あなたの身はまもるもの
エミール領南西部の城市ドイトを出て、北北東くらいの向きでなだらかな街道を進む。
陽光を背に受けながらのんびりと歩を進めていると……デルスーからドイトへ来たときよりも、街道が広くしっかりと整備されているのが分かる。
それぞれの街で見かけた人間の数や周囲の地形を考えると、それは自然な成り行きなのだろうが……その点には、コアイは特に興味を持たない。
ただ、平坦すぎてスノウに見せる価値がありそうな風景ではない……とだけ考えて。
と……眼前に砂煙が上がり、のちゴロゴロと音と振動を伴った数台の荷車とすれ違う。
カタカタと、馬蹄の響きに混じる程度の音しか発さないコアイの荷車とは異なる……多くの荷を積んでいるらしい、ガタゴトと重い振動音を鳴らしながら転がっていく荷車。
すれ違う際、向かいのコアイへ顔を向ける御者もいれば、まるで意に介す様子もなく去っていく御者もいる。そんな御者達の後ろには樽や壺、布に覆われた何か……人間数人を乗せた一台を除いて、車には様々な荷が密に積まれていた。
おそらくは、アルグーンからドイトへ商材を運ぶ商人達の荷車なのだろう。
盛んな荷車の行き交い……街道で結ばれた城市間での、密な物流を示しているのだろう。
ただ、その一面についてコアイは特に意識していない。むしろ、これほど人通りの多い街道となると……例の馬を猛らせる霊薬は使いにくいな、と旅の長さを懸念した。
ただ、今はスノウを連れていない。だから別に急ぐ理由もない……と考えを改めて。
そう考えたのとは別に、一つ懸念すべき点を思い出した。
コアイは以前、デルスーからアルグーンへ向かった際……人間たちから襲撃を受けた。
人間が信ずる女神、その教えと信仰を広める教団に属する暗殺部隊……と、考えられている連中らしい。アルグーンの酒場やデルスーの宿屋で、そんな話を聞いている。
その女神とやらの話を聞くと何故か、何時もコアイは不愉快な心地になる。
その女神とやらを讃える声ともなれば、コアイは直ぐにどうしようもなく……強い不快感、拒絶感を覚える。
何故かは分からない。ただ、似ているのは分かる。
過去、力ある人間……『神の僕』と呼ばれていた者達と闘っていた頃、何処からともなく聞こえてきた不愉快極まりない女の声と。
あれと同じような、絶対的な嫌悪をもたらすのだ。女神とやらを讃える言葉が。
……と、女神の話はどうでも良い。
問題は、アルグーンやその周辺でまた奴等に襲われないだろうか、ということ。
もちろん、今のようにコアイ一人であれば……誰が、何時、何処で、どのように襲ってきても……全て返り討ちにしてやれば良い。
問題は、スノウを連れている時に……彼女を危険に晒さず、彼女を護り切れるか。彼女への危害の他にも、彼女に血飛沫や賊徒達の死体など……見苦しいものを見せずに済ませられるか、という悩みもある。
彼女と二人でいる時に襲撃を受けたら……どうしたものか。
時折荷車とすれ違いながら馬上で考えを巡らせているうちに、いつの間にか西日が沈んでいた。
夜になると、向かいからの荷車とすれ違うことはなくなった。
コアイは月星が照らす灯りを頼りに、街道を進み続ける。
周囲への警戒は怠らず、周辺に密な魔力を湛えた存在がいないことを確かめながら……少しだけ、そんな存在に期待もしつつ。
結局は朝日の出を迎えるまで、そのような存在は見つからず。
そんな昼と夜とを数度繰り返すも、スノウとの話のタネにできそうな問題ごとは特に起こらず……
コアイはアルグーン──旧エミール領内でも最大の、中心的都市──に辿り着いた。
一先ず、二、三日ほどは一人で街中を散策して……様子を見るか。
コアイは馬上で、数日間はスノウを喚ばない腹積もりを固めながらアルグーンの大きな城門を潜る。すると早々に、通りを歩く人々の姿が目に入る。
ここまでの道程……はもちろんだが、これまでの城市と比べても格段に人が多い。
人が多いということは、騒がしいということ。
居城タラス城や周辺の村では体感できそうもない、大都市の喧騒。
コアイはそれを、あまり好ましく感じない。
ただ、スノウはどう感じるのか、と考える。
彼女は、騒がしさを嫌がらないように思う。
彼女は、きっと喧騒のなかでも輝き眩しい。
喧騒のなかでも、彼女の存在は色褪せない。
だから、此処でも憂いなく過ごせるように。
二人で気兼ねなく、楽しく過ごせるように。
なれば手を尽くそうと、コアイは決心して。
先ずは宿を取ろうと街中へ馬を進めると、多くの人間……コアイに視線を向ける者、周囲と談笑する声を聞かせる者……様々な者達がすれ違っていく。
暫くこの街に留まっていれば、そのうちコアイへ殺意を向ける者も現れるのだろうか。
そう思ったところで何となく、騒がしさのなかに淋しさを感じて……コアイは馬上、懐からスノウの肖像画を取り出して見つめていた。




