あなたの熱がうれしいの
スノウは目を細めてうとうとと、あるいはふらふらと赤ら顔を上下させている。
ほぼ酔い潰れているものと考えて良いだろう。
これ以上此処にいても、酒や食事を望むことはなさそうに思える。
これ以上此処にいても、彼女の姿が微笑ましい……というほかに意義はないだろう。
コアイはそろそろ引き時と考えて……
「眠そうだな、宿へ帰ろうか」
コアイはスノウの隣へ寄り添い、腕を掴ませようと肩を近付ける。
「ん〜……かえってねるぅ」
彼女はコアイの支えにより、なんとか立ち上がった。
コアイの左腕に力がかかり、それが彼女の存在を一層はっきりと意識させる。
されど、彼女の存在を知らせるのは……その重さだけではなく。
力がかかった左腕にも、そことは離れた胸の内にも熱を感じて。
今日も、いまも、いや……何時でもあたたかな、彼女を感じて。
しかし、今はそれよりも……彼女を無事に宿まで連れて行くことが肝要だと思い直した。
コアイは腕に寄りかかる彼女の重みが然程強くないことから、ある程度自分の足で立てている……急がなければ歩いてでも帰れるだろうと考えた。
なれば、と倒れられないようにしっかりと彼女の腕を取り、自分の側へ引き付ける。
そうして彼女をしっかり支えてから、コアイは空いた右手で主へ飲み代を渡した。
「今日もありがとよ、またな」
入れ替わりに主から釣り銭の銀貨銅貨を受け取って、コアイは宿への道を踏み出す。
今日のコアイは、彼女を抱きかかえることはなく……酒場の主や、道行く人々の穏やかな視線を受けて酒場から街中へと歩みを進めた。
身を寄せ合いながら歩く二人の姿はときおり人々の目を引くものの、怪訝な目や好奇の視線を向けられることはなかった。
その理由は……昨日のようにスノウを抱いて歩く姿とは違い、寄り添って歩く程度であれば街の人間の目にも特段奇異なものとは映らないため……なのだが、それは今のコアイには理解しきれないことである。
今のコアイには理解しきれないとともに、至極どうでも良いことでもある。
彼女が嫌がるのでなければ……他の誰が何を感じようとも、コアイにとってはどうでも良いのだから。
道中、特に問題もなく……宿屋へ辿り着いた二人は迷いなく寝室へ向かった。
コアイが寝室の扉を開け、先導してスノウを部屋へ入れると……
それまでは一歩たりともコアイの前に出なかった彼女が突然歩み出て、コアイの手を引いていた。
「たらいまベッド〜!」
彼女は怪しい呂律で声を上げながら、ベッドに飛び込む。コアイを連れ出すような勢いで。
強く手を引かれて、ふと力が抜けた。
力が抜けて、彼女に引かれるまま……彼女に続いてベッドへ倒れ込んでいた。
ベッドに引きずり込まれているのに、宙にふわりと浮き上がり舞っていたような気がして、とても心地が良かった。
「むぎゅぅ〜…………」
と、先に倒れ込んだ彼女は、いつの間にかコアイの側へ身体を向けて腕にしがみ付いていた。
ベッドに倒れてもなお腕を離さない彼女から熱が伝わって、ふわついた心地を忘れさせる。
空を舞ってなどいない。強く捕らえられている。強く囚えられている。
舞っているはずがない。囚えられて、それをとても嬉しく感じている。
浮いても舞ってもいない、それ故に……彼女に捕らえられたが故に……
直ぐ側に彼女を感じられることが、とても心地良くて。
コアイは何も言わず、彼女に目を向けた。
彼女は知らぬ間に目を閉じ、眠っていた。
それでも、しっかりと腕を取られている。
黙って彼女を見つめて、心地良さに浸る。
ただ見ているだけでも、あたたかくなる。
静かに彼女の寝顔を見守っているうちに、コアイもついウトウトと浅い眠りに落ちていて……
夜の明ける前に、コアイは目覚めた。
やはりというか何というか……スノウはまだ眠っている。
と言ってもそれは何時ものことで、コアイは普段通り彼女の寝顔を眺めながら目覚めを待つ。
やがて夜が白み……日の出前の空から届く、微かな明かりの中で彼女は目を開いた。開いて直ぐに、彼女とコアイの目が合う。
「……おはよ、王サマ……んっ!」
気付いたときには、既に手を強く引かれていた。
「お、おはよう……」
彼女に引き寄せられて、唇に熱が触れて……それが離れたところで、コアイは漸く挨拶を返すことができた。
胸が高鳴って痛い。目覚めて間もないうちに、すっかり惑わされている。
「んふふ……こういうのってさ、実は朝のほうがいいらしいよ?」
「こういうの……?」
コアイには、彼女の言葉が何を指しているのか……直ぐには分からなかった。
しかし……彼女がコアイの項に手を回して、再び唇を塞いだ瞬間……それを、察して…………
目が泳いでいる。霞んでいるが、泳いでいるのが分かる。
胸の奥が暴れる。密着した彼女まで響き渡るのが分かる。
熱い。頭が熱い。唇が熱い。喉が熱い。胸が熱い。
身体の隅々が熱い。熱からぬ部分がないほど熱い。
身体の隅々が、灼けたように焦れる。
その隅々まで、触れてほしいと思う。
彼女の熱で、灼き尽くしてほしいと。
それを望む自分に、気付いてしまう。
触れてほしいと、焦がしてほしいと。
そう彼女に望んでいるのを、感じて。
「あ、夕焼け……かな?」
ふと彼女の声を感じて、コアイは我に返り……赤く焼けた窓へ目をやった。
「ってヤバっそろそろ帰らなきゃだった!」
と、彼女は慌てた様子でベッドから飛び起きていた。
横たわっているコアイと身体が離れて、空いた隙間を少し冷たい風が吹き抜ける。
「そ、そうか……それなら一度、そなたを送り帰そう」
コアイは微かに淋しく、名残惜しく感じてしまった。
されど、彼女の妨げになるわけにもいかない。
コアイは寝室の一角に召喚陣を描くための場をとり、スノウを本来の世界へ帰そうと支度する。
「あ、つかこれって……朝帰り失敗かあ」
その間に呟かれた、彼女の言葉が何を意味しているのか……
この言葉もコアイにはまるで分からなかったが、ニヤニヤしている彼女が妙に嬉しそうに見えたから……口を挟まないでおいた。




