怖じ気癒せなくて憂いて
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扉の向こうから、何者かの魔力を感じる。
扉の奥に、誰かがいることは判っている。
コアイはもう一度、先ほどよりも少し強く……工房の出入り口に備えられた叩き金を鳴らしてみる。しかし今度も、応えは全くない。
中に何者かがいることは間違いない。まだ眠っているのだろうか?
考えてみれば……夜明けに開門して直ぐ宿を取り、休むこともなく訪ねてきたから、まだ朝も早い……寝ていてもおかしくはないか。
だとしても、早く指輪を……手に入れたいのだが。
早く指輪を手にして……スノウに贈りたいのだが。
コアイはもう一度、叩き金を……壊さない程度に強く鳴らしてみた。
そして、少し待ち反応がないことを確かめて……出入り口に背を向けた。
「ぅぅ……」
と……一、二歩踏み出したコアイの背中越しに、微かな呻き声が聞こえた気がした。
しかしコアイは出入り口へ戻らず、一旦立ち去ることにする。
先ほどスノウのことを考えたせいか、早く逢いたくなってしまったから。
コアイは宿に戻る前に、とくに行き先を決めずのんびり街中を歩いてみることにした。
朝の街を歩きながら……コアイに殺意を向ける存在が潜んでいないか、自身を晒して探ってみる。
そして、それより入念に……スノウを害しうる存在が潜んでいないか、魔力の存在を探ってみる。
日が高くなるまで、街のあちこちを歩いてみて……
この街に、コアイへ敵対的な目を向けるもの、襲いかかるものは現れなかった。
また魔力の面では、テオドラの工房の内側から感じた風変わりな魔力のほかにいくつかの力を感じ取った。ただそれ等は然程強くも濃密でもなければ、とくに珍しい調子、感触でもない。
この街も、おそらく危険は少ない。
これならば、彼女を喚んでも問題はないか……
コアイは心を小躍りさせながら、宿へ戻ろうとして……少し道に迷いながら帰り着いた。
コアイは真っ直ぐ宿の客室へ入り、一人ベッドに腰掛けた。
ここには、邪魔になるものはない。
コアイは懐から彼女の私物を一つ取り出そうとして、その触感のあたたかさに自然と笑顔をこぼしながら……そっと床に置いた。
これで、この私物とはお別れになる。
しかし、引き換えに……彼女に逢える。
スノウに逢える、ひとたびそう実感してしまうと……コアイの心中、意識はあたたかさに満たされてしまう。
それ以外のことを、あまり考えられなくなってしまう。
思考をそれに支配されたまま、コアイは指先を噛んで表皮に血を滲じませる。
そして召喚陣を描けよと、滲んだ血に命ずる。指先から流れ出た血が召喚陣を象っていく。
召喚陣が完全に象られたことを察したところで左手を高く掲げ、指先を召喚陣に向けて……発声する…………
召喚に伴い淡い光が溢れて、やがて薄れていく。
光が消え去るとともに……召喚陣の描かれていた場所に、以前見た艶のない黒服で横たわるスノウの姿が見えた。
コアイは引き寄せられたように……直ぐさま、寝室の床に寝転がっているスノウへ近付き抱き上げた。
と、すすり泣くような声が聞こえてくる。
「ぐすっ、ゔぅ……」
いま、この部屋には……コアイとスノウしかいない。
間違いなく、スノウの泣き声。
その声を聞いて、コアイは思わず彼女を抱きしめていた。
居ても立ってもいられなくて、強く強く抱きしめていた。
泣いている。
辛そうに、泣いている。
彼女の辛苦。
和らげられないものか。
私に、何かできないか。
彼女を助けられないか。
どうにか……
そのように、心底願うコアイであったが……どうすれば良いのか、何も思い付かない。
だから、ただ抱きしめていた。
「ん……王サマ……? ゔぅっ……グスっ……」
目を覚ましたのか、夢見心地のままなのかは分からない。
ただ、スノウはコアイに抱きしめられていることを感じたらしい。
「スノウ……」
コアイは何か、彼女を癒やす言葉をかけようとした。
しかし、彼女の名を呼んだだけで……他の何事も口にできなかった。
だから、ただただ抱きしめていた。
強く抱きしめることしか、できなかった。
彼女の身体をベッドに移すことすら忘れて、ただ抱きしめていた。
何時しか、彼女もコアイのローブの端をキュッと握りしめていたが……それに気付かないほど、コアイは一心に抱きしめていた。
ずっと抱きしめていたら、何時しかスノウの嗚咽は止んでいた。
ふとコアイもそれに気付いて……彼女を抱く手を緩めて、その顔を覗き込む。
日が落ちたのかすっかり暗くなった部屋で、微かに見える彼女の表情が……ひどく不安気なように思えてならない。
どうにか、安らかに眠ってほしい。
コアイは一先ず身体を起こし、スノウをベッドに寝かせることにした。
彼女をベッドに寝かせたところで、二人の身体が一旦離れる。
「んんっ……」
彼女は不安気に眉を寄せて、手探りで辺りをまさぐって……シーツの寄った部分を掴んでいた。
コアイはこれまで、スノウを喚んだとき……
酒に酔い潰れて苦しむ、彼女の姿には覚えがある。
しかし、何かを恐れ、魘される彼女の姿は……記憶にない。
「スノウ…………」
コアイはその姿を、堪らなく不安に感じた。
しかし、どうすればその姿──魘される彼女の恐れを、和らげられるのか……まるで分からない。
ただ彼女の隣に寝転がり、抱きしめて、手を握って……目を瞑っていた。
彼女の怯えるような姿を、見ていられなかったから。




