道をひとりで突き進んで
夜更けに一度目覚めたときは、彼女が起きなかった。
朝方に再び目覚めたとき、そこで彼女を送り帰した。
もう一度寝て昼前に目覚めたとき、当然独りだった。
けれど、昨夜がっちりとしがみつかれていた腕、頭を添えられていた胸元、絡められていた脚……彼女に触れられていた部分が、今も焼け付いたように私を苛んでいる。
それはまるで……
平静な顔をして彼女を帰した、私を責めているようで。
もう一日だけと言えなかった、私を責めているようで。
二人きりでも素直になれない、私を責めているようで。
早く彼女を喜ばせたい私と、何時でも彼女を喜びたい私が争っているようで。
ベッドの端、一人で目覚めたコアイは身体を起こしたところで暫く呆けていた。
己の皮膚に、スノウの熱が残っていて……その感触を静かに味わっていた。
やがてその感触が、陽の光でぼやけていったのを感じて……コアイは立ち上がる。
日が傾く前に、街を出て……テオドラなる職人が住む城市、ラスカリスへ向かうことにした。
そのために先ず、旅支度を整える。
「ああ、色男さん……どうかしたのかい?」
「宿を引き払いたい」
コアイは受付にいた老婆へ声をかけた──老婆から「色男」と返されたのには触れず、宿代として金貨を一枚差し出す。
「そうかい、なら先に馬を取りに行かせないとねェ……ついでにお釣りを用意しとこうねェ……部屋の荷物をまとめるとかして、ちと待っててくれるかい?」
コアイは老婆の言葉に従い、部屋の隅へまとめてあった霊薬の壺などの荷を持ち出しておくことにした。
といっても、金以外に重要な荷といえば霊薬と、ソディの地図と、宝石商の紹介状くらいのものではある。
最も重要な、彼女から貰った肖像画や小物の大半……それ等は懐に入れて、肌身離さず持ち歩いているから。
紛失や破壊を防ぐためでもあるが、結局のところ……そうしておくととてもあたたかくて、心地が良いから。
宿の軒下で荷を足元に置いて、いっとき待っていると……宿の男がコアイの馬を連れてきた。
預けている間、馬は良く手入れされていたのか……元気そうに見える。
「馬の繋養代は、宿代と一緒に貰っといたよ。心配は要らないからねェ」
宿の中から、老婆の声が届く。それを背に受けながら、コアイは荷を馬に括りつけた。
そして荷を軽く揺すっても落ちそうにないことを確かめたところで、颯爽と馬に……
「あ、お客さん待って! お釣り、これお釣りです」
と、コアイは宿から飛び出しながら自分を呼び止める別の男の声に一旦動きを止めた。そして男から銀貨数枚を無言で受け取ってから、馬に跨った。
コアイは昨日宝石商の男から聞いた通り、北門から街を出ようと馬を向かわせた。
大通りを街の中央、やがて北へと進むと……北門には、二人の警備兵らしき男が立っていた。そのうちの一人が、門をくぐろうとしたコアイへ声をかけてきた。
「あ、もしかして前に東門から来た兄さんか?」
「ん? この人がどうかしたのか?」
「いや、この兄さんの乗ってる馬がさ、丈夫で素直そうないい馬でさ……」
「またか……あいかわらずだなお前は」
コアイは無視して通り過ぎることにする。
「なあ兄さん、今度は別の馬を連れてきてくれないか? 一頭売ってほしいんだ!」
「……私は馬商人ではない」
答えずに去るつもりだったが、男の言葉にひどく呆れたせいか……去り際、コアイは思わず反論していた。
コアイは街道沿いを北に、馬を軽く駆けさせながら旅程を考える。
宝石商の話では……分かれ道の手前には水場や集落があり、馬を休められるとのことだった。
数日ぶりの騎乗でもある、夕方までは馬を慣れさせて……日が落ちかけた頃に、何時もの霊薬──馬の速力を飛躍的に増す霊薬を使い一気に距離を稼ぐ……コアイはそう計画した。
パルミュールから北へ進む街道は、良くも悪くも特筆すべきもののない道のりであった。
コアイは予定通り、夕暮れ時に見つけた水場で少し馬を休ませたところで淡い色使いの壺から霊薬を掬い取り、馬に舐めさせる。
馬は美味そうに霊薬へむしゃぶりつき、舐め終えると勢い良く鼻息を吹き出しながら目を爛々とさせた。
コアイはその様子に、思わず笑顔をこぼし……飛び乗った。
北、やがて西へと……道を間違えないこと。
それだけ意識して、コアイは猛然と駆ける馬を御す。
夜、星が瞬き、月が昇り、やがて雲に隠れ……
それ等の何れも、コアイ達の足を止めることはなく。
朝、陽が昇り、駆ける先を明るく照らして……
コアイ達は変わらず、不休で駆けて大地を踏みしめる。
夜が明けたのにも構わず駆け続けていると、何時の間にか辺りが山がちになっていた。
コアイがそれに気付くとともに、馬の勢いも落ち着いていた。霊薬の効果が弱まった頃だろうか。
コアイは少し馬の行く気を抑え、歩様に異常がないことを確かめながら進んでいく。
街道の先では山がちだった地形がさらに険しくなり、左右を崖で囲われたような狭い道が伸びている。
「におうぞ、におうぞ、金貨のにおい」
と、遠くから……人間の呟くような声が聞こえてきた。
コアイは馬を歩かせたまま周囲を見渡してみたが、人影は一つも見当たらない。
ただ、微かではあるが……岩肌の奥あたりに魔力を感じた。
この辺りが、先日話に聞いた……山賊とやらの根城なのだろうか?
コアイは引き続き馬を進ませつつ、耳を澄ましてみる。
「におうぞ、におうぞ、金貨のにおい」
今度ははっきりと、そう聞こえた。




