あなたがそばにいるの
夕暮れ時、彼女が微かに瞼を開いた。
それに気付いた瞬間、コアイは思わず声に出していた。
「おはよう、スノウ」
普段、コアイは完全に目覚めた彼女から「おはよう」と言ってくれるのを待つことが多い。
彼女の目が開いて、口が開いて、声を聴ける……その流れを楽しむように。
だが今日は、そうすることができなかった。彼女が瞼を開くやいなや、直ぐに声が出ていた。
それだけ、彼女の目覚めを待ち焦がれていたのかもしれない。
眠り続ける彼女を隣で延々と眺めているのも楽しい、と思っていたが……
もしかしたら、心のどこかで……一向に目覚めない彼女のことを淋しく感じていたのかもしれない。
彼女の声を、眼差しを、指先を、早く……己に向けてほしいと。
「ん〜……めっちゃ寝たかも……寝てたよね?」
「なかなか起きないから、少し心配した」
そうは言ったものの、コアイは彼女を起こすことはせず……内心楽しんでもいた。それを楽しんでいた、はず。
ほぼ一日眠り続けた彼女に寄り添って、ただその姿を見ながら過ごす一日を。
それを楽しんでいた、はず。
しかし今は、それよりも……目覚めた彼女の姿、声、表情を余さず受け止めたい。
コアイは余計な考えを振り払って、とにかく彼女へ意識を向ける。
「あ、やっぱそうか……ごめん、最近寝不足でさあ」
彼女は何時も通りの苦笑を浮かべた。苦笑しながら寝不足だったと言うが、その理由には触れない……と、彼女の顔が近付く。
「あ、そうだ……んっ!」
間近に迫った彼女の顔、目が合って、閉じて……
熱いものが触れて、離れた。
「ん、な……」
熱いものは直ぐに離れたはずなのに、触れた唇が、いや顔中が陽に照らされたように熱く感じる。
「へへっ、忘れてたからさ」
間近に留まった悪戯な彼女の笑みが、あるいはそれとは無関係に……顔から胸元、脳裏へと熱が伝っていく。
「な、何……を……」
何を忘れていたというのか、コアイは問おうとしたが……胸が熱く締まり、息が詰まったようで声が出ない。
何とか声を出そうと意識しているうちに、また熱いものが触れて塞がれて。
「んふふ〜……おはようの、ね」
彼女の唇は再び離れて、言葉を紡ぐ。
「お、おはよう、の……」
笑みを浮かべる彼女に、笑みを返せない。
笑みを返そうにも……顔中が熱く引きつって、固まったようで。
言葉を返そうにも……胸の内が暴れるばかりで、声が出なくて。
コアイは何も反応を返せない。返せないでいるうちに、彼女の顔が横へ流れて……強く抱き付かれていた。
「ふふ〜……」
彼女に捕らえられて、熱が身体の隅々まで拡がっていく。
彼女の存在を感じて、煮詰まった望みが身体を疼かせる。
彼女の熱さを望んで、痺れが身体のあちこちを悩ませる。
コアイは何も言えないまま、吐く息にまで熱が移っているのを自覚する。
彼女に抱きしめられて、そのあたたかさが嬉しくて身動き一つできない。
彼女のあたたかさを余すことなく受け止めて、それが堪らなく心地好い。
彼女の熱に浮かされて、軽い目眩を覚えながらコアイは脱力する。彼女の抱きしめる力に、少しも逆らいたくなくて。
「ねえ、王サマ……」
彼女はコアイを抱きしめたまま呟いて、体勢を変えようと力を込めていた。
彼女の身動ぎする力にも、コアイは少しも逆らわない。逆らいたくもない。
彼女はもぞもぞと身体を動かし、やがて……彼女は仰向けになったコアイへ身体を預けるように、覆いかぶさっていた。
彼女の微かな重みの奥から、小刻みな鼓動が届く。それはコアイに妙なくすぐったさを感じさせて、あたたかな心地にさせる……
それに浸る間もなく、彼女の細い指がはっきりと……項をくすぐった。
彼女の指が、項だけでなく腰にも回されていて、心と身体がふわりと……浮き上がったような気がする。
それは妙に心地好い。
「……いい、よね?」
また、何がと……問えなかった。
ふわふわしたあたたかさに揺れて応えられないうちに、唇を塞がれていたから。
今度は、それはなかなか離れず……
彼女の熱が、先程までよりもコアイへ向かってくるように感じる。
言い換えるなら……彼女の熱が、意志を持ってコアイの皮膚へ食い込み、身体の内へ染み込もうとしているように感じる。
少し荒々しく、凛々しいようなそれは……コアイの心身を容易く灼いて、焦らしてしまう。
スノウを、離したくない……
頭の奥が痺れて、背中から手足の指先まで、隅々まで熱く焦がれる。
彼女が触れている、触れてくれている部分の熱さ。
彼女がまだ触れていない、それを望む部分の熱さ。
何も考えられない。いや……
スノウが直ぐ側にいてくれる、離したくない、もっと触れてほしい……
彼女の両肩に指を絡めて、彼女の脚に腿を絡めて、彼女の瞳に視線を絡めて。
コアイはすっかり熱に当てられて、知ってか知らずか彼女を求めて……想い焦がれていた。
しかし。
「あっごめ……やっぱねる…………」
何時の間にか、スノウの動きが止まっていた。
彼女はコアイを抱きしめて、唇に触れたまま……一言を残して眠りに落ちていた。
抱きしめられたままのコアイを灼く熱は、発散されず。
逃げ場のない熱と望みは、悶々と夜通しコアイを苛む。
それでも、眠いと言う彼女を叩き起こすような真似は……コアイにはとてもできなかった。




