十四 イツカまた逢えると
「あ、なんつーか、旅行から帰ってきた気分」
二人は元居た屋敷に帰り着いた。
「めっちゃ歩いたから足痛い……」
「部屋で少し休もうか」
「……ご休憩? きゃー」
コアイには返答の意図が良く分からなかったが、嫌がってはなさそうだと考え寝室へ向かうことにした。
しかし屋内を歩くと、寝室へ近づくにつれて焼け焦げた臭いが伝わってきた。それは、コアイに寝室の現状──昨日、粗方焼いてしまったこと──を、思い出させる。
コアイは引き返し、ひとまず玉座へ向かうことにした。
「どうしたの?」
「寝室は今使えない、済まない」
「へ?」
「昨日賊が居たから、部屋ごと焼いて排除した」
惨状が正しく伝わったのか、スノウの顔が引きつる。
「うぇ~……つかほとんど殺人鬼じゃん」
「ここでは仕方のないことだ、だが」
「そなたは私が守るさ」
「えっ、ああ、はい、……」
スノウは立ち止まり、当惑したような顔をしていたが……それはすぐに満面の笑顔へと変わっていた。
「よろしくね!」
二人は玉座の間に入った。
「座るが良い、少しは楽になるだろう」
「いいの? 「家主の席」って感じだけど」
「私が勧めるのだから何の問題もない」
コアイはスノウを玉座に座らせ、話し続ける。
「さて、次はどうしようか?」
「次? う~ん」
少し間を置いてから、スノウは語り始めた。
「旅行みたいなもんだし、やっぱり、ご飯とかお酒とか、あとは観光かな?」
「ふむ、観光? というのは……風景や名所などを訪ねて楽しむ、ということで良いのか?」
「その通りですわよ」
「あ、あぁ……」
「けど、いっかい帰りたいかな」
「……そうか」
帰したくない、とコアイは思ってしまった。
きっとこれは、さみしさなのだろう。けれど、彼女を困らせるわけにもいかない。
「ちょっと、確かめたいことと……調べときたいことがあってさ」
「大丈夫だ、良い酒を用意して待っている」
本当に大丈夫か? いや、きっと大丈夫ではないだろう。己のことだ、そのくらいは想像できる。
けれど。
彼女を喜ばせ、そして苦しめないことが私にとっての愉しみなのだから。
「なれば、帰り支度をしようか」
「あ、その前に……」
彼女は何かを取り出し、それを持ちながら私の前髪に触れた。
私は頭に軽い重みを感じながら、スノウを眺める。彼女は少し退いた後、己の前髪に何かを触れさせながら言った。
「ふふっ、おそろい!」
彼女の前髪を見つめながら、己の前髪の重しに触れてみる。
私も彼女も、同じものを身に着けている。たとえ離れていても、どこかに私と同じ装飾を身に着けた彼女がいる。
そう意識すると、とてもあたたかい。
「あ、もう一つ、何か呉れないか」
「欲張りさんか!? ……何でもいい?」
「念のために、な」
掌に納まるほどの大きさをした、軽い筒状の物を渡された。その手触りは独特で、大きさと不釣り合いな軽さと相まって奇妙な印象を受けた。
「リップクリーム……そりゃ知らないかぁ」
彼女はそう言いながら筒を取り、指で捻るような動作を始めた。
「それは一体?」
「こうやって使うの」
彼女が目の前に立っていた。そして彼女は私の顔に手を伸ばす。いや、正確には先程の筒を持った右手を私の顔に伸ばす。空いた左手はいつの間にか、私の肩を捕らえていた。
胸の鳴りが少し速くなり、こそばゆい。
「な、何を……」
「おしずかになさってくださいね~」
と、彼女は筒の先を私の口に押し当て、ぐりぐりと弄ってきた!
なっ……これは? 触られるたびに口元がむずむずし、熱を帯びだした。
そしてその熱は顔へ、頭へと滲み出してくる。
思考がぼやけてくる、身体の力が感じられなくなってくる。
「はい、終わりましたよ~」
「ん……ああ?」
「唇荒れてそうだし、ちょうどよかった。次からは自分でやってね」
彼女は再び筒を持たせてきた。
「あ、ああ」
胸が高鳴って、何が何だか良く分からなかった。
「さて、そろそろそなたを帰そうか」
「おっけー」
「そなたが喜びそうなものを、数多に用意して待っている」
「では……そこに立っていなさい。動かぬように」
私は彼女から離れ、人差し指の先を齧る。チクリ、とあちこちに痛みが走る。
私は指先に滲む血に命ずる。彼女の足許の床に、召喚陣を描けよと。
指先から、血がとろとろと流れ出す。流れ出た血は彼女に触れぬようゆっくりと床に伝い、やがて召喚陣を象どった。
「……前とちょっと動きが違う?」
彼女はじっと、床を見ていた。
コアイは左手を高く掲げながら指を折り、その先端を召喚陣に向ける。そして、
「La-la mgthathunhuag!!」
自身、どこで知ったかも定かならぬこの世界の言語、詠唱とは異なる呪文を発声した。
赤い召喚陣が鈍く輝く。召喚陣は淡い光を発して辺りを照らしていく…………
「んじゃ、また呼んでね!」
淡色は周囲の空間を侵し、やがて術者以外の全てが、光の中に混ざり合っていく──────
……私は、玉座に腰掛けていた。
少しだけ、あたたかい。彼女の残り香のようなものを感じている、はじめての昼。
私は、誰もいない部屋を見回してから、ゆっくり立ち上がる。
今すぐに、何かをしなければならぬということはない。少なくとも、この部屋は以前とほぼ変わりなく使えるから。
けれど、私は早く彼女に逢いたい。
そして、彼女に逢えるよう、彼女を喜ばせられるように。
そのために…………
過去には「最後の魔王」と呼ばれていた、「魔王」コアイ。
世界がその記憶すら失いかけるほどの時を経て後、其れは蘇った。
過去と変わらぬ「魔王」の力と、 過去よりもはっきりと強い「魔王」の意思を具えて。




