような酒。
「赤いの……めっちゃフルーティでしつこくなくて美味しかったやつ……かな?」
「ああ、あれは此処で買ったものだ」
「あっ話し中にすまない、料理はどうする?」
酒の話で盛り上がりそうになったところを、給仕に話を遮られた。
「あ〜おまかせで!」
「料理、美味しかったねぇ〜」
二人は手を繋いで酒場から出て、街の中心部へ向かって歩いている。
「ビーフシチュー的なやつにアブラたっぷりの焼き魚、また食べたいかも!」
コアイが以前にも食べていた、肉の入った煮込み料理と豪快な切り身魚の焼き物……スノウも気に入ってくれたらしい。
「お酒も薄めだったけど、料理には合ってた気がする!」
一方で、この辺りで定番となっているらしい酒については、彼女もさほど好みではなかったようだ。
それ等は概ね、コアイの予想通りで……それが何となく誇らしい。
さて、二人は街の中心部にあるという執政府の近くを進んで、外からその位置を確かめつつ……その先に建っているという聖堂に向かっていた。
名を、ポクーロー聖堂……前回も今回も、給仕の男が強く薦めてきた名所。
外側では細長い塔の並びが美しく、内部では人間達の信仰にまつわる絵画が楽しめると言うが……コアイは正直なところ、そこへは行きたくなかった。
何故か、そこについての話を聞くだけでも……はっきりと不快感を覚えるから。
しかし、今回はスノウが……執政府の下見と散歩がてら、そこへ行ってみたいと言った。
彼女がそう言うのなら、コアイはそれをけして否定したくない。
彼女の望みのために、不可思議な不快感を受け入れようと……スノウの手を取り、聖堂のなかへ足を踏み入れた。
何処からともなく、声が響いているように聞こえる。
「我等が世、御神の世……」
「今や美徳はよろめき、悪徳は栄え」
「世に蔓延るは背教者コアイ」
忌まわしげにコアイの名を呼ぶ声、コアイを背教者と呼ぶ者……
「願わくば我等に剣を、術を、毒を……」
「願わくば我等に力を、救いを、聖を……」
「アミーヌ、アミーヌ……」
コアイは顔が、身体が強張るのを自覚する。
聞こえてきた声の、その内容も不快ではあったが……それよりも声自体が、どうしようもない嫌悪感を抱かせた。
されど、その声よりも一層……その声を上げさせている何者か……その声を向けられている存在にこそ、より強い不快感、疑う余地のない拒否感、全身から湧き起こるかのような嫌厭を感じている。
自身の認識からそれ等を排除したくなって、それ等の存在自体を壊し尽くしたくなって、心が暗く沈み厭んでいく…………
「どしたん? 具合悪いの?」
彼女が袖を引いて合図しながら、問いかけてきた。
その手で、昏い闇の底から彼女の隣、安らかな場へと……引き戻されたような心地がする。
「大丈夫?」
「……大丈夫だ」
「ホントに? 顔引きつってたよ……調子悪いならそと出よ?」
「済まない」
コアイさんは何故、人間の神に関する事柄に不快感を覚えるのか……
コアイさんは、人間に神と祀られている人物が遠い過去の……両親の仇であることを知りません。では何故、自然と反感を抱くのか?
それは、母親の……
などと考えてはあるのですが、その辺りの事情を書くのに良さげなタイミングが見つからない!




