三 それがヌルクも潤いならば
森林の先、月光が城の頂と思しき一部を星空に浮かび上がらせている。
地形の都合で見えるようになったのだろうか、それとも彼女への懸想に意識が向いて気付かなかったのだろうか、ともかくコアイは道の先へと進む。
この先……立派な城のようだ。内部の備え次第では、そこで彼女と住むのも良かろうか。
そんな望みを抱きながら歩き続けるコアイの足下に、少し重たげな振動が規則正しく伝ってきた。
既に日が落ちて久しく、また周囲を見渡す限りこの辺りには整備された道と木々しかない。このような夜道に、地に響くほどの足音を鳴らす者は……騎馬くらいのものであろう。
コアイはそう考え、意識を足音らしき振動に向ける。それが北東から少しずつ近付いており、また単独ではなさそうだと感じられた頃、道の先では微かに砂埃が上がっていた。
城の側から来るなら恐らく人間であろう、翠魔族ではあるまい。それに、知る限り翠魔族は火急の用でもなければ馬に乗らない。
人間か。手練れであれば、少しは楽しめるか。
コアイは知ってか知らずか、人間との接触を望んでいた。闘っていれば、その瞬間だけは彼女の不在を意識せずに済むから。
やがてコアイは視線の先に三騎の姿を捉えた。少し前に殺した者と同じく、魔力は全く感じない。
せめて彼等が手練れの兵であることを願いながら、コアイは無遠慮に騎馬へと近付いていく。
速歩で駆けていた三騎の騎馬は、コアイに気付いたのか速度を緩めて近寄ってきた。
「貴公、何者だ」
騎馬のうち左側の者が、騎乗したまま声を掛けてきた。コアイは答えないでいた。
「私はアルマリック伯に仕えるジェフリーという者だ。貴公は?」
コアイはなおも答えない。
「おい、聞こえないのか?」
「……無礼者よ」
コアイはそうとだけ答え、風の魔術を想起する。そして短い詠唱を加えて魔力を作用させ、濃縮された風を刃と成して男へ放った。
「風よ我が刃よ、『突風剣』」
風のみを素にした術であるため、魔力を持たぬ者がこの術の刃を視認できることはない。とは言え此度は正面で、はっきりと詠唱し、術を発する様を見せてやった。
熟練者であれば、殺気を感じて身を翻すなり、急所を庇うなりできるだろう。
だが。
「あっ……?」
ふと脇腹に何かを感じた、というところだろう。ジェフリーと名乗った男はそこへ顔を向けつつ手を当てた。
しかしその手の先には既に空隙が……いや、行き場を失った体液と支えを失った臓物が流れ落ちていた。
「あ……ぐっ、う゛あ゛あ……」
その表情は一旦凍り付いた後、直ぐに歪み……彼の心情を判りやすく示しているようにすら見えた。
そして彼は苦悶しながら、馬から崩れ落ちた。
「ジェフリー!? どうした!?」
中央の男は叫びながら、倒れた男に目を向ける。しかし男は呻き声を上げながら、地に血溜まりを広げるのみであった。
「くっ、賊徒め!」
男は馬から飛び上がりながら得物を抜き、
「テァクソァ!!」
男は右手に握る剣を真っ直ぐ打ち下ろす! 落下の力を加えたそれは力強くもまずまず速い剣であった、コアイは右の掌に斥力を浮かべてそれを受け止めてやる。
しかし、剣を容易く防がれたはずの男は着地しながら笑っていた。
「甘ェよぉ!」
男は右手で打ち込んだ直後に左手で短剣を抜いており、それを逆手に握ったままコアイの脇腹を殴りつけるように打ち込んだ。
短剣は黄色い煌きを纏いながら、敵の胴を抉り取らんと横薙ぎに迸る!
「ぐっ」
呻き声を上げたのは、短剣を打ち込んだ男であった。
「な、何だと……」
「……その程度の爪、私には届かぬ」
輝く短剣は、コアイのローブに触れる直前で斥力を受け動きを止められていた。その衝撃を受けた男の左手は痺れ、短剣を取り落とす。
輝いていた短剣は、刃の大部分にヒビを入れられて転がっていた。そこに煌きは、残っていなかった。
「そ、そんな、この宝剣は……」
「まだ足りぬ」
男は愕然としていたが、コアイは素知らぬ様子で短剣を踏み砕いた。そうしながら、コアイは指先から血を抜き出して男の頸を捉える。
「だが次は要らぬ」
「済まん、おとう……と……」
頸を血縄に絞められた男は、横腹を空刃に斬られた男の隣に倒れ込んだ。
さて、残りの一騎はどう闘ってくれるのだろうか。
コアイは期待した。が、その相手は逃げ帰ろうと既に駆け出していた。
……つまらない。
「風よ牙よ届け、『疾風剣』」
詠唱に応えて膨れた風の刃が空を駆け、逃げる騎馬をずたずたに切り刻んだ。
騎兵達を殺したコアイは、彼等の馬のうち一頭が近くに留まっているのを見つけた。コアイはそれに乗り、道を一気に駆けた。
そして長い道を抜けた先には、高台に立つ石造りの城と要所に固まる城壁があった。




