憂い癒せたなら嬉しくて
更新が遅い(天狗の面)
ごめんなさい。
どうにかして彼女を安んじたかった。
どうすれば良いのか分からなかった。
己に何が出来るかも分からなかった。
ただ彼女を横から抱きしめて、手を握っていた。
そうしているうちに、夜も更けていく。
ある程度時間が経ったような気がして、コアイは改めてスノウの寝顔を覗き込んだ。
苦しげだった彼女の表情は、だいぶ和らいでいる。少しは落ち着いたのだろうか。
ともかく落ち着いたのなら、それは良かった。
だが……コアイはふと思いついた。
それでは、苦悶が和らいだだけだろうと。
苦悩する彼女を、楽しませてやりたい。
折角喚んだのだし、喜ばせてやりたい。
目覚めて直ぐ、なにかできないものか。
彼女のために、何か用意してやりたい。
直ぐに用意できるもの、何かないだろうか。
コアイは悩んだ。横で眠るスノウの手を、両手で包んだまま。
彼女が楽しそうにしているとき、といえば……
やはり、酒か? 他には……なにかあるだろうか?
分からない。酒よりも確実に喜びそうなものというのが、思い付かない。
思い付かないから、一先ず動いてみよう。思い付いたことを、してみよう。
コアイは彼女からそっと手を離し、目は離さず……ベッドから起き上がる。
椅子の上に置いていた金貨の袋を手にして、扉の前まで進んだところで彼女が起きていないことを確かめて……静かに部屋を出た。
「酒場で酒を買いたい。酒場はどの辺りにあるか」
玄関にいた宿の主から酒場の場所を聞き、急ぎ向かう。
彼女が一人で目覚めてしまう前に。
「酒を一瓶持ち帰りたいが、可能か」
宿屋で聞いた場所に寄り道せず向かい、入るやいなや率直に用件を伝える。
彼女が一人で目覚めてしまう前に、戻りたいから。
コアイは首尾良く酒を一瓶手に入れ、宿屋の客室へ戻ってきた。
ただ、どんな酒か聞くのを忘れていた。
しかしその反省は、彼女の眠る姿を見た途端に、すっかり……消え失せてしまった。
コアイは荷物をテーブルに置いて、彼女の隣に横たわる。
彼女が目覚めるまでは、寝顔を眺めていよう……
と考えて暫く横になっていると、やがて彼女の円い瞳が開いた。
「おはよ、王サマ」
彼女は何時も通り微笑みながら、コアイに挨拶する。
そんな彼女の微笑みは、コアイの目には普段通りの……いや、僅かに曇っているような気がした。
「おはようスノウ、まだ夜だから……少し酒でも飲もうか」
目覚めた二人は椅子を横に並べて座り、酒を飲むことにした。
彼女はグイッと酒を飲み込み、杯を干す。
「あ゛〜……もぉ聞いてよ〜」
酒を飲み干して、一息付くや否や……彼女は眉を寄せて目を細める。
「わたし就職した、んだけどさあ……一年めからパワハラおじさんとかマジキツくて……仕事多いのに雑用も多いしさあ、そんで勤務時間外にも本とかeラーニング動画とか見とけって……もしかしてブラックなんかなあ」
酒を飲んで早々、彼女はなにやら不満らしき言葉をまくしたてた。
「ぱわはら……おじさん? そのパワハラという男が邪魔をするのか?」
コアイは話を聞きながら、酒を注いでやる。
「お局おばさんにもクドクドネチネチいちゃもんつけられるし……なんか週二くらいで泣きそう」
「オツボネ? その口達者は別の……女なのか」
コアイは相槌を打とうとした。しかし彼女が早口なうえ話の内容も理解しきれないため、満足な対話ができない。
「あ、あ〜……ごめん」
彼女がまた酒に手をつけ、二杯めを呷ろうとした。が、ふと手が止まり……半分ほど残った杯をテーブルに戻していた。
「ごめんなんつかね、今いるとこ……なんかヤな感じの人多くってさぁ……」
彼女はコアイが話についていけていないのを察したらしい。そこで話を簡潔にまとめようとした、ようだが……
「会社ツラい!」
彼女は突然叫んだ。
コアイはその声に胸が痛んだ。
心が痛くて、無意識のまま視線、顔、身体……すべて彼女へ向けていた。
「大じょ……」
彼女へかけようとした言葉が止まる。
急にあたたかくされて、声が出せなかったから。
彼女はコアイが身体を向けるのに合わせてか、コアイへ抱きつき胸元に顔を埋めていた。
「むぐ〜っ…………」
痛かったはずの胸がいつの間にか熱く、震えていた。
コアイはそれに無言で浸りたくなったが、一言だけ声をかける。
「大丈夫だ、此処には私しかいない」
そう口にしたところで、彼女の頭に手を添えたくなった。
コアイは迷わず逆らわず、心の求めに身を委ねてみる。
「むふ……ふふ、んむ〜っ…………」
くぐもった笑い声が聞こえて、抱きしめる力が強まったのを感じた。
「……ありがと、んじゃそろそろ寝よっか」
しかし彼女は暫くの間の後、コアイから顔を離した。
コアイにはそれが少し、さみしかった。けれど何も言えずに、二人でベッドに入った。
口元、唇を軽く撫ぜる風を感じる。
目を閉じていてもわかる、彼女の吐息だと。
見るまでもなくわかる、彼女が側にいると。
それが、近付いてくるとは限らない。
彼女が、触れてくれるとは限らない。
もしかしたら、私の目前で眠ってしまったかもしれない。
それで良い。彼女が安らげているなら。
それで良い、私も……ゆっくり眠ろう……っ!?
彼女が、触れてくれていた。
胸の内が爆ぜたように暴れる。
頭の中が甘くあたたかく痺れる。
全身の芯がふわふわと震えよろめく。
「んふふ〜……いいよね?」
彼女は同意を求めたようでいて、コアイの答えを待ちはせずに……もう一度唇に触れてきた。




